第242話 お願い
第242話
(……今、なんか出た?)
瑚桃の一瞬の沈黙。
スマホを顔の前に持ち上げたまま、ぱちぱちと瞬きをする。
まるで、ポップアップ広告。
でも、こんなの見たことがない。
何かのコード? 何と書いてあるの……?
ERROR: ACCESS_POINT//OPEN
SIGNAL_LOKI::PING
画面の光が、やけに白く見える。
英語はそこそこ読めるはずなのに、意味がさっぱりわからない。
(え、なにこれ……ゲーム?)
でも、ゲームの広告にしては、どこか冷たすぎる。
そこだけ、遊びの匂いがしない。
(ん~???)
瑚桃は、耳が肩につくほど、大げさに首を傾げる。
髪がさらりと揺れて、頬にかかる。
瑚桃が悩んでいる間に、電話の向こうで、翔太はすぐに異変を察した。
『どうした、何かあったのか、瑚桃』
「え……いや……」
センパイに聞いてみよう──そう思い、その英語を読もうとした時には、その英文字コードは消え失せていた。
(……あれ?)
ついさっきまで、確かにそこにあったのに。
今は、ない。
消えたというより、引っ込んだみたいだった。
スマホの画面は、もういつもの通話画面に戻っている。
(ん~?)
首を傾げたまま、瑚桃は自分のほっぺを指でぎゅうううううっと、つまんだ。
ぷにっと伸びた頬が、ちょっと情けない顔になる。
(……痛ひ(い))
強くひねりすぎた。本気で痛い。ほっぺがじんじんする。
──まあ、深く考えるのは、あんまり得意じゃないしね。
たいていのことは、勢いで何とかなる。
ならない時は、その時だ。
瑚桃は、すぐに元気な声色に戻す。
勢いでごまかせるうちが、いちばん楽だって、どこかで思っている。
「い、いえ。ちょっとなんかエラー? みたいなのが起こったみたいです。でも、大丈夫みたい……。聞こえますか? あー! あー! センパイ! 聞こえますか? 応答どうぞ!!!」
『ちょ……声、デカい!』
瑚桃は大笑いする。
『だから、瑚桃! お前、ちょっと!』
思わず笑い涙を拭く。
「あー。よかった。聞こえてるんですね。いえ。なんでもないんです。なんかエラーコードみたいなのが出たんですよ。でも聞こえてるんだったら、なんでもないみたい。それにしても、あーおかし。そういうとこですよ、センパイ!」
言ってから、頬が熱くなり、慌てて笑いをこらえる。
だが、その間にも妙に心に残る。
笑っているのに、胸の奥がざらつく。
あの文字列。
確か──
(なんか……『LOKI』って文字が入っていた……)
その四文字だけ、やけにはっきり覚えている。
(もしエラーコードだったら……)
エラーであれば、『LOKI』という文字を検索すればすぐに出るはずだ。
そう思い立ち、ブラウザアプリに指を伸ばしかける。
だが、それを止めたのは翔太だった。
『笑ってるところ悪いんだが、お願いがあるんだ……聞いてくれないかな』
──お願い。
(えええええええ?)
瑚桃は、翔太からのこの言葉にものすごく弱い。
思わず顔が真っ赤になる。鏡を見て確認し、さらに赤くなる。
(ぎゃあああああ! タコみたいだあああああああ!)
翔太からお願いされることなんて、滅多にない。
うれしい。
でも、うれしいと認めるのは、なんか悔しい。
乙女心は複雑なのだ。
しかも今、顔が熱い。
スマホ越しで本当によかった。
だが──
そこで、ピンと来た。
これはチャンスかもしれない。
(そうだ! ここで……こっちからもお願いすれば……)
こっちがこんなに赤くなってるのなんて、翔太は知らないだろう。
だから、瑚桃からの、精一杯の抵抗。
必殺。お願い返しだ。
こっちが一つ聞けば、向こうも一つ聞いてくれる。
たぶん。きっと。知らんけど。
そこで、大きく息を吸う。そして、吐き出すように言った。
「ちょうど良かった!!!」
『え?』
「アタシからもお願いあったんですよねえ。それを聞いてくれたら、いいかなああああ???」
『お願い? 俺にって、なんだそのテンション』
「いいんです! それに、そーなんです! 俺に、なんです!」
見るからにきょとんとした感じの声。その表情を想像して瑚桃はにやけてしまう。
よしよし。と思う。
──普段のアタシに戻れてるぞ!
