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選択肢ーーあなたが選ぶ、十六の結末  作者: もちむぎ


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第二十七章 店主の労働条件

第二十七章 店主の労働条件


「次の店主って、私のことですか?」


 凪は玲奈へ尋ねた。


 玲奈の笑顔が止まった。


「……何のこと?」


「今、そう思いましたよね。これで次の店主が見つかった、って」


 玲奈はしばらく凪を見つめていた。


 凪の手には、まだ半分以上残った薬草茶がある。


『聞こえてる』


 玲奈の心の声が、はっきり届いた。


『もう効いたのね。でも、まだ全部は飲んでない』


 凪はカップをテーブルへ置いた。


「やっぱり、私に何かさせるつもりだったんですね」


 玲奈は小さく息を吐いた。


「まいったわね」


 向かいの椅子へ座り直し、両腕を組む。


「そこまで分かってるなら、もう誤魔化せないか」


「説明してください」


「長くなるわよ」


「聞きます」


 凪は看護師が患者から話を聞くときのように、玲奈の正面へ座った。


 玲奈も以前は、普通の会社で働いていたという。


 毎朝、満員電車へ乗り、決められた時間まで働き、疲れて帰る。仕事が嫌いだったわけではないが、好きでもなかった。


 ある日、仕事帰りにこの店を見つけた。


 当時の店主に休んでいくよう勧められ、薬草茶を飲んだ。


 今日の凪と同じように。


「全部飲んだら、店の知識が頭へ入ってきた。香りのことも、施術の仕方も、お客さんが口にしない悩みも分かるようになった」


「それで、前の店主は?」


「鍵を置いて、帰ったわ」


「玲奈さんを残して?」


「ええ。私も追いかけようとした。でも、扉から出ようとすると店の中へ戻されるの」


 玲奈は入り口へ目を向けた。


「それからずっと、ここで働いてる」


「休みは?」


「ない」


「外出は?」


「できない」


 凪は眉を寄せた。


「でも玲奈さん、今朝は駅前にいましたよね。そこで私とぶつかった」


「あれは、自由に外へ出られたわけじゃないの」


 玲奈は苦々しそうに天井を見上げた。


「この店が次の店主候補を見つけたときだけ、扉が開くのよ。どこかに候補がいるっていう感覚が頭へ入ってきて、その人を店へ連れてくるためだけに外へ出される」


「それで、私を探していたんですか」


「ええ。人の流れの中を捜していたら、あなたとぶつかった。その瞬間、この人だって分かった」


「もし、そのまま逃げたら?」


「何度か試したわ。けど、どれだけ遠くへ行っても、気づけば店の扉の前に立ってる」


 玲奈は自嘲するように笑った。


「外へ出してもらえるのは、勧誘の間だけ。散歩も買い物もできないわ」


「給料は?」


「売り上げから生活に必要な分は出るわ。でも明細はない」


「有給休暇」


「ない」


「健康診断」


「ない」


「社会保険」


「あると思う?」


 凪は眉間へ皺を寄せた。


「完全にブラックじゃないですか」


「分かってるわよ」


 玲奈はテーブルへ肘をついた。


「だから、次の店主を探してたの。誰かが薬草茶を全部飲んで店主になれば、今の店主は自由に外へ出られる」


「それで私を連れてきたんですね」


「そうよ」


 玲奈は認めた。


『最低だと思うでしょうね』


 心の声が聞こえる。


『でも、もう限界だった』


 凪は玲奈を見た。


 きつめの化粧。整えられた髪。隙のない服装。


 格好いい女性だと思っていた。


 けれど今は、その姿が店主として崩れないために身につけた鎧のように見えた。


「前の仕事に戻りたいんですか?」


 凪が尋ねると、玲奈は黙った。


「会社員に戻るために、ここから出たいんですか?」


