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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio Yodaca
冬──義理チョコは手作りしない

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聖夜の余韻

 クリスマスの翌日、私は自分の部屋で、もらったばかりの白いマフラーを手に取っていた。


 昨日は結局、家に帰ってからもずっとこのマフラーを眺めていた。柔らかい素材で、丁寧に編まれている。安物ではないことが、手触りだけで分かった。指の腹で編み目をなぞると、規則正しい凹凸が、飽きるほど何度なぞっても飽きなかった。


 ......藤宮くん、これ選ぶのにどれくらい迷ったんだろう。


 マフラーを首に巻いてみる。鏡に映る自分の姿に、口元がゆるむ。私はそれを指先で押さえつけた。


 なんで、こんなに嬉しいんだろう。胸の奥がくすぐったくて、じっとしていられない。


 自分の部屋で一人なのに、誰かに見られているような気恥ずかしさがあった。私はマフラーを一度外して、また巻き直す。何度も同じ動作を繰り返している自分に、途中で気づいた。カーテンの隙間から、朝の光がわずかに差し込んでいるだけの、静かな部屋だった。


 ......何やってるんだろう、私。


 ベッドに座って、マフラーを両手で持ったまま、しばらくぼんやりしていた。窓の外では昨日の賑わいが嘘のように、静かな冬の朝が広がっている。


 階下から、母の声がした。


「凛、朝ごはんできてるわよ」


「......今行く」


 私はマフラーを丁寧に畳んで、机の上にそっと置いた。あまり見せびらかすのも気恥ずかしくて、部屋着の上から羽織るのは一旦やめておく。畳んだ端が少しでもずれると、気になって何度も直してしまう。


 台所に降りると、母がトーストとスープを用意してくれていた。湯気の向こうから、コンソメの匂いがふわりと漂ってくる。


「昨日、遅かったのね。楽しかった?」


「......普通」


「そう。普通にしては、ずいぶん機嫌よさそうだけど」


 母の指摘に、私はスプーンを持つ手を止めた。


「......そんなこと、ない」


「顔に出てるわよ、凛」


 母はそう言って、くすりと笑う。私は誤魔化すように、トーストを一口かじった。母の観察眼の鋭さは、昔から変わらない。


「新しいマフラー、素敵な色ね。買ったの?」


 母がふと、そう聞いてくる。私は一瞬、答えに詰まった。


「......もらった」


「誰から?」


「......友達」


 私はそれだけ答えて、視線をスープに落とした。母はそれ以上追及せず、ただ小さく微笑んでいた。その微笑みの意味を、私はあえて考えないようにした。スプーンですくったスープの表面が、少しだけ揺れている。


 朝食を終えて部屋に戻ると、私はまたマフラーを手に取った。


 スマホが震えて、通知が届いた。つぐみからのLINEだった。


「昨日どうだった?」


 その短い一文に、私は少し身構える。何と答えればいいのか、うまく言葉が見つからなかった。


「......普通」


 私はそれだけ返信した。既読はすぐについて、返事もすぐに来る。


「普通ね。で、何回マフラー触った?」


 その一言に、私は思わず自分の手元を見た。今もマフラーを両手で持ったままだった。


「......触ってない」


 嘘の返信を送ってから、スマホの画面を意味もなく指でなぞった。


「嘘つき。絶対何回も触ってるでしょ」


 図星を突かれて、私はスマホの画面を見つめたまま、しばらく固まっていた。


 あの人がマフラーを選んでくれた。白を選んだのは、なぜだろう。私に似合うと思ったのだろうか。考えている間、指がマフラーの端を握ったままだった。


 この気持ちの名前は、もう知っている。知っているのに、口にはできない。


 だって私は、まだ怖いのだから。


 好きになったら、また離れる時に痛い。今までの転校のたびに、そうやって自分を守ってきた。最初から近づかなければ、失う時も痛くない。そう思って生きてきたはずだった。


 なのに、藤宮くんは違った。あの人は、私の壁の中に、いつの間にか入り込んでいた。


 方向音痴がバレた時も、料理が壊滅的だとバレた時も、藤宮くんは態度を変えなかった。呆れることはあっても、離れていくことはなかった。その積み重ねが、少しずつ私の防衛機制を緩めていったんだと思う。数えるほどしかない、でも一つ一つはっきり覚えている出来事だった。


 中学の時、仲良くなりかけたグループから言われた一言を、まだ覚えている。どうせまたいなくなるんでしょ。悪意はなかったはずなのに、あの一言は今でも胸の奥に刺さったままだった。言われた瞬間の教室の空気、窓から差し込んでいた光の角度まで、なぜかそこだけ鮮明に覚えている。


 スマホがまた震える。


「そんなに黙り込むってことは、図星なんでしょ」


 つぐみの追及に、私は諦めて正直に返信することにした。


「......何回か触った。多分」


「何回かって、正直に言いなよ。10回? 20回?」


「......覚えてない」


「絶対数えらんないくらい触ってるじゃん」


 つぐみのからかいに、私は苦笑いする。図星すぎて、反論のしようがなかった。


「ねえ、マフラーってどんな感じの?」


 つぐみが興味津々といった様子で聞いてくる。私はマフラーの手触りを、もう一度確かめながら返信を打った。


「......白くて、柔らかい」


「白かー。凛の黒髪に映えそう」


「......映える、と思う。多分」


「多分って、後でちゃんと見なよ、鏡で」


 マフラーを、もう一度顔の近くに寄せる。ふわりと、柔らかい匂いがした。新品の匂いだと分かっているのに、それだけじゃない何かを、勝手に探そうとしている自分がいる。繊維の奥に、まだ包装紙の匂いがかすかに残っていた。


