白いコートの秋月さん
12月24日。朝から、いつもと違う緊張が体の芯に居座っていた。
教室で凛と顔を合わせても、いつも通りの態度を装うのに苦労した。挨拶を返す声が、自分でも分かるくらい上ずっていた。凛の方も、心なしか普段より口数が少ない気がする。気のせいかもしれないが、確かめる勇気はなかった。
昼休み、いつも通り弁当を広げながらも、俺は何度も言葉を選び直していた。今日誘う、と決めていたのに、なかなか切り出せない。
「藤宮くん、今日、唐揚げ多い」
凛がそう言って、こっちを見てくる。俺は慌てて弁当箱に視線を落とした。
「......ああ、今日は多めに揚げた」
「......何かあった?」
「別に、何もねえよ」
俺は誤魔化すようにそう答えたが、内心では今日の誘い文句をまだ組み立てている最中だった。凛はそれ以上追及せず、卵焼きに箸を伸ばす。
放課後、教室を出る前に、俺は思い切って口を開いた。
「今日、イルミネーション見に行かないか」
凛は一瞬、動きを止めた。
「......二人で?」
「ダメか」
「......ダメじゃない。暇だから」
凛はそっけなくそう答えて、鞄を持ち直した。その返事の素っ気なさとは裏腹に、耳が少し赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
「じゃあ、19時に駅前でいいか」
「......うん」
凛はそれだけ答えて、先に教室を出ていく。俺はその背中を見送りながら、自分の心臓がさっきから落ち着かないことに気づいていた。
一度家に帰って、部屋の姿見の前で服装を何度も確認する。普段着ないシャツに着替えて、また脱いで、結局いつもと大差ない格好に戻った。鏡の中の自分と目が合うたびに、何をそんなに悩んでいるんだと自分に呆れる。だが手はまた別のシャツのボタンに伸びていた。母さんが夜勤前に「おしゃれして、デート?」とからかってきたが、俺は「違う」とだけ返して部屋に逃げ込んだ。
白いマフラーの入った紙袋を確認する。ラッピングは崩れていない。俺はそれを鞄に詰め直して、もう一度家を出た。
駅前に着いたのは、約束の10分前だった。イルミネーションの光が、駅前広場を彩っている。木々に巻きつけられた電飾が、青や白の光を放って、行き交う人々を照らしていた。吐く息が白く上って、その先で光の粒に紛れて消えていく。ポケットに突っ込んだ手のひらが、少し汗ばんでいた。
人混みの中に、見慣れた姿を探す。行き交う人波の合間から、コートの色や髪型で違うと分かっては目を逸らす。それを何度か繰り返した後、それらしい人影が近づいてくるのが見えた。
白いコートに、白い息。俺はしばらく声が出なかった。
白いコートに、黒のタイツ。いつもの制服姿とは違う、私服の凛がそこにいた。長い黒髪を今日は緩く一つにまとめていて、いつもと違う印象を与えている。
「......待った?」
凛が小さく声をかけてくる。俺はしばらく言葉が出なかった。
「......いや、今来たとこだ」
どうにかそれだけ答える。凛は俺の反応に気づいたのか、少し首を傾げた。
「......何」
「別に、何でもない」
俺は視線を逸らして、その場をやり過ごそうとした。だが取り繕った分だけ、余計にぎこちなくなっている自覚があった。
「行こう」
俺がそう言うと、凛は小さく頷いて、隣に並んだ。
歩き出してすぐ、凛のコートの袖が俺の腕にほんの少し触れた。凛はすぐに気づいたように、半歩分だけ距離を空ける。
「......ごめん」
「別に、気にしてねえよ」
俺はそう答えたが、内心では触れた瞬間のことを、まだ意識していた。二人で駅前のイルミネーション通りを歩き出す。
通りの両側の街路樹には、無数の電飾が巻きつけられていた。青白い光が点滅しながら、通りを幻想的に照らしている。行き交うカップルや家族連れが、スマホで写真を撮っていた。どこからか、微かにオルゴール調のクリスマスソングが流れてきて、人混みのざわめきに溶けていく。
「......綺麗」
凛が光を見上げて、小さく呟く。その横顔に、電飾の光が反射していた。
イルミネーションの青い光より、隣の横顔の方がよっぽど眩しい。俺はそれを見ないふりをする作業に、数秒しか耐えられなかった。
「藤宮くん、あそこ見て」
凛が指差した先には、大きなクリスマスツリーが立っていた。てっぺんの星が、ひときわ明るく光っている。
「でかいな」
「......うん。去年もあったっけ、これ」
「去年は俺、ここ来てないから分かんねえ」
凛の眉が一瞬だけ上がって、すぐに元の位置に戻った。
「......そうなんだ」
「ひなたと桐生とは何回か来たことあるけど、去年は忙しくて」
俺がそう答えると、凛はふと表情を曇らせた。
「......そう」
柚木さん、という名前が出た瞬間、凛の相槌がひとつ遅れた。俺はそれだけで、話題を変える理由には十分だと思った。
「寒くないか」
「......平気。マフラー巻いてきたから」
凛はそう言って、首元の紺色のマフラーを軽く引き上げる。俺は鞄の中に忍ばせてある紙袋のことを、ちらりと思い出した。まだ渡すタイミングは、今日の帰り際にと決めている。
通りの途中に、ホットドリンクの屋台が出ていた。俺は少し考えてから、凛を誘う。
