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隣の秋月さんは絶対デレない  作者: Studio Yodaca
冬──義理チョコは手作りしない

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ファミレスの窓際

 期末テストまで、あと1週間を切った。


「藤宮くん、今日から勉強会、再開する?」


 放課後、鞄に教科書を詰めていると、凛がそう聞いてきた。俺は顔を上げて、少し考える。


「ああ、そろそろやらねえとまずいな」


「......うん」


 凛は小さく頷いて、自分の鞄を持ち直した。


 二人だけの勉強会は、文化祭の準備期間からしばらく途絶えていた。あの頃は色々あって、それどころじゃなかった。柚木さんとの一件、竹林での告白未遂、新幹線での距離。振り返れば、たった数か月の間に色々なことが起きすぎている。


 中間テストの前は、この勉強会がただの「勉強を教え合う時間」でしかなかった。凛の方向音痴や料理の壊滅ぶりに呆れたり、たまに見せる素の表情に驚いたりするくらいで、それ以上の意味は考えていなかった。


 だが今は違う。この時間そのものが、俺にとって特別なものになっている。


 俺たちはいつものファミレスへ向かった。駅前の商店街を抜けていく道すがら、凛はマフラーに顔を半分埋めながら、白い息を吐いていた。


「今日、風強いな」


「......うん、寒い」


 凛はそう言って、マフラーをさらに引き上げる。俺はその横顔を見ながら、以前の凛ならこんな風に素直に「寒い」とは言わなかった気がする、とぼんやり思った。


 ファミレスに着いて、いつもの窓際の席に座る。ドリンクバーのコーヒーを二つ頼み、凛は数学の教科書とノートを机に広げた。


「今日は数学からやる。二次関数、苦手だから」


「了解。どこから分かんない」


「......ここ」


 凛がノートの一点を指す。俺はそのノートを覗き込んで、式の続きを書き足していく。凛の手元がすぐ近くにあった。


 以前なら、こんな距離は何とも思わなかった。だが今は違う。凛の指先がノートの端を押さえているだけで、意識が勝手にそこへ向いてしまう。


「......藤宮くん」


「あ、悪い。ここはこうやって、平方完成すればいい」


 俺は慌てて説明に戻る。凛はノートに視線を落としたまま、俺の説明を聞いていた。シャープペンを走らせる音が、店内のざわめきに紛れて小さく響く。


 凛は真剣な顔で式を解いていく。時折、前髪をかき上げる仕草をする。その度に、俺はつい目で追ってしまっていた。


「......何」


 凛がふと顔を上げて、こっちを見てくる。俺は視線を逸らしそうになるのを堪えた。


「教え方うまいなと思って」


「......そう」


 凛は短くそれだけ答えて、また問題に向き直る。耳にかけた髪を、直す必要もないのにもう一度かけ直していた。俺はシャーペンの芯を2回カチカチと出して、1回分戻した。


 次の問題に取り掛かる。凛がペンを走らせながら、俺のノートの余白に補足を書き込んでいく。


「ここ、こう解いた方が早い」


「......マジか。ずっとこっちのやり方でやってた」


「非効率」


 凛はそっけなくそう言いながらも、俺のノートに丁寧に別解を書き足していく。その筆跡は几帳面で、癖のない綺麗な字だった。


 次は英語の長文問題に移った。凛が問題文を読み上げながら、要点にペンで印をつけていく。


「ここの構文、前も出てきたやつ」


「......そうだったか」


「テストに出るとしたら、多分ここ」


 凛は問題集の隅に小さく丸をつける。俺はそのページを覗き込んで、頷いた。


「秋月、ほんと勉強教えるの上手いな」


「......慣れてるだけ」


 凛はそっけなく答えたが、視線がわずかに泳いでいた。俺はそれを指摘せず、ただノートに視線を戻す。


 古典の問題に移ると、凛は途端に口数が少なくなった。


「......これ、分からない」


「どれ」


「助動詞の識別」


 凛は少し眉を寄せて、問題文を睨んでいる。俺はその横に自分のノートを広げて、活用形の一覧を書き出した。


「ここは連用形接続だから、この助動詞じゃなくてこっち」


「......ああ、なるほど」


 凛は頷きながら、俺のノートを覗き込む。顔の距離が、思ったより近かった。俺は動揺を悟られないよう、ノートに視線を落としたまま説明を続けた。


「数学は得意なのに、古典は苦手なんだな」


「......暗記、苦手」


「意外だな。暗記系、得意そうなのに」


「......そう見える? よく言われる」


 凛はそう言って、少しだけ口元を緩めた。俺はその表情の変化を見逃さないよう、目を凝らしてしまう自分に気づいた。


 しばらく問題を解き進めていくうち、凛が新しい問題に移ろうとしてノートのページをめくった。その拍子に、机の上に置いていたシャープペンが転がり落ちる。


「あ」


 凛が短く声を上げた。俺も反射的に手を伸ばす。


 二人の手が、机の下でほとんど同時にペンに触れた。


 指先が、一瞬だけ重なる。


 時が止まったような感覚があった。凛の指の冷たさが、俺の手の甲に伝わってくる。俺はそのまま動けなかった。


 凛が先に手を引いた。


「......ごめん」


「......いや」


 俺はペンを拾い上げて、凛に差し出す。凛はそれを受け取りながら、視線をこっちに合わせなかった。耳が、少し赤くなっている。


 俺の心臓は、さっきから明らかにおかしな音を立てていた。ただペンを拾おうとしただけだ。それだけのことに、こんなに動揺する自分が、我ながら情けなかった。


 ......落ち着け。深呼吸だ。


 自分にそう言い聞かせながら、コーヒーカップに口をつける。だがカップの中身はもうすっかり冷めていて、味がよく分からなかった。


「......次、いく?」


 凛が静かに聞いてくる。俺は頷いて、また問題集に視線を落とした。


「ああ」


 それからしばらく、二人とも黙って問題を解き続けた。シャープペンの音と、店内に流れる控えめなBGMだけが耳に残る。だが俺は、さっきの指先の感触が、まだ手の甲に残っている気がしてならなかった。