「それは……」


 玲奈は棚に並んだ精油を見た。


「この仕事は、嫌いじゃないの」


 小さな声だった。


「香りを選ぶのも、店を整えるのも好き。施術のあと、お客さんの顔が少し楽になるのも嬉しい。前の仕事に戻りたいわけじゃない」


「じゃあ、何が嫌なんですか」


「休みたいのよ!」


 玲奈は勢いよく顔を上げた。


「朝、好きな時間に起きたい日もある。外でご飯を食べたいし、服だって自分で買いに行きたい。美容院にも行きたい。体調が悪いときは店を閉めたい!」


 一気に言ってから、玲奈は肩で息をした。


 凪は何度も頷いた。


「分かります」


「分かるの?」


「私も、看護師を辞めたいわけじゃないんです。ただ、夜勤ばかりで、休みの日も疲れて寝て終わって、いつまでこれを続けるんだろうって思うことはあります」


 二人は顔を見合わせた。


 仕事が嫌なのではない。


 仕事しかできない毎日が嫌なのだ。


「そもそも、この店は誰のものなんですか?」


 凪が尋ねた。


「分からない。私が店主になる前からあったし、家賃を払ったこともない」


「店がオーナーなんじゃないですか?」


 その瞬間、壁の奥で何かが軋んだ。


 棚に並ぶ小瓶が、かすかに震える。


 天井から、低い声が落ちてきた。


『店主交代』


 玲奈が目を見開いた。


「店が喋った」


「やっぱりオーナーですね」


 凪は天井を見上げた。


「オーナー。店主交代の前に、労働条件について話し合いましょう」


 返事はない。


「まず、玲奈さんと私の共同店主制。週休二日のシフト勤務。休憩は一日一時間。勤務時間外の外出は自由。有給休暇、給与明細、年一回の健康診断。それから年末年始休暇」


 天井に、ぼんやりと文字が浮かんだ。


『要求過多』


 続いて、もう一行。


『店主は一人で足りる』


「何年も一人で働かせておいて、よく言うわね」


 玲奈が笑顔のまま工具箱を開けた。


 店の奥で、何かが低く唸った。


 棚の小瓶が一斉に震え、天井の文字が赤く染まる。


『店主に逆らう権限はない』


 凪は素早く立ち上がり、棚から精油の小瓶を二本手に取った。


 同時に、玲奈はドライバーの先をマッサージ台のネジへ差し込む。


 二人は目を合わせていない。


 打ち合わせもしていない。


 それなのに、動きだけはぴたりと揃っていた。


「もう一度お願いします、オーナー」


 凪は小瓶の蓋へ指を掛けた。


「話し合いましょう」


 玲奈がドライバーを少しだけ回す。


 きり、と小さな音がした。


 照明が一度、明滅した。


『器物損壊』


「御自分の体でしょう?」


 凪が言う。


「労働環境の改善を拒否した結果、自壊したということで」


『待て』


 赤かった文字が、慌てたように白へ戻った。


『話し合おう』


「最初から、そのつもりです」


 凪は小瓶を持ったまま椅子へ戻った。


 玲奈もドライバーをネジへ差したまま、マッサージ台に腰掛ける。


「まず、週休二日。二人でシフトを組むわ」


『同日の休暇は不可』


「どうして?」


『店を開ける者がいない』


「休みが重なった日は、臨時休業にします」


『却下』


 凪が精油の蓋を半分回した。


 玲奈がドライバーへ力を込める。


『臨時休業を認める』


「私たちが急病で動けない場合は?」


『体調管理を徹底』


 二人の手が、また同時に動いた。


『待て』


 天井の文字がせわしなく書き換わる。


『臨時休業 または オーナーが対応』


「できるんじゃないですか」


 凪が呆れた。


「次。休憩は一時間」


『三十分』


「一時間」


『四十五分』


 凪は無言で小瓶を傾けた。


 玲奈も無言でドライバーをひねる。


『一時間』


「よろしい」


 玲奈が満足そうに頷いた。


「年末年始は十二月三十一日から一月三日まで休みます」


