第八章 車掌の口元
第八章 車掌の口元
凪を見ていたのは、乗ってきた電車の車掌だった。
ホームに立つ凪と、最後尾の車両から顔を出す車掌。
二人の間には、かなりの距離があった。
それでも、車掌が自分を見ていることは分かった。
ただ乗客がホームから離れたか確かめている、という目ではない。
何か言いたそうな顔だった。
凪は首を傾げた。
「何か……?」
問いかけようとしたが、この距離では声が届きそうにない。
自分が降りた車両はもっと前だ。わざわざ最後尾まで歩いていかなければならない。
それでも気になって、凪は車掌のいる方向へ一歩踏み出した。
その瞬間、車掌は目を逸らした。
逃げるように車内へ引っ込み、窓の向こうからも姿が消える。
「え?」
凪は足を止めた。
見間違いだったのだろうか。
ホームの安全確認をしていただけで、凪を見ていたわけではなかったのかもしれない。
けれど、それなら、あんな顔をするだろうか。
何かを言おうとして、言えなかったような。
凪は肩に掛けたバッグへ手を伸ばした。
「忘れ物……?」
電車の中に何か置いてきたから、知らせようとしてくれたのかもしれない。
慌ててバッグを開く。
財布。スマートフォン。鍵。定期入れ。
仕事で使ったものは病院に置いてきた。ポケットの中にも、なくなって困るようなものは入っていない。
持ってきた荷物は、全部ある。
発車を知らせる音がホームに響いた。
「あ、待って」
何を待ってほしいのか、自分でも分からないまま声が出た。
扉が閉まる。
電車はゆっくりと動き始めた。
凪は開いたバッグを抱えたまま、通り過ぎる車両を見つめた。
窓の向こうに、まばらな乗客の姿が見える。
眠っている人。スマートフォンを見ている人。誰も、凪のいるホームには目を向けていない。
電車は少しずつ速度を上げていく。
車輪の音が大きくなり、風が凪の髪を揺らした。
やがて、最後の車両が凪の前を通り過ぎようとした。
何となく顔を上げる。
窓の向こうに、さっきの車掌が立っていた。
車掌はこちらを向いていた。
目が合ったように見えた。
けれど、凪を見ているのか、その肩越しにある何かを見ているのかまでは分からなかった。
窓は閉まっている。電車の音もある。たとえ大声を出されても、何を言っているのか聞き取れないだろう。
それでも車掌は、こちらへ視線を向けたままだった。
そして、口を動かした。
短い言葉だった。
声のない口元だけが、凪の目に残った。
────────
① 口の動きは見えたが、何を言ったのか分からなかった。
こちらを選んだあなたは、第十六章へ進んでお読みください。
② 車掌の口が「助けて」と動いたように見えた。
こちらを選んだあなたは、第十七章へ進んでお読みください。