 凛の方も、口数が減っていた。問題を解く手は止まっていないのに、時折視線がノートから逸れて、また戻ってくる。逸れた先がどこなのかまでは、怖くて確かめられなかった。


 店員がドリンクバーの飲み物を勧めに来て、俺たちは同時に「大丈夫です」と答えた。息の合ったその返事に、凛が一瞬だけこっちを見て、また視線を戻す。


 1時間ほど経って、凛が伸びをしながら教科書を閉じる。


「今日はこのくらいにする」


「そうだな」


 俺もノートを閉じて、鞄にしまう。窓の外はもう暗くなっていて、街灯の光が道路を照らしていた。


「秋月、次の勉強会、いつにする」


「......明後日でいい?」


「ああ、いいぞ」


 凛は頷いて、伝票を手に取ろうとする。俺はそれより早く伝票を掴んだ。


「今日は俺が出す」


「......いいよ、別に」


「いいから。ココアの礼、まだしてねえし」


 凛は少し驚いたような顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。


「......ありがとう」


 以前の凛なら、こういう場面では「......別に」で流していたはずだった。だが今は素直に礼を言う。その変化に、俺はまた気づいてしまう。


 レジに向かう途中、凛が財布を取り出そうとする。


「割り勘でいいのに」


「別にいいって、大した額じゃねえし」


「......今度、何かで返す」


「別に、そういうんじゃねえから」


 俺がそう言うと、凛は少し不服そうに口を尖らせた。それでも財布をしまって、大人しく従う。その仕草も、以前より柔らかくなっている気がした。


 店を出て、駅までの道を並んで歩く。冬の夜風が、二人の間を通り抜けていった。


「藤宮くん、テスト、頑張ろうね」


「ああ、頑張る」


「今回、順位上げたい」


「秋月、中間の時、学年2位だったよな。もう十分上位だろ」


「......もっと上、目指したい」


 凛はそう言って、少し先を歩く。俺はその後ろ姿を見ながら、さっきの指先の感触をもう一度思い出していた。


 中間テストの前にも、こうして凛の隣で勉強したことがあった。あの時の自分が何を見ていたのか、もう思い出せない。今日は、シャーペンを持つ指の形まで覚えてしまった。


 駅の改札で別れ際、凛が一度だけ振り返った。


「......また明後日」


「ああ、また」


 凛は小さく頷いて、改札の向こうへ消えていく。俺はしばらくその場に立って、人混みの中に消えた背中を見送った。


 ホームへ向かう人波に紛れて、凛の姿はすぐに見えなくなった。それでも俺はしばらく改札の前から動けずにいた。今日一日で、また何かが少しずつ変わっていっている気がした。


 帰りの電車に揺られながら、俺は手のひらを開いて、さっきの感触を確かめるように見つめた。ただの偶然だ。ペンを拾おうとして、手が重なっただけだ。それだけのことなのに、まだ胸の奥がざわついている。


 この距離感に、いつまで俺はこんな風に振り回されるんだろう。


 家に着いて、玄関を開ける。母さんはまだ夜勤から帰っていなかった。俺は誰もいない部屋に「ただいま」と呟いて、靴を脱いだ。


 台所の電気をつけて、冷蔵庫から麦茶を出す。グラスに注ぎながら、今日のファミレスでのやり取りを、また頭の中で繰り返していた。ペンを拾おうとした時の指先の冷たさ。凛の耳が赤くなっていたこと。伝票を渡す時の、少し不服そうな顔。どれも些細なことなのに、頭から離れなかった。


 自分の部屋に戻って、鞄からノートを取り出す。凛が書き込んでくれた別解の筆跡が、そこに残っていた。俺はしばらくその文字を眺めてから、ノートを閉じた。


 テスト範囲はまだ半分も終わっていない。明後日も、また同じファミレスで、同じ窓際の席に座るんだろう。凛の手元がすぐ隣にあって、ペンが触れそうな距離で問題を教え合う。


 俺は明後日の持ち物を、もう頭の中で数え始めていた。シャーペンの替え芯。それと、凛が「甘すぎる」と文句を言っていたミルクティーじゃない方の紅茶。


 スマホを開くと、凛からの短いメッセージが届いていた。


「古典、もう少しやっておいて」


 それだけの業務連絡じみた一文に、俺は笑ってしまう。返信を打とうとして、少し迷ってから送った。


「了解、頑張る」


 既読はすぐについたが、返事は来なかった。俺はスマホを机に置いて、参考書を開く。


 開いたページは、今日ファミレスで凛に教わったところだった。余白に凛の字で「符号」とだけ書き込みがある。俺が2回続けて符号を間違えた時に、無言でペンを伸ばしてきて書いたやつだ。


 その二文字の隣に、俺は自分の字で「了解」と書き足した。書いてから、我ながら意味が分からなくて消しゴムをかけた。紙の上に、跡だけがうっすら残った。


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