初日の出は見えなくても
元日の朝、俺は待ち合わせ場所の駅前に向かった。空気はまだ冷たく、吐く息が白く広がる。街はいつもの正月より人通りが多く、着物姿の若者が目立った。
駅前に着くと、見慣れた小柄な人影が手を振ってきた。
「あけおめ! そうくん!」
ひなただった。今日は着物姿で、いつもの明るさに加えて、少し華やいだ印象がある。
「おう、あけおめ」
俺がそう返すと、ひなたは嬉しそうに笑った。
「そうくんは私服なんだね」
「着物とか持ってねえし」
「もったいない。似合いそうなのに」
ひなたがそう言っているところに、後ろから声がかかった。
「おーい、蒼太!」
桐生が手を上げながら駆け寄ってくる。こちらも私服姿だった。
桐生の普段着のダウンジャケットを見て、俺は思わず聞き返した。
「桐生、着物じゃねえのかよ」
「着付け面倒だったからな。動きやすさ重視だ」
桐生はそう言って、大きく伸びをした。少し遅れて、つぐみも合流する。
「あけおめ。みんな早いね」
つぐみは深緑の落ち着いた色合いの着物姿で、髪も低い位置でまとめている。
つぐみの落ち着いた萌黄色の着物を見て、桐生が珍しく素直な感想を口にした。
「白河、その着物、似合ってるな」
桐生がそう言うと、つぐみは少し驚いたような顔をした。
「......何、急に素直に褒めて」
「素直に褒めただけだろ、悪いかよ」
「悪くないけど、調子狂う」
つぐみはそう言いながらも、まんざらでもなさそうだった。
4人が揃ったところで、俺は周りを見回した。
「秋月、まだ来てねえな」
俺がそう呟くと、桐生が周囲を見回しながら答えた。
「今日、こういう格好で来るのは俺らくらいかと思ったら、意外と着物の子多いな」
確かに、駅前には振袖や着物姿の若者が何人か見える。
「正月だしね。せっかくだから、みんなで着物にしようって話にもなったんだけど」
ひなたがそう補足した。俺は少し首を傾げる。
「俺は誘われてねえけど」
「そうくんは着物、レンタルしてまで着る感じじゃないかなーって」
ひなたはそう言って、悪気なく笑った。俺はそれに反論できず、苦笑いするしかなかった。
桐生がスマホの画面を覗き込んで言った。
「集合時間、もう5分過ぎてるぞ」
「秋月さんが遅刻するの、珍しくない?」
ひなたが不思議そうに首を傾げた。俺は少し気になって、凛にLINEを送ってみる。
「秋月、今どこだ」
既読はすぐについたが、返信には少し時間がかかった。
「......道がわからない」
その一言に、俺は思わず脱力した。集合場所の神社は、最寄り駅から歩いて数分の距離だ。道に迷う要素は、ほとんどないはずだった。
「マジかよ、あいつ」
俺がそう呟くと、桐生が笑い出す。
「相変わらずだな、秋月さんの方向音痴」
つぐみが横から口を挟んでくる。
「今日は着物だから、余計に迷いやすいのかもな」
俺はスマホを操作して、凛の現在地を確認しようとした。
「秋月、今どこにいるか、目印になるもの見えるか」
しばらく待って、返信が届く。
「......コンビニと、赤い自動販売機」
その情報だけで、俺はだいたいの見当がついた。駅の反対出口の方に迷い込んでいるらしい。
「みんな先に神社行っててくれ。俺、秋月迎えに行ってくる」
俺がそう言うと、桐生がにやにやしながら茶々を入れてきた。
「お前が行くのかよ、わざわざ」
「他に誰が行くんだよ」
「いや、別に。お似合いだなと思って」
「うるせえ、余計なこと言ってねえで先に並んでろ」
俺がそう返すと、桐生は肩をすくめて笑った。
ひなたが笑いながら手を振った。
「いってらっしゃい、そうくん」
「桐生、先に並んどけよ」
「おう、任せろ」
俺は3人を残して、駅の反対出口に向かって歩き出した。人混みをかき分けながら、早足で進む。
しばらく歩くと、コンビニの前で困った様子の凛を見つけた。
俺は、その場で立ち止まった。
紺色の着物に、白い帯。長い黒髪は結い上げられていて、簪が挿してある。いつもの制服姿とも私服姿とも違う、また別の凛がそこにいた。結い上げた髪の下に、うなじが白く出ている。俺は視線の置き場を探して、鳥居の上あたりを見た。
「秋月」
俺の声に、凛がこっちを振り返る。着物の裾が、その拍子にふわりと揺れた。
「......藤宮くん」
凛の肩から、ふっと力が抜けた。俺は言葉を継ごうとして、一度口を開けて、閉じた。吐いた息だけが白く残って、言葉の代わりに消えていった。
「......どうしたの」
凛が不思議そうに聞いてくる。俺はどうにか言葉を絞り出した。
「......秋月。着物、すごく......綺麗だ」
凛は一瞬、目を見開いて、それから俯いた。
「......そう」
凛はそれだけ答えて、視線を地面に落とす。俺は自分の失言に気づいて、少し焦った。
「悪い、変なこと言った」
「......変じゃない」
凛は小さくそう言って、また顔を上げた。その頬が、白い息の向こうでほんのり色づいていた。冷たい空気の中で、その赤みだけが妙に温かそうに見える。
「秋月、マフラー、その着物にも合わせてきたのか」
俺がそう指摘すると、凛は自分の首元を軽く触った。着物の襟元から、あの白いマフラーが覗いている。
