第88話-1 出逢い
第88話-1
「じゃ、またね、うみ」
「うん。また」
海野美優と、親友の吉川りこ。
二人が北藤翔太の家の前、
つまり、星城学園のある星見山の麓まで、
一緒に下校するのは、日課のようになっていた。
りこは、美優が翔太と同居していることを知っている。
でも、からかったりしない。
りこはこう考えている。
──うみと北藤くんは、惹かれ合っている……幼なじみの距離を、もう越えかけている。
二人の関係を理解し、信用していた。
もし男女の仲になっても――そのほうが二人には幸せだろう。
りこはそう思えるくらい、応援している。
そもそも自分が恋愛体質だ。
(あの二人、眺めていると心があったかくなるんだよね~)
少しずつ、異性として意識し合っていく二人を眺めていたい。
そして、自分のことのようにドキドキするのが、りこにはたまらないご馳走なのだ。
いわゆる推しカップル。
だから、見ているだけで胸があたたかくなる。
◆ ◆ ◆
そんなりこにとっては、何事もなかった夏休み。
二学期に入ってから、すでに一週間は経過している。
「ゴスロリ少女事件」という惨劇のせいで、夏休みの終盤はほとんど外出できなかった。
規制が解けた頃には、もう二学期が始まっていた。
恋をする暇も、出逢いすら、りこは奪われていた。
(私の方は、思い出らしい思い出、作れなかったなあ)
美優と別れた後、ひとり帰りながら、道端の石ころを蹴る。
(うみと、北藤くんは、なんか進展あったかな)
美優は、わざと素っ気なくしたり、ここぞという時にしか分かりやすいことをしなかったり……恋の出し方が不器用だ。
いわゆる、意地っ張り。
──きっと、ツンデレだ。
そう思って、クスっと笑う。
(あってもおかしくないよね~。だって、ひとつ屋根の下だもん♪)
一方のりこは、ストレートに想いを伝えるタイプだ。
恋をしてしまうと、あまりに分かりやすく態度に出ると、自分でも、分かっている。
(うみは、好意を外に出さないタイプだからなあ)
ちょっと、にやにやしているりこの脳裏には二人の顔が浮かんでいる。
(やっぱり……何か、進んでる気がする)
想像するだけで、胸のあたりがほんのりとあたたかい。
(もしかして、私が想像しているより、もっと先に……)
ひとりで、キャッと叫んで真っ赤になった顔を隠したり、大騒ぎしている。
その、隠した指の隙間から、りこは、ある人影を見た。
そこは以前、映画館があった場所だ。
今は魚介類の加工工場になっていて、角を曲がればアーケード型の商店街・新町へ抜ける。
そこにいたのは──
(……えっ!)
ふわふわのショートの髪。
くりくりと大きな目。
少年ぽさを残した表情。
(……可愛い──)
だが、少年っぽさを残しつつも――成人だ。
目を引く美青年だった。
(大人の余裕を感じる……)
つまりいわゆる、どタイプの青年が前から歩いてくるのが目に入った。
思わず、居住まいを正し、前髪を気にする。
その美青年は、スマホを見ていた。
おそらく地図アプリ。
外から来た人だろうか。
迷子のようだ。
ふと、昨今の悲惨な事件の数々を思い出す。
でも、怪しい人ではなさそうだ。
りこの警戒心は、きれいに溶けていた。
ただ、見惚れてしまった。
(すごくタイプ……)
外出規制は解けても「厳重注意」。
学校からも親からも、耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。
それを、りこは意識的に無視した。
(こんな人、水城に、いたっけ……)
この街で、見たことがない青年。
近づく。
目が合いそうになる。
ギリギリ、合わない。
(あ、もうちょっとだった……)
目が合ったら恥ずかしくて、キョドってしまうクセにりこはそんなことを考えている。
胸をときめかせながら、その横を通り過ぎる。
いや。
(まあ、そうだよね……)
通り過ぎようと思っていた。
だが。
ドン!
前を見ていなかったせいだろう。
青年が少し進路を変えた瞬間、肩がぶつかった。
「きゃ!」
りこは思わず尻もちをつく。
「いたた……」
口に出し、立ち上がろうとする。
そこに、スッと手が伸びてきた。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
それは、あの美青年の手だった。
(ええええええええっ!)