 ......そうじゃなくて。


 昨日、駅までの帰り道で、そう言いかけて止めた言葉があった。あの続きを、藤宮くんに伝える勇気は、まだ私にはなかった。


 スマホがまた震える。


「ところで、キーホルダーは渡せた?」


 つぐみのメッセージに、私は少し照れくさくなる。あの猫のキーホルダーを選んだ時のことを思い出した。


 先週、放課後に一人で立ち寄った、文房具屋の隣の小さな雑貨コーナー。猫モチーフのアクセサリーが並ぶ棚の前で、私は結局30分近く迷っていた。本当は、自分が欲しくて選んでいるだけかもしれない。そう気づいた時、少し可笑しくなった。棚には同じ猫でも表情違いのものが何種類も並んでいて、澄ました顔のもの、片目をつぶったもの、あくびをしているもの、どれも捨てがたくて余計に決められなかった。結局選んだのは、少しだけ目が垂れた、間抜けな顔のキーホルダーだった。


 店員に「プレゼントですか?」と聞かれて、私は少し詰まりながら「......はい」とだけ答えた。それ以上何も聞かれなかったことに、密かにほっとした自分がいた。会計を済ませて店を出た後も、しばらく紙袋の中身が気になって、何度も確認してしまった。


 選んだキーホルダーを鞄にしまう時、少し照れくさい気持ちになったのを覚えている。こんな小さなものを渡すだけなのに、まるで大きな贈り物をするような緊張があった。帰り道、鞄の中で小さく金具が鳴るたびに、心臓まで一緒に跳ねた。


「......渡した」


「反応どうだった?」


 私は昨日の藤宮くんの顔を思い出す。目を丸くして、それからすぐに耳まで赤くなっていた。


「......喜んでた、多分」


「多分じゃなくて、ちゃんと見なよ、そういうとこ」


 つぐみの指摘に、私は苦笑いする。実際、藤宮くんの反応は分かりやすかった。あの人はいつも、感情がすぐ顔に出る。それが、少しだけ羨ましい。


 私は立ち上がって、部屋の鏡の前に立った。マフラーを首に巻き直して、自分の姿を確認する。フローリングの床が素足に冷たくて、思わずつま先を丸めた。


 鏡の中の自分が、少し笑っていた。口元を手で隠しても、目が笑ったままだった。


 昨日、初めて藤宮くんと声を合わせて笑った瞬間を思い出す。「お前じゃん」「......お互い様」。あんな他愛のないやり取りが、こんなに何度も頭の中で再生されるなんて、少し前の私からは想像もつかなかった。


「......笑ってる」


 自分でも驚いて、そう呟く。こんな風に、誰も見ていないところで笑っている自分に、初めて気づいた。


 それが、怖くなかった。鏡越しの自分の顔を、もう少しだけ見つめていたいと思った。


 以前の私なら、こんな風に浮かれた自分を、すぐに戒めていたはずだった。喜びすぎたら、その分だけ失った時に痛い。だから感情を大きくしないように、いつも自分を抑えてきた。


 でも今は、その戒めが、うまく働かなかった。


 スマホがまた震える。


「凛、既読無視しないでよ」


 私はスマホの画面を見つめたまま、しばらく返信を打てずにいた。画面の光が、暗くなった部屋にぼんやり顔を照らしている。「秋月」と呼ぶあの人の声を、頭の中で何度も再生していた自分に気づく。


 私は慌てて返信を打つ。


「......ごめん、考え事してた」


「何考えてたの」


「......別に、何も」


 嘘をついた自覚があった。だが本当のことを、まだ言葉にする準備ができていない。


 窓の外を見ると、雲の合間から冬の淡い陽射しが差し込んでいた。カーテンの隙間から漏れる光が、机の上のマフラーにひとすじ落ちている。


 怖いのと、嫌なのは、違う。


 スマホがもう一度震える。


「今度、詳しく聞かせてよね。デート詳細」


「......デートじゃない」


「はいはい、デートじゃないデートね」


 つぐみの茶化しに、私はそれ以上反論する気になれなかった。むしろ、その呼び方を否定しきれない自分に気づいて、少し戸惑う。


 スマホを机に置いて、私はもう一度マフラーの手触りを確かめた。この色を選んだ理由を、藤宮くんはまだ教えてくれていない。「......なんとなく」とでも言われそうだった。それだけでは、たぶん済まない。


 冬休みは、まだ始まったばかりだった。年末年始、初詣、そして年が明けても、藤宮くんとの日常は続いていく。そのことを思うと、胸の奥に小さな灯りがともるような感覚があった。指先で机の木目をなぞりながら、私はしばらくその感覚に浸っていた。


 スマホがもう一度震える。


「あ、そうだ。年明けたら初詣行く? みんなで」


 つぐみからの提案に、私は少し考えてから返信した。


「......行く」


「藤宮くんも誘う?」


「......誘えば、いいと思う」


「了解。じゃあ日程、後で決めよ」


 つぐみとのやり取りを終えて、私はスマホを机に置いた。年明けにまた藤宮くんと会える。予定はまだ何も決まっていないのに、指がひとりでにマフラーを撫でていた。


 マフラーを首に巻いたまま、私はもう一度鏡を見た。


 鏡の中の自分は、まだ少し笑っていた。


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