「......寒かったから」
凛はそう言って、マフラーの結び目をきゅっと締め直した。
「簪も、自分で選んだのか」
俺がそう聞くと、凛は少し照れくさそうに髪に触れた。
「......母に手伝ってもらった」
「そうか。似合ってる、それも」
俺がそう付け加えると、凛は驚いたように目を見開いた。
「......今日、やけに褒めてくる」
「......悪いか」
「......悪くない。ただ、慣れない」
凛はそう言って、視線を逸らした。俺もその反応につられて、少し気まずくなる。
「行くか、みんな待ってる」
「......うん」
俺と凛は、並んで神社への道を歩き出した。今度は俺が先導するので、道に迷う心配はなかった。着物のせいで歩幅が狭いのか、凛は小刻みな足取りで、時々小走りに追いついてくる。慣れない下駄の音が、アスファルトの上でからんからんと軽く鳴った。
「その下駄、歩きにくくないか」
「......ちょっとだけ」
凛はそう言いながらも、足を止めずについてくる。俺は歩調を少し緩めて、隣に並ぶようにした。
神社の鳥居が見えてくると、桐生たちの姿も見えてくる。桐生が真っ先にこっちに気づいて、大きく手を振った。
「おーい、見つかったか!」
「ああ、コンビニの前で迷子になってた」
俺がそう答えると、桐生は凛の着物姿を見て、目を丸くした。
「秋月さん、着物じゃん! 似合ってるな」
「......ありがとう」
凛はそっけなく答えたが、少し照れくさそうだった。つぐみが凛の顔を覗き込んで、何かに気づいたようににやりと笑う。
つぐみは腕を組んで、じっと凛の顔を覗き込んだ。
「凛、耳、真っ赤だけど」
「......寒いから」
凛は慌てて耳を隠すように、髪に手をやった。だがその仕草は、隠すというより余計に注目を集めているだけだった。
「そうくん、何か言ったんじゃないの?」
ひなたが興味津々な様子で聞いてくる。俺は誤魔化すように視線を逸らした。
「別に、何も」
「怪しいなー」
ひなたは目を細めて、疑いの色を隠さなかった。
ひなたはそう言いながら、にやにやとこっちを見てくる。俺はその視線から逃れるように、鳥居の方へ歩き出した。
「行くぞ、みんな。並んでるうちに参拝しよう」
俺がそう言うと、5人は連れ立って鳥居をくぐった。境内には既に長い行列ができていて、参拝客たちが列をなしている。行列の先の方から、賽銭箱に硬貨が落ちる音が絶え間なく響いてきた。
参道の両脇には屋台が並び、たこ焼きや甘酒の匂いが漂ってきた。湯気の向こうで、店主が威勢よく声を張り上げている。桐生がそれに気づいて、真っ先に反応する。
「あとで屋台も回ろうぜ、絶対」
つぐみが呆れたように口を挟んだ。
「お前、初詣より屋台が目当てだろ」
「両方目当てに決まってるだろ」
桐生の即答に、つぐみはさらに呆れた顔をする。
「桐生、正月から食欲全開だね」
「食欲に季節は関係ねえよ」
その掛け合いに、ひなたが小さく笑う。凛もそれを見て、口元をわずかに緩めていた。
「けっこう並んでるな」
桐生がそう言いながら、列の最後尾についた。俺たちもそれに続いて並ぶ。
列に並びながら、俺は隣の凛の横顔を、もう一度盗み見た。結い上げた髪から一筋だけほつれた後れ毛が、風に揺れるたびに頬をかすめていた。制服でも私服でもない凛を、俺はまだ見慣れていない。
「秋月、寒くないか」
「......大丈夫。マフラーあるから」
凛はそう言って、マフラーに軽く触れた。俺はその仕草を見ながら、あのプレゼントを渡した日のことを思い出す。
列が少しずつ進んでいく。境内には初詣客の話し声や、屋台の呼び込みの声が響いていた。
白い息を吐きながら、俺は空を見上げた。雲一つない、澄んだ正月の空だった。
賽銭箱の前に立って、俺は小銭を手のひらで確かめた。
「今年も、いい年になるといいな」
俺がそう呟くと、凛が小さく頷いた。
「......うん」
列が本殿の近くまで進むと、拝殿の屋根の向こうから、澄んだ空が見えた。桐生が振り返ってこっちに声をかけてきた。
「なあ、お参りの後、おみくじ引こうぜ」
「いいな、それ」
俺も乗り気で頷いた。
ひなたがそう言って手を挙げる。つぐみも頷いた。
「あたしも引く。今年の運勢、気になるし」
「......私も、引いてみる」
凛がそう言うと、俺も自然と頷いた。
「じゃあ全員で引くか」
列は少しずつ、だが着実に本殿へ近づいていく。俺は財布から小銭を取り出しながら、隣の凛の様子を窺った。着物の袖から覗く手が、小さく寒さに震えている。俺はポケットに入れていた自分の手を、少しだけ差し出しかけて、結局引っ込めた。
「秋月、何をお願いするか、もう決めてるのか」
俺がそう聞くと、凛は少し困ったような顔をした。
「......秘密」
「そうか」
俺はそれ以上聞かず、自分も何を願うか考え始めた。列の先には、鈴の音が絶え間なく響いている。列が一歩進むたび、隣の凛の草履が小さく鳴った。あと三組で俺たちの番になる。二組になった。隣で凛が、小さく咳払いをした。願い事は、まだ決まらなかった。




