最終話
光が消え、目が慣れてくるとユニフォーム姿の秋人が見えた。
日が傾き、夕焼けに染まった秋人は私の墓地の前に佇んでいる。
シリルは離れた所に立ち、見守るような眼差しでこちらを見つめていた。
もう、原島さんもいない。
きっと、これが本当に最後の別れ…。
「秋人…」
愛しい背中に語りかける。
もちろん、彼は振り向かない。
私の墓石をじっと見つめ、何かを伝えようとしていた。
私は秋人に今の想いを伝えたくて口を開く。
「っ……」
でも、それは言葉にならなかった。
秋人と出会って、まだ一年と少し。
それでも、数え切れないほどの多くの思い出が脳裏をよぎり、たくさんの想いが心に渦巻いていて、言葉として紡ぎだす事ができなかった。
一番伝えたいことは、何だろう。
なんて言えば、この想いは伝わるのだろう…。
歯がゆい想いでいっぱいになり、言葉の前に涙が零れ落ちる。
伝えたいのに、言葉だけでは伝えられない想い。
もっともっと、生きているうちに伝えておけばよかった…。
「……!?」
突然、言葉もなく涙を流す私の周りを、あの優しい光が包み込む。
「シリル君、待って!」
秋人に伝えたい言葉は見つけられない。でも、もう少しそばにいたかった。
哀願するように振り向いた私を、シリルは切なげな瞳で受け止める。
「…ほんとは、違反なんですけどね」
ポツリとつぶやいたシリルの言葉の意味がわからず呆然としていると、溢れ出す光がシリルの姿を隠してしまった。
「シリル君!?」
まるであの白い空間のように、辺り一帯が柔らかな光だけの空間になる。
シリルもやはり見当たらない。
ここが天国?
動揺して辺りをきょろきょろしていた、その時だった。
「ア…コ…?」
背後から聞こえた声に、ドクンと心臓が跳ね上がる。
「アコっ!」
振り向いた時には、私は温かい腕の中にいた。
「秋…人…?」
そう、光の中には私と秋人だけが存在していた。
シリルの言葉の意味が瞬時にわかる。
秋人の背を見つめただ泣くだけの私に、本当の別れの場を用意してくれたんだ。
生きている人と触れ合える、そんな違法の力を使って…。
「アコ。アコっ…」
何度も私の名を呼ぶ秋人。
その存在を確かめるかのように、痛いほど強い力で私を抱きしめる。
「秋人…」
私の声に秋人はようやく腕の力を緩め、私の顔をじっと見つめた。
自然と唇と唇が触れ合う。
まるで二人で一つの存在かのように、僅かな隙間もなく抱き合った。
言葉で伝えられない想いを、その温もりで伝えようとするかのように…。
「愛してる…」
唇が離れた後、最初に出た言葉はそれだった。
「私、秋人に出会えてよかった。たった十七年の人生でも、こんなにも愛しくて、こんなに愛してくれた人に出会えた私は、幸せだよ」
笑顔でいるのに、何故か瞳からは涙が零れ落ちる。
悲しみの涙じゃない。嬉し泣きとも、少し違う。
愛しくて、愛しくてたまらなくて込み上げた涙。
その涙を、秋人は唇でそっと拭う。
「俺も、アコに出会えて幸せだよ。アコと過ごした一年間が、今までで一番輝いていた時間だった」
潤んだ秋人の瞳に、私が映っている。
「誰よりも愛してる。これから先も、ずっと…」
秋人は私が大好きな笑顔を浮かべ、そして再びそっと口づけをした。
「ちゃんと伝えたかったんだ。あまりに突然の別れで、最後に何も言えなかったから」
「私も…秋人の事ずっと好きだよ」
二人でおでこをコツンとあてて、微笑みあう。
一緒にいられる時間はあと僅か。それでも、最高に幸せな時間だった。
「心配かけただろ。ごめんな。あと、お守りもありがとう」
秋人は優しく私の髪をなでた。
「ううん。秋人のこと、信じてたよ。ちゃんと前を向いて進んでくれるって。周りの優しさに気付いてくれるって」
秋人の試合での姿が脳裏に浮かぶ。
「かっこよかったよ、秋人。最後に試合が見れてよかった。秋人の真剣な瞳が大好きだった。すごく、勇気をもらったよ」
笑顔の私の額に、秋人は軽くキスをする。
「アコが、応援してくれたから頑張れたんだよ。それに、最後じゃない」
「え…?」
見上げる私を、秋人は笑顔で受け止める。
「藤崎亜沙子と井沢秋人として会えるのは、今が最後の時かもしれない。でも、俺達はまたきっとめぐり合える。どんなに姿が変わっても、生まれ変わって今の記憶がなくなっても、俺はまたアコを愛するよ。必ず」
「秋人…」
再び涙が溢れ出てくる。
「だから、俺は今の残された人生を精一杯生きる。またアコにめぐり合えた時、もっといい男になっていられるように。また、アコに愛してもらえるように。だから、アコも新たな道で頑張れ。どんなに離れていても、次に出会えるのがいつかわからなくても、俺の心はずっとアコと一緒だから…」
言葉では言い表せないほど、秋人を愛しいと思った。
涙でぼやける彼に、私は唇をかさねる。
優しく温かい腕で、秋人は私を抱きしめる。
「私も、もっと素敵な人になるね。またいつか、秋人と同じ道を歩める時が来るまでに、もっともっと自分を磨くよ」
返事の変わりに、秋人は短いキスをした。
涙に濡れながら、二人の間に笑顔が溢れていた。
「あ…」
私達を包み込んでいた光が、突然変化し始める。
上空に気配を感じで見上げると、大きな羽をはばたかせたシリルがいた。
「…もう、行かなきゃいけないんだな」
秋人が悲しげにつぶやく。
「うん。私をここまで導いてくれた天使さまが迎えに来てくれたから…」
短い、別れの時間。
でも、直接言葉を交わし、温もりを感じあえた、至福の時だった。
「…さよならは言わないよ、アコ。また会えるって信じてるから」
「うん」
私の体が優しい光とともに、ふわっと浮き上がる。
秋人は宙に浮いた私の体をそっと抱きしめ、優しく暖かいキスをした。
そっと唇を離し目を開くと、秋人の瞳に笑顔の私が映っていた。
温かいものが私の心に溢れる。
「また会おうね、秋人」
「またな、アコ」
そして、私の体はさらに上空に浮いていった。
秋人とつないでいた指先が、とうとう離れる。
徐々に小さくなっていく秋人の唇が、ゆっくりと動く。
あ・い・し・て・る
穏やかな彼の笑顔が、私の心の傷を全て癒していった。
これは永遠の別れじゃない。
また、新たに出会うための最初の一歩。
「さぁ、参りましょう」
上空で待っていたシリルが、小さな腕を差し出した。
「うん」
私は心からの笑顔でそれに答え、その手をとった。
目の前に、光の扉が現れる。
シリルは手に持っていた杖でその扉を開いた。
私はシリルと手をつないだまま、その扉をくぐる。
決して消えることのない彼の愛の灯火を胸に抱いて、新たな世界へ旅立つため、心優しき天使とともに、私は歩き始めた…。