第87話-2 六芒星の瞳
第87話-2
「色は……おそらく緑でしょう。そして背後に背負っている弓」
「あと手に、棒のようなものを持っているようだな」
「……棒状の──機械仕掛けの武器に見えます。弓とは別に」
「機械仕掛けの武器だって?」
──なんで、それが機械仕掛けだって知ってる?
こいつは、なぜか、断言した物言いをする。
未確認な情報さえ、見つけ出し、絞り込み、ふるいにかける。
だが、これがもし、本当にソロモン72柱の誰かだとしたら。
「六芒星……ソロモン72の魔王……緑の狩人……弓矢……腐蝕」
もう、大熊は、この時点で、ある“正解”をすでに導き出していた。
八雲もそれを知っているかのように、こう言う。
「こんな格好をした怪異なんて一つしかありません」
「魔王レラージェだな……?」
「……ええ。レラージェです」
八雲は、うれしそうに笑った。
「分からない分からないなんて言って。大熊さんもかなり勘がいいじゃないですか」
「腐蝕の悪魔……。また人間を争わせる戦闘の神、か……」
「そうです。その持つ弓矢は傷を癒やしも腐蝕もさせると言います」
「その逸話から見る限り、この人影が、その魔王だっていう可能性はワシだって浮かぶ」
魔王クラス……
『カスケード』が魔王クラスを呼び出したという報告も、過去の資料などにある。
それでも、そこまで大物に、
まさか生きているうちにお目にかかれるとは思っていなかったが。
「古い写本では“サルガタナスの右腕”と記されてたな。
魔王つっても、またかなり位相の高いクラスだろ」
「ええ。序列14番目にして、地獄の大公爵。それがレラージェです。
そのサルガタナスのさらに上は──アスタロト」
「地獄でも、素手で名前を呼ぶのを嫌がられる存在だな」
「ええ。つまりレラージェは、その魔王アスタロトの軍門のすぐ下の実戦指揮官。
国家で言うなら特殊部隊の隊長クラス」
「バックも洒落にならねえってわけだ」
調子を合わてはいるが、正直なところ、大熊はこの若者をそら恐ろしく感じていた。
そもそもアスタロトとは、この世の“神秘”に関わる人間たちにとって、
その名が、サタンやルシフェル、ベールゼバブと同じぐらい恐ろしく、
その名を出すだけでもためらわれるほどの大悪魔だ。
それをこの若造は、いとも簡単に口にした。
(こいつ……)
徐々に不穏が大熊の胸に込み上げてくる。
それでもお構いなしに、弁舌をやめない八雲在斗。
「あ、あと、大熊さんがあの阿修羅像と一緒に見たセイテンタイセイ」
セイテンタイセイ――あの名を聞くだけで、大熊の喉の奥が乾く。
どれだけの班員が犠牲になったか。
「セイテンタイセイはイタズラ好きですので、何を始めるのか予測困難ですが、
これに加えて、ソロモン72柱。しかもアスタロトと関係がある、魔王レラージェ。
……並ぶ名札としては、だいぶ終末寄りになってきましたね。
これは水城が確実に“呼び鈴”を鳴らされている証拠です。おそらくそれは──」
ごくり、と大熊は喉を鳴らした。
だが。
八雲は、そこでふっと笑って言葉を切った。
「……まあ、口に出すには、まだ早いでしょう。それはおいおい……」
その含んだものの言い方に怒りよりも、ますます不信感が募る。
八雲在斗。この男が何者なのか。
──とても、人間を相手にしている気がしねぇ。
「とにかく、この水城で何が起こり始めている。それを目視するために来たのが私です」
──こいつ、逆にその“何か”ってヤツを逆に待ってるんじゃないのか……!?
「とにかく『八雲特別班』で即時の対策を練ります。こちらの指令と情報は、必要な分だけあなた方の班にも降ろしますので」
「そいつは、ありがてえ話だ」
「ねえ、大熊さん。いいですか?」
やっとのことで答えた大先輩の大熊に突然、
八雲は諭すように言った。
「まずは、セイテンタイセイ、レラージェ、この二つを何とかしなければならない。
魔王アスタロトをここに顕現させていはいけません。少なくとも現状では……」
「現状では?」
その背景までもが不気味に思える。
つまり、国際魔術会議。
上層部はどこまで、何を知っているんだ……!?
