三十位の景色
期末テストの結果が返ってきたのは、テストが終わって1週間後の金曜日だった。
花園先生が答案を配りながら、教壇で一言付け加える。
「今回、順位表も後で貼り出すから。頑張った人はちゃんと見てね」
答案が返ってくるたびに、教室のあちこちでため息やら歓声やらが上がる。紙の擦れる音、机を叩く音、小さく舌打ちする声。授業中なのに私語を止める者もいない。俺は自分の数学の答案を受け取って、点数を確認した。
赤ペンで書かれた数字を、二度見した。思ったより悪くない。むしろ、これまでで一番いいくらいだった。手のひらに汗が滲んでいるのに気づいて、慌てて答案をノートの下に滑り込ませる。
国語、英語、古典と、続けて答案が返ってくる。どれも以前より確実に点数が上がっていた。特に古典は、勉強会で凛に教わった助動詞の識別がそのまま出題されていて、思わず声を上げそうになった。
隣の席の凛は、静かに自分の答案を確認している。表情はいつも通り変わらなかったが、時折ペンで小さく丸をつけているのが見えた。おそらく自己採点をしているんだろう。長い髪が机に落ちて、そのたびに指先で耳にかけ直す仕草を繰り返す。集中している時の癖なのか、それとも無意識なのか、俺は答案を見ているふりをしながら、その手の動きを何度も目で追ってしまった。
昼休み、廊下の掲示板に貼り出された順位表を、生徒たちが群がって見ている。人だかりの隙間から、紙の端が見え隠れしていた。俺もその輪に加わって、押し合いへし合いしながら自分の名前を探した。
30位。
自分の目を疑って、もう一度見直す。間違いない。藤宮蒼太、学年30位。
「うそだろ、お前」
隣で覗き込んでいた桐生が、素っ頓狂な声を上げる。
「前の中間テスト、確か45位だったよな」
「ああ、45位だった」
「そこから30位て、どういう伸び方だよ」
桐生は俺の肩を掴んで、順位表ともう一度見比べる。
「秋月さんとの勉強会、そんなに効いてんのか」
「......うるせえよ」
俺は誤魔化すように順位表から目を逸らした。だが実際、否定できる要素がなかった。文化祭前後に中断していた勉強会を再開してから、明らかに理解度が上がっている。凛の教え方が的確だったのも大きい。
順位表をさらに目で追うと、秋月凛の名前が4位のところにあった。中間テストでは2位だったはずだから、少し順位を落としたことになる。それでも学年4位は十分すぎるくらいの数字だった。おそらく、俺の勉強に付き合う時間が増えた分、自分の勉強時間が削られたんだろう。そう思うと、少し申し訳ない気持ちになる。
「秋月さんも相変わらずすげえな」
桐生が順位表を指差しながら呟く。
「努力の量が違うんだろ、多分」
「お前が伸びたのも、その努力に付き合わされてんだからだろうな」
桐生はそう言って、俺の背中を軽く叩いた。俺はそれを払いのけながら、教室に戻る足を速めた。
教室に戻ると、凛はもう自分の席についていた。俺は自分の席に鞄を置きながら、声をかける。
「秋月、見た? 順位表」
「......うん」
凛は短くそれだけ答えて、こっちを見た。
「藤宮くん、30位だった」
「ああ。秋月のおかげだ」
俺がそう言うと、凛はほんの少しだけ目を細めた。
「......頑張ったね」
その一言に、俺は次の返しを忘れた。
「凛、今笑った?」
いつの間にか近くにいたつぐみが、鋭く反応する。
「......笑ってない」
凛はすぐに視線を逸らした。だがその頬は、うっすらと赤みを帯びている。
「絶対笑った。今、確実に笑った」
「......見間違い」
つぐみは腕を組んで、じっと凛の顔を覗き込む。凛はそれを避けるように、少し体の向きを変えた。
「藤宮くんの順位聞いて笑うとか、それもう好きって言ってるようなもんじゃん」
「......違う」
凛は短くそう言い切ったが、耳まで赤くなっているのは誤魔化しきれていなかった。俺はその様子を横目で見ながら、口元が緩みそうになるのを堪える。
「秋月のおかげだ」
俺がもう一度そう言うと、凛は少し困ったような顔をした。
「......そう。じゃあ、お礼してね」
思いがけない返しに、俺は一瞬言葉に詰まる。
「お礼って、何すればいい」
「......考えておく」
凛はそれだけ言って、机の中から次の授業の教科書を取り出す。俺はその横顔をしばらく見ていたが、それ以上何も聞けなかった。
「おいおい、お礼って何する気だよ」
桐生が興味津々といった様子で割り込んでくる。
「秋月さん、まさかデートとか誘う気か?」
「......考え中」
凛はそっけなくそう答えるだけで、詳細は明かさなかった。俺はその答えの意味を測りかねて、少し落ち着かない気分になる。
「知らねえよ、俺も」
俺は誤魔化すように言って、教科書を開いた。桐生はまだ何か言いたそうにしていたが、チャイムが鳴って、次の授業の教師が入ってくる。
「はい、席着いて」
教師の声に、教室の空気がざわつきながらも収まっていった。俺は自分の席で、さっきの凛の「お礼してね」という一言を、まだ頭の中で反芻していた。
放課後、いつものように教室を出る前に、凛が鞄を持って立ち上がる。
「今日、テスト返却祝いする?」
「祝いって、何すんだよ」
