第95話-2 決着
第95話-2
言い切る前に、大熊の動きが止まった。
大熊は拳に仕込んだナイフを構えていた。
完全に戦闘態勢。
そこまでは、良かった。
だが。
それは、文字通り、瞬きするほどの一瞬の出来事だった。
美優が叫んだ時には、すでに──
大熊の体は、石になっていた。
「いやあああああああああああああああああ!!」
その美優の悲鳴も、もう大熊には届かない。
大熊は、自慢の武器であるナイフを指に仕込んだまま石像になっている。
見開かれた目、顔に刻まれたシワ、ナイフを握り込んだその手まで。
まるで生きているかのような、見事な石像だった。
美優は、駆け出す。
その目には、涙。
石になった大熊はピクリ、とも動かない。
反射的に翔太は、自身の魔術回路を全開にする。
美優の涙、それがスイッチとなった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
勝てないことは、分かっている。
だが、だけど、
──美優を泣かすヤツは、相手が、神だろうが、悪魔だろうが、
──許さない!
だが。
そんな翔太に、シャパリュは耳打ちする。
「無理だ、翔太。気持ちは分かるけど、今日は、ここまでだよ」
そう言ってシャパリュはぽんと翔太の肩に前脚を置いた。
「やられた。隙をつかれたよ」
「な、……何が……?」
魔術回路を晴れ上げさせている翔太は、痛みに耐えながら言う。
これに、シャパリュは答えた。
「消えたよ。何も、かにも……」
翔太は周囲を見渡す。
──いない。
メドゥーサも。
ペルセウスも。
エリーニュスも。
こつ然とこの場から姿を消している。
「嘘だ……」
泣き叫ぶ、美優を見ながら翔太は肩を落とす。
途端に、イーナリージアが抜けていった。
遅かったのだ。
覚悟を決めるのが遅すぎた。
「おじさん! おじさん!」と泣く美優。
その声を聞きながら拳を握りしめる。
その悲しみは痛いほど、分かる。
寄り添いたい。だが……
翔太には分かる。
美優の性格が。
こんな時、美優は、一人にしてほしいと言うはずだ。
大切で大事だった、子どもの頃から知っている信頼できる人。
その人が、目の前で、石にされてしまったのだ。
「くそっ」
翔太は、そこで毒づくことしか出来ない。
だが、そんな翔太に、シャパリュは、やさしく声をかけてきた。
「ちょっと、タイミングが悪かったね。メドゥーサも、あと一瞬で、僕は完全に消滅させることができていた。だけどね。こんなことぐらいは、出来たんだよ」
翔太は答えない。
答えられるような気分になれない。
だが、シャパリュはシャパリュになりに、自分を慰めようとしている。
その気持ちを無視できるような翔太ではなかった。
宙に浮かんでいるシャパリュの方を見る。
見た瞬間に、翔太の顔色が変わる。
シャパリュが掲げた前脚。その爪の先に突き刺さっているのは。
ペルセウスの目玉の一つだった。
「まあ、これが英雄殺しと、僕が言われるゆえんだよ。こちらもしてやった。少しは気が晴れたらいいんだけど……」
ポタッ、ポタッ、と目玉から体液が落ちる。
ペルセウスの目玉の大きさはソフトボールほどあった。
三メートルの巨体だ。
当然だろう。
「シャパリュ……お前……」
「まあ、向こうにとってもかなりの痛手のはずだ。それに、これは研究材料にもなる」
「研究……材料……?」
「そうさ。あの大英雄・ペルセウスをバーサーカーにしたんだぜ。その魔力量は、半端ないはずだ。エリーニュスの力を借りているだろうけど、それだけじゃない。つまり、この目玉に宿る魔力を観測すれば、本当の敵の手の内が、少しは見えてくるって算段だ。ね。悪くない状況だろ?」
「でも……」
「観測できる。敵の手が見える。……それが、次に繋がる。いいと思うんだけどなあ」
「でも……美優が……」
「ああ、そっちか。そうか。そりゃあ、そうだね」
シャパリュは翔太の頭をぽんぽんとやさしく叩きながら言う。
「今は、泣かせておやりよ。人は、泣くことで、心の痛みを少しは軽減できるようできている。美優の行動は間違っちゃいないさ。もう、敵はここにはいない。ゆっくりと、脳内の化学反応で、その悲しみのストレスが癒やされるのを待ってやろうじゃないか」
「で、でも」
と、翔太は食い下がる。
「本当に、もうこの場から、あいつらは消えたんだな? シャパリュのかすめ取った、その目玉。それを奪いに戻ってきたりはしないよな」
「それは、考えにくいね。あの子たちには、無理だよ」
シャパリュは、あれだけの神話のレジェンドを、「あの子」呼ばわりした。