思わずりこは、その青年の顔をまじまじと見てしまう。
整った顔だち。幼く見えるが、しっかりと大人の落ち着きを灯した瞳。
顔が赤らむ。
どう返したらいいか、あわあわとする。
「すみません。ちょっと地図に夢中で、前をしっかり見ていませんでした」
美青年の手は、りこに差し出されたまま。
りこは迷う。
この手を、取るべきか、自分で立ち上がるべきか。
しかし、りこが決断するより早く、美青年のほうから、りこの手を取ってきた。
──え?
「大丈夫ですか? お怪我はないですか?」
りこの顔は、耳まで紅に染まっていた。
「あ、いえ、あの」
口から出てくる声が、もはや言葉にならない。
「あの、大丈夫っていうか、大丈夫! いえ、逆にすみません……で、でも、本当に大丈夫ですから」
やたらと、「大丈夫」を繰り返してしまう。
そんなりこを見て、青年はぷっと吹き出した。
「よかった。大丈夫のようですね」
美青年は、しっかりと手を引いて、りこを立たせる。
それから、当然のごとく、その手は自然にりこから離れていった。
「あ……」
──しまった!
つい、言葉になっちゃった。
(せっかく、手をつないでいたのに……)
そんなことを思ってしまっていたのだ。
──恥ずかしい。私、何してんだろ。
意味もなく、スカートのお尻の部分をパンパンと叩く。
それを青年はにこやかに眺めている。
何か、何か、言った方がいいのだろうか……やはりお礼? それとも、逃げる?
いや、連絡先……
「無事そうで、良かった。それじゃ……」
(あれ……?)
慌てているりこを尻目に、美青年はあっさりと、背を向けてしまった。
その背中を、つい目で追いかけてしまう。
よく考えれば、当たり前だ。
こっちは女子高生で、相手は大人。単なる通行人同士。
だが、気になってしまう。
自分の中の動揺はもちろん、
彼の一挙手一投足まで。
角にその背中が消えるまで。
ずっと眺めてしまう。
やがて、その美青年は、街角に消えた。
しばらく、そこに立ち尽くしてしまうりこ。
(もうっ!)
自分に憤る。
(名前ぐらい、聞いておけば良かった!)
出来るはずもないのに、自分なら出来たかも知れないという、思春期独特の無謀な後悔。
その素直さがりこのいいところだった。
そして、余韻に浸る。
また、戻ってこないかな。
もう一度、会えたりするかな。
そんな一瞬の無謀が、りこの心をいっぱいにした。
(でも……)
理性は、かろうじて踏みとどまろうとしていた。
(今日は、いいことがあった、ってことにしておこう)
明日を。未来を考えるように、脳が命令する。
(そう思うだけで、私は幸せだから)
“運命の出会い”なんて、そうそう訪れるものじゃない。
人生は、一瞬のときめきの連続だ。
その場では“運命”だと思っても、数分後にはもう過去になる。
いちいち全部を抱え込めば、心がもたない。
だから、その“一瞬”を楽しみ、思い出にして積み上げていく。
それが、りこなりの青春であり、人生だった。
これも、美優がりこを好きな理由だった。
意外とあっさりとした思考。
今を積み重ねて、それが人生という長い道のりの一歩一歩になるという気の長い考え方。
でも、沼に落ちる時は落ちる。
それを美優がしっかりと正してくれる。
──思春期は、ときどき“今の自分がどこにいるのか”を見失わせる。
だから、自分を少し引いた目で見る必要がある。
その客観性も、りこは、わずかながらに持ち合わせていた。
単なる食いしん坊ではない。
だからこそ、美優も放っとけず、かと言って近づきすぎることもなく、
でも、学校ではいつも一緒なのだ。
(けど……)
とは、思ってみる。
なかなか止められる想いではない。
(……また、どっかで……)
会えたら良いな──
(そう思うぐらい、いいよね)
そして歩く。
前へ。
自宅へ。
明日へ。
りこは、幸せな記憶を胸に、次に訪れる未来へ向かって進んでいく──!