『年中無休』


「今までが、でしょう?」


『年末年始は需要が高い』


「働く側の休みたい気持ちも高いです」


『二日』


「四日」


『三日』


「四日。それ以下なら、十二月三十日に店中のタオルを外へ投げます」


「私はお茶の葉を全部混ぜるわ。どれが何だか分からなくなるぐらい」


『四日』


「決まりですね」


 凪が微笑んだ。


「あとは、有給休暇を年間十二日。給与明細の発行と健康診断。勤務時間外の外出は自由」


『外出中に客が来た場合は?』


「予約時間には戻ります。飛び込みのお客さんには待っていただくか、オーナーが対応してください」


『店に施術はできない』


「では、受付をお願いします」


『……努力する』


 突然、店内の明かりが柔らかな色へ変わった。


 どこからともなく甘い香りが漂い、テーブルの上に新しいカップが二つ現れた。何もない空中から、温かい茶が注がれていく。


 天井に、先ほどまでより丸みを帯びた文字が浮かんだ。


『優秀な店主二名を歓迎する』


「急に機嫌を取り始めたわね」


『長く働ける 快適な職場』


「それは、これからオーナーが作るんですよ」


 凪は笑顔を崩さなかった。


『仲良くしよう』


「もちろん。条件さえ守っていただければ」


 長い沈黙があった。


 やがて天井に、小さな文字が浮かんだ。


『了承』


 凪と玲奈は顔を見合わせた。


「やればできるじゃない」


「まだです」


 凪は天井へ向き直った。


「オーナー、口約束は駄目です。契約書」


 天井の一部が淡く光った。


 白い紙が二枚、ひらひらと舞い落ちてくる。


 凪と玲奈は一枚ずつ受け取った。


 そこには、二人が話し合って――あるいは脅して――得た労働条件が箇条書きになっていた。


 共同店主制。


 週休二日のシフト勤務。


 一日一時間の休憩。


 勤務時間外の自由な外出。


 休暇が重なった場合は、臨時休業またはオーナーが対応。


 十二月三十一日から一月三日までの年末年始休暇。


 給与明細の発行。


 年一回の健康診断。


 有給休暇。


 二人は一言一句、声に出して確認した。


 凪の指が、ある一行で止まる。


「玲奈さん」


「何?」


「さっき、年間十二日で要求しましたよね」


「そうね」


「十日になってます」


 玲奈の眉がつり上がった。


 凪は契約書を天井へ掲げた。


「有休日数、二日減らしてる。せこい。やり直し」


 二人は同時に紙を破った。


 店の照明が忙しく点滅した。


 やがて、また天井から二枚の紙が落ちてきた。


 今度は有給休暇、年間十二日。


 ほかの条件も変わっていないことを二人で確認する。


「よし」


「今度は大丈夫ね」


 凪と玲奈は契約書へ署名した。


 最後の一画を書き終えると、店の扉から鍵の外れる音がした。


 玲奈が恐る恐る扉を開ける。


 階段がある。


 何年も眺めることしかできなかった、外へ続く階段だった。


「出られる……」


 玲奈は一段目へ足を下ろした。


 店の中へ戻されない。


 凪も隣へ並んだ。


 二人は店を振り返り、揃って頭を下げた。


「じゃあ、明日からよろしくお願いします」


 天井に文字が浮かぶ。


『十一時……予約は?』


 凪は振り返った。


「今まで劣悪な環境で働かせていた罰です。オーナーが何とかしてください」


 そう言って、玲奈と一緒に階段を下りていく。


 二人の足音が聞こえなくなったあと、天井に新しい文字が浮かんだ。


『とほほ』


 誰もいなくなった店の扉には、一枚の貼り紙が掛かっていた。


 店主休養のため、本日臨時休業。


────────


結末 十二 店主にも休日を

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