「デルも消耗しているが、あのペルセウスも、エリーニュスも、すでに相当な魔力を消費していた。エリーニュスに至っては、あれはもう消えかけていたね。君たちは、デルを、単に”強いボディガード”だと思っているかもしれないが、あれは、神話の影に隠れているだけで、オリュンポスの神々を次々と追い返してしまうほど強い。さらには、ベレスさまの力だ。その権能の付与によって、ドラゴン化したデルは、敵にさまざまなデバフをかけられるんだ。おそらく、エリーニュスは今後、戦力にはならないだろうね。そして、僕」
と、シャパリュは一息ついた。
「こう見えて、僕も、めちゃくちゃ強いんだよぉ! 彼女らが恐れたのは、魔界で囁かれている僕の噂だ。僕に関する文献。それだけを信じちゃいけない、ってね。こう見えて、魔王クラスからも一目置かれているのが、僕、さ。なにせ、正体が分からない存在ほど、怖いものはないからねえ」
「つまり、デルと、シャパリュが揃えば、ほとんどの敵は、滅ぼせる……」
「まあ、そういうことになるね」
そんなシャパリュの弁舌を聞いていたデルピュネーが、突如、体のバランスを崩した。
フラフラと地面に崩れ落ちていく。
力を使い果たしたのだ。
「デル!」
翔太は急いで、そのデルの体を支えた。
爪も牙も、角も。なくなっている。
そして肌は柔らかく戻っている。
あたたかい。やわらかい。
戻ったのだ。いつものデルに。
「デル! 大丈夫か! しっかりしろ、デル!」
その肩を抱き寄せる翔太。
その声に、デルはうっすらと目を開けた。
燃えるようだったエメラルドグリーンの瞳。
今は、いつもの癒やしの輝きが返ってきている。
「ありがとうございます、翔太さま……。平気でございますよ。ちょっと疲れただけでございます……」
デルピュネーが力なく、だが、あのいつもの笑顔でにっこりと笑う。
「さすがの英雄相手。デルも必死でございましたので」
翔太は、ギュッとデルピュネーを抱きしめる。
「ありがとう……。デルがいなかったら、俺も、どうなっていたことか……」
デルはふっと笑った。
「優しいのでございますね……、翔太……さまは……だから、わたくし、翔太さまのためには、この命を懸けても、大丈夫でございます」
「簡単に、命、なんて言うな、デル!」
「そんなことより、美優さまです」
デルはそっと、力なく、美優の方を指さした。
「翔太さまが、守るべきは、美優さまではございませんか」
「うん……そうなんだけど」
そう、翔太が言葉を濁した時だった。
シャパリュが、泣きじゃくっている美優へ、大声で話しかけた。
「お~い。美優~! 気持ちは僕も分かるよ。でも、大丈夫! 石化は永遠じゃない。解呪する方法はあるんだ。そろそろ、冷静になってもいいんじゃないかい?」
その言葉に、美優の背中がぴくっと反応した。
美優が泣き止む。
そして、袖で、濡れた頬や目の周りを拭き取っている。
「ほんと?」
「ああ、本当さ」
シャパリュは自信満々に言った。
「ギリシャ神話の時代とは違う。魔術の一部は科学や化学へと進化を遂げた。その中間に、錬金がある。美優なら、ここまで言えば、分かるんじゃないかな!」
まだ背を向けたままだが、美優の背筋が伸びたように見えた。
「メドゥーサと相対して分かったんだが、メドゥーサの体臭のなかに、その錬金のかおりが微かに漂っていた。あれは、間違いないね。石化を解く何かの液体だ。つまり、メドゥーサは自身が持つ解呪の魔術を錬金術によって、ポーションのような形で所持している。メドゥーサを倒すか、そのポーションを手に入れれば、おそらく──」
そう朗々と語るシャパリュの目は、なぜか、強い確信に満ちていた。
翔太は、分からなくなる。
このシャパリュの正体が。
こいつは、あまりにも、何でも知りすぎている──
ガラス林の表層熱は生きていた。
そんな熱気の中、美優もあることを思い出していた。
それはメドゥーサが、美優の手鏡で石化してしまったこと。
そして、次の瞬間には、その呪いを解いてしまったこと。
シャパリュが言っていることは、詭弁かもしれない。
単なる憶測に過ぎないかも知れない。
だが、事実として、メドゥーサは、自らの石化を解いた。
ならば……
(つまり……手は、あるかもしれない……)
解呪の余地は残っている。
そう信じてもいいのかもしれない。
(それに、解呪できるということは、大熊のおじさんは、これで死んだわけじゃないかもしれない)
シャパリュの言うことが本当ならば、また、美優はメドゥーサと戦わなければならない。
──でも、その価値は、ある。
相手は、レジェンド級の化け物。
しかし、デルやシャパリュ、そして翔太くんの力を借りられれば……
──いえ。私、一人で、だって……!
希望が満ちていく。
それでも、止まらない涙と悲しみ。
体力も、感情も、限界だった。
ついには美優も、ガラスの上へと崩れ落ちる。
ガラスは、まだ焼けるように熱い。
「美優!」
慌てて翔太が、美優へ向けて駆け寄っていった。
「やれやれ。あの二人。早く付き合っちゃえばいいのに」
デルの介抱をしながら、シャパリュがこそっと呟いた。