「ひとまず、問題となるのは、魔王レラージェが、
アスタロトから何の司令をくだされているか、です」
「ああ……」
もう口を開く余裕もない。
「敵の目的を探り、これに対処する。そのためには、今のところ人員を大幅に増やし、監視を強化します。ホムンクルスや天使像はおそらく、レラージェの下僕。ゆえの六芒星でしょう。でも、きっとそれだけじゃあない……。他にも使い魔が潜んでいる可能性がある」
「他にも?」
「ええ。それが何者なのか。我々が始めるべき調査はそこからかもしれない」
「その任務に就くのはいいとしよう。しかし、ワシが最初にくだされた指令。“666の獣”はどうする?」
拳を強く握り、大熊は相手を試すように言う。
「そこへ人員と時間を割いている間に、“獣”が──『反キリスト』が覚醒したとしたら、対処できんのか?」
八雲は大熊の息も絶え絶えな挑発に乗る様子はなかった。
ただ静かに笑って言った。
「もちろん」
──と。
「そのための“八雲在斗”です」
◆ ◆ ◆
「ちくしょう!」
大熊は、叩きつけるようにドアを閉めて廊下に出て来た。待機していた高木英人が駆け寄る。
「どうしたんですか? 大熊さん」
「どうもこうもねえよ!」
二人並んで自分たちの班の会議室へと向かう。
「あいつは、信用ならねえ。ワシの元刑事の勘がそう言ってる」
「八雲さんが? なぜ?」
「詳しすぎるんだ」
「詳しい……?」
「とてもじゃねえが、人間の分析力、判断力、情報力を越えてる。
アレは単なるエリートじゃねえ。
あいつは、法律の外で、神さまみたいな口ぶりで“指示”だけ落としてくる」
「神……?」
「問題なのは……比喩で済ませたくねえ“匂い”がするってことだ」
「何があったんですか、一体。今日の大熊さん、ちょっとおかしいですよ」
「本当におかしいのは、あの八雲、それと本部だよ」
「大熊さん……」
「あいつは、相当、怖い話をしてる。
魔王だぞ? はっ、水城に魔王だとよ。恐ろしいじゃねえか。
ところが、だ。あいつは、心拍が一つも上がってない。
見りゃあ、分かる。あれの心臓は日常そのものだった。
それが――現場の人間には、一番わかりやすい異常だ」
「お……大熊さん、背中が汗で……」
「……あ?」
気づくと、大熊は大量の汗をかいていた。
背中にひんやりとシャツが貼り付いている。
これには大熊自身も驚いた。
──冷や汗か……
(こんな老いぼれに、なんて怖い想いをさせやがるんだ、ちくしょう……)
大熊は歯を噛みしめる。
(ワシが、あの若造に、ビビっちまってるとでも言うのか)
「大熊さん……」
高木の顔は真剣に心配をしていた。
その高木の肩にぽん、と、手を置く。
「高木。ちょっと頼まれてくれねえか?」
高木は肩に置かれた手と、大熊の顔を交互に見る。
「いいですが……。どんな任務ですか?」
大熊は立ち止まる。それに従って高木も足を止める。
そして振り返り、廊下の奥にある、八雲の部屋を睨みつけた。
「八雲在斗。ヤツを張ってほしい。あいつは絶対、何かでけえ秘密を隠してやがる。そしてああ言いながら、実は、ワシらの命なんて、つゆほども心配しちゃいねえ」
大熊の言葉に驚く高木。自分たちの上官を、尾行する……? 考えられない暴挙だ。
だが、相手は大熊英治。超ベテランであり、その直感に高木は何度も救われたことがある。
今回も、何か考えがあるに違いない。
高木は黙って頷いた。
大熊も頷き返す。
(国際魔術会議……。ワシは“人を守る国際組織”だと聞いて入ったはずだ。
現場に血を流させても、市民は守るって教えられた)
自然に肩に力が入る。
(だが今のは違う。あいつ、自分らの計画のためにこの街を観察してやがる目だ。
ワシらも、街も、材料扱い。ワシの刑事の勘が鈍ってなけりゃあな)
ふと高木を見る。
まだ、こいつは若い。
才能もある。
これからの存在だ。
──こいつの命もワシが守らなければならねえ。
(まさか、国際魔術会議そのものを疑う日が来るなんて、思っちゃいなかったがな……)
◆ ◆ ◆
その数分後。
八雲在斗の執務室。
八雲は背もたれにのんびりともたれかかりながら、手を上げて背筋を伸ばしていた。
その口元には、軽く、笑みを浮かべている。
「随分と、楽しい展開になってきましたねえ」
八雲は背もたれに身をあずけ、天井を仰いだ。
誰もいないはずの部屋に向かって、報告でもするような口ぶりだった。
「大体は、予定どおりです。現場の部下だけでなく、“上”にも手順を降ろしておきましょう。混乱は制御しておきたいので」
そして、デスクの引き出しから、ある写真を取り出す。
「……ええ。ですから私は、こっちの方を優先します。……この子を失えば、計画は台無しですからね」
八雲は写真の角を、丁寧に指でなぞった。
そして、その写真に向けて、まるで旧い友人に話すみたいにやさしい声で、静かに名を告げた。
「北藤翔太くん」
国際魔術会議の新たな拠点となった水城支部のホテル。左奥の最も高い場所に八雲は滞在している。
【撮影】愛媛県八幡浜市大黒町「八幡浜センチュリーホテル イトー」