「いやー。今って、町がこう、緊急事態じゃないっすか。センパイもどうせ聞いてるんでしょ? 実は今、町で何が起こってるのか」
『何がって、何だよ……』
「あ。そーですね。情報のすり合わせをしときましょう。そうだそうだ。じゃあ、アタシから行きますね。今、この町って、なんかとんだRPGじゃないですか。ゴブリン出たり、トロール出たり。知らないとは言わせませんよ」
しばし沈黙があった。
だが翔太はそれに対して、ゆっくりと答えた。
『ああそうか。瑚桃のお父さん、警察署長だったな』
「そーなんです! あ。じゃあ、センパイもそれは耳に入ってるんですね」
『一応、聞いている。それより、それ極秘事項だろう? 他人にホイホイ話していいのか?』
「センパイにだけ、です」
ちょっとだけ、声が甘くなる。
それは自分でもわかっていた。
だが、とにかく──
ああ言えばこう言える。
押し切る隙さえ作れば、大体翔太は、最後には話を聞いてくれる。
翔太が引っ越して来て半年。
幼なじみ時代を入れたら十年以上。
長年の付き合いで、瑚桃はそれを心得ていた。
そして思った通り、翔太は、話し出す。
噛み締めるように。
(──勝った!)
密かに、瑚桃はベッドの上で小さくガッツポーズをした。
よし。会話の主導権、いまアタシ。
『えーと。そのことについてだが。こっちもさ、さっき、国際魔術会議の知人の人が来て、教えてくれた。確かに今、この濃霧の中には『ゴースト』だけじゃなく、北欧の怪物らが跋扈しているらしい。でも、それだけじゃない』
「それだけじゃない……?」
『それ以上は聞いても、瑚桃にはわからないよ。とにかく、今、外出するのは危ない。それだけは確かだ』
その言い方に、瑚桃の顔に小さな影が差す。
「だから! それだけじゃないって何ですか?」
『いや、あまり知りすぎるってのも、危ないって』
「ぶー」
『まあ、とにかく危ないってことだけわかればいい』
それから翔太は、少し声を強める。
『そんなことより、お願いって何だよ』
翔太が強い言い方をするときは、警戒しているときだ。
瑚桃にはお見通しである。
「いや、そうじゃないですけどぉ」
瑚桃は、ちょっと甘えたような声を出してみる。
「アタシも、センパイの家へ行きたいんですけど」
『え?』
「……ダメ?」
『え?』
「……いいですよね?」
長い沈黙があった。
どうも翔太は絶句しているようだ。
十秒、二十秒──
その空白の時間に耐えられなくなったのは瑚桃のほうだった。
瑚桃はそこから早口で畳み掛ける。
「いや、ほら。『ゴースト』が家屋に侵入してきたって話はまだないですけど、ゴブリンとかトロールとかは、わからないじゃないですか。それにパパは昨晩から職場に缶詰だし、ママも夜勤からそのまま帰ってないし、アタシ、この家に一人なんです」
そして。
少しだけ声が小さくなる。
「だからちょっと淋しいっていうか、心細いっていうか……。一番、安全なのは、センパイの家かなぁって──」
『お前なあ』
翔太は言う。
『いくら、俺の家と瑚桃の家が近いからって、外出は危険なんだって。今のところ家にいるほうがいいだろ。お願いって言うから何かと思ったら、そんな……』
そこで瑚桃は声を弾ませ、名案顔で言う。
「い、いや。外出しないで済む方法あるじゃないですか!」
だが。
そのときだった。
不意に。
前触れもなく。
ふと、耳の奥が、きん……と鳴った。
同時に、通話音声に、ぶつっ、とノイズが走る。
画面が一瞬だけ暗くなる。
スマホの黒い画面に、瑚桃の顔だけがぼんやり映った。
頬はまだ、さっきの赤みが残っている。
その目だけが、少しだけ不安そうに見える。
そして、そこにまた、見慣れない文字列が浮かび上がってきた。
ERROR: ACCESS_POINT//OPEN
SIGNAL_LOKI::TRACE
PROTOCOL_RAGNAROK//INIT
TARGET::FOUND