「......甘いもの、食べたい」
凛は素直にそう言った。俺はその即答ぶりに、少し面食らう。
「いいぞ、行くか」
二人で昇降口へ向かう途中、桐生とつぐみが後ろからついてきた。
「あたしも混ぜて」
「俺も行くわ」
「......別に、いいけど」
凛は少し戸惑ったような顔をしたが、拒否はしなかった。4人で駅前のカフェへ向かうことになる。
道すがら、桐生がスマホをいじりながら話しかけてくる。
「そういや、期末終わったらすぐ冬休みだよな」
「もうそんな時期か」
「冬休み、暇な日あったら遊ぼうぜ。ゲームでもいいし」
「気が向いたらな」
俺がそう答えると、桐生は不満げに口を尖らせた。
「もうちょい乗り気で返せよ」
「うるせえ、暇があったらって言ってんだろ」
つぐみが呆れたように口を挟む。
「藤宮くん、この時期忙しいんじゃない? 色々と」
その言い方に、何か含みがある気がした。俺は誤魔化すように視線を逸らす。
「......何が言いたいんだよ」
「別にー? 何も」
つぐみはにやにやしながら、それ以上は言わなかった。
カフェに入ると、暖房の熱気と焙煎豆の香りがふわりと押し寄せてきた。窓際の四人掛けの席に案内され、凛は俺の対角に腰を下ろす。桐生とつぐみはさっさと隣り合って座り、メニュー表を奪い合うように広げた。
凛はメニュー表をじっくり見比べて、季節限定のモンブランパフェを選んだ。
「凛、それカロリーやばくない?」
「......テスト頑張ったご褒美」
凛はそう言い切って、迷わず注文する。つぐみはそれを見て、感心したように笑った。
「凛、最近ちょっとずつ図太くなってきてない?」
「......そう?」
「そうだよ。前だったら絶対『別に、そんなの......』とか言って遠慮してたじゃん」
つぐみの指摘に、凛は少し考えるような顔をした。
「......藤宮くんのおかげ、かもしれない」
その一言に、俺は思わず咳き込みそうになった。
「秋月、急に何言い出すんだよ」
「......事実だから」
凛は平然とそう答えて、運ばれてきたパフェにスプーンを入れる。桐生がそれを見て、盛大にニヤニヤし始めた。
「お前ら、傍から見てて分かりやすすぎるだろ」
「......何が」
「何がじゃねえだろ、お前の目は節穴か!?」
桐生が声を張り上げると、店内の何人かがこっちを見た。俺は慌てて桐生を黙らせる。
「声でかいんだよ、お前は」
「事実言ってるだけだろうが」
つぐみが呆れたように口を挟んだ。
「桐生、あんたも大概うるさいから静かにしなよ」
「白河には言われたくねえよ」
二人がいつものように言い合いを始める。凛はそれを横目に見ながら、パフェのモンブランクリームを口に運んでいた。その様子がどこか楽しそうに見えて、俺はまた見とれてしまう。
「藤宮くんも食べる?」
凛がふとスプーンを差し出してくる。俺は一瞬固まった。
「......いや、いい」
「......そう」
凛は特に気にした様子もなく、自分の口にスプーンを運ぶ。だが今のやり取りだけで、ストローを咥える手元が定まらなかった。桐生がそれを目ざとく見つけて、にやにやしながらこっちを見てくる。俺はその視線に気づかないふりをして、自分の飲み物にもう一度口をつけた。
カフェを出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。桐生とつぐみは駅の反対方向へ向かい、俺と凛だけが同じ電車に乗る。
「今日、楽しかった」
凛がぽつりと呟く。
「そうか、良かったな」
「......うん」
凛は小さく頷いて、窓の外を眺めた。電車の窓に、街の明かりが流れていく。
しばらく無言の時間が続いた後、凛が不意にこっちを向いた。
「藤宮くん」
「......何」
「今度、時間ある?」
「あるけど、いつ」
凛は少し言い淀んでから、はっきりと口にした。
「......24日、空けておいて」
俺はその日付を二度、頭の中で確認した。12月24日。クリスマスイブであり、同時に凛の誕生日でもある日だ。
「......分かった」
俺はそれだけ答えるのが精一杯だった。凛はそれ以上何も言わず、また窓の外に視線を戻す。窓枠に置いた指が、こつ、こつ、と2回だけ鳴って止まった。
俺の方はといえば、頭の中で予定を思い返していた。冬休みに入ってすぐの日で、特に約束もない。断る理由なんて、どこにもなかった。
駅に着いて、改札で別れる。
「じゃあ、また明日」
「ああ、また明日」
凛はそう言って、人混みの中へ歩いていく。俺はその背中を見送りながら、さっきの「24日」という一言を、何度も頭の中で繰り返していた。
これまでの誘いは、大抵俺の方から声をかけていた。凛の方から予定を作ろうとするのは、珍しいことだった。
帰りの電車の中で、俺は「24日、空けておいて」を頭の中でもう一度再生した。空けておいて、の後に凛が何か言いかけて、やめた。あの続きが何だったのかは、聞けなかった。
家に着いて、自分の部屋の壁掛けカレンダーに目をやる。12月24日のマスは、まだ何も書き込まれていなかった。俺はペンを取って、そこに小さく丸をつける。丸が少し歪んだ。書き直そうとして、やめた。