「ホットチョコレート、飲むか」
「......飲む」
俺は屋台で二つ買って、片方を凛に渡した。紙コップの熱さが、手袋越しにも伝わってくる。凛は両手でカップを包むようにして受け取る。
「あったかい」
凛がそう呟いて、カップに口をつける。湯気が、凛の頬の辺りに立ち上っていた。
「甘い?」
「......ちょうどいい」
凛は満足そうに、もう一口飲んだ。その様子を見ながら、俺は自分のカップにも口をつける。甘さが、少しだけ緊張をほぐしてくれた気がした。
通り沿いのショーウィンドウに、サンタクロースの人形が飾られていた。凛はそれを見て、ふと足を止める。
「......あれ、動いてる」
「電動なんじゃねえの、多分」
「......ずっと手振ってる。休みなく」
凛は感心したように、しばらくその人形を見つめていた。真剣な横顔で人形の腕の動きを目で追う様子は、まるで理科の実験でも観察しているみたいだった。俺はその横で、凛の観察眼の細かさに、また小さく笑いそうになる。
「そんなに気になるか、あれ」
「......気になる。大変そうだから」
凛の答えに、俺は思わず噴き出しそうになった。人形の心配をする発想が、いかにも凛らしかった。
イルミネーション通りを歩きながら、凛の鼻の頭が寒さで赤くなっているのに気づく。
「鼻、赤いぞ」
「......寒いから」
凛はそう言って、マフラーで鼻の辺りまで隠そうとする。その仕草が妙に幼く見えて、俺は思わず笑いそうになった。
「そんなに隠さなくても」
「......うるさい」
凛は少し拗ねたような声で答えた。だがその声には、怒っている響きはなかった。
通りの終わりまで来ると、広場に大きなベンチが並んでいた。俺たちはそこに腰を下ろして、少し休憩することにする。並んで座ると、二人の間には拳ひとつ分ほどの隙間ができた。近すぎず遠すぎない、その距離感を保つのに、俺は無駄に神経を使っていた。
広場の中央では、噴水がライトアップされていて、水面に青や赤の光が反射していた。周りには、同じようにベンチに座るカップルの姿もちらほら見える。ベンチの木の座面は冷たく、腰を下ろした瞬間、コートの裾越しにその冷たさが伝わってきた。
「今日、誘ってくれてありがとう」
凛が不意にそう言った。俺は少し驚いて、隣を見る。
「......いや、別に」
「......こういうところ、誰かと来るの、久しぶりだから」
凛はそう言って、噴水の方に視線を向けた。マフラーに口元を半分埋めているせいで、表情の下半分は見えない。見えている目元から、ふだんの硬さが抜けていた。
しばらく無言のまま、二人で噴水の光を眺めていた。水面が青く光っては赤く変わり、また青に戻る。3周目の青のところで、凛が隣で小さく息を吐いた。白い息が光の中に混ざって消えた。
「......来てよかった」
凛が不意に、そう呟いた。俺への「ありがとう」でも「楽しかった」でもない、この場所にいること自体への、素直な一言だった。
「......そうか」
俺はそれだけ答えるのが精一杯だった。凛の横顔は、噴水の光を受けて青くなったり赤くなったりしている。まばたきが少なかった。
噴水の向こうで、家族連れの子供がはしゃぐ声が聞こえる。凛はそれを眺めながら、ふっと小さく笑った。
「......寒いけど、悪くない」
「悪くないって、微妙な褒め言葉だな」
「......褒めてる。多分」
凛はそう言って、また噴水に視線を戻す。俺はその横顔を、しばらく見つめ続けていた。
イルミネーションの光が、凛の黒髪を青白く照らしている。この景色よりも、隣にいる凛の横顔の方が、俺の記憶にはずっと強く焼きつきそうだった。
「そろそろ、戻るか」
俺がそう言うと、凛は小さく頷いて立ち上がった。だが立ち上がった拍子に、ベンチの下に落ちていた自分のマフラーの端を踏みそうになる。
「あ」
俺は反射的に手を伸ばして、凛の腕を支えた。指先に触れたコートの生地の向こうから、体温がじんわりと伝わってくる。凛は一瞬体勢を崩しかけたが、すぐに体勢を立て直す。
「......ありがとう」
「大丈夫か」
「......うん、平気」
凛はそう言いながらも、俺に支えられた腕の辺りを、少し気にするような素振りを見せた。俺はその手をゆっくり離して、何事もなかったように立ち上がる。
二人でベンチを離れ、来た道を戻り始める。
来た時と同じ通りを、今度は逆向きに歩く。行きに見た電飾が、また同じ順番で目の前を通り過ぎていった。だが同じ景色のはずなのに、行きよりもずっと近くに感じられた。
駅が見えてくる頃には、辺りはすっかり夜の色に染まっていた。街灯の光が、歩道に長い影を落としている。行き交う人の吐く息が、街灯の下でだけ白く浮かび上がって、すぐに闇に消えていった。
「今日、寒かったけど楽しかった」
凛がぽつりと呟く。
「そうか。俺もだ」
「......また、来ようね」
その一言に、俺は少し驚いて隣を見た。凛はまっすぐ前を向いたまま、歩き続けている。
「......ああ、また来よう」
俺はそう答えながら、鞄の中の紙袋の重みを、もう一度確かめた。渡すのは、帰り道の方がいいかもしれない。改札まではまだ数分ある。その間に、渡す時の言葉くらいは決めておきたかった。そう思いながら、俺は凛の隣を歩き続けた。




