第十八章 未来の迷子
第十八章 未来の迷子
「駅員さんのところへ行こうか」
凪はうーちゃんへ手を差し出した。
母親が次の駅で降りて戻ってくるとしても、まずは駅員に知らせるべきだ。
鉄道会社同士で連絡を取ってもらえば、母親もこの駅にいることが分かる。何より、幼い子どもをいつまでもホームにいさせるのは危険だった。
うーちゃんは素直に凪の手を握った。
小さく、少し冷たい手だった。
二人で階段を上がり、改札へ向かう。
凪は何度か女の子の歩幅に合わせて足を緩めた。
「疲れてない?」
「うん」
「駅員さんに、お名前も言えるかな?」
「言えるよ。うーちゃん」
「名字は分かる?」
女の子は少し考えたあと、にこりと笑った。
「まだ、ないしょ」
「そっか。内緒か」
困った答えだったが、凪は無理に聞かなかった。
駅員へ事情を話し、必要なら警察にも来てもらえばいい。
改札横の窓口にいた駅員へ声をかける。
「すみません。ホームに小さな女の子が一人でいたんです」
「女の子ですか?」
「はい。五歳か六歳くらいで、お母さんと電車に乗っていたみたいなんですけど、一人で間違えて降りたんじゃないかと思って」
駅員が窓口から身を乗り出した。
「その子は今どこに?」
「この子が――」
凪は隣を見た。
誰もいなかった。
「え?」
さっきまで握っていたはずの小さな手もない。
階段から窓口まで続く通路を見回す。
「うーちゃん?」
返事はなかった。
「一緒に来たんです。今まで、ここに」
「途中ではぐれたんでしょうか」
駅員はすぐに窓口から出てきた。
もう一人の駅員にも声をかけ、改札の周辺や階段、トイレを手分けして探してくれた。
凪もホームへ戻り、ベンチの陰まで確かめた。
「うーちゃん!」
何度名前を呼んでも、女の子は見つからない。
母親らしい人も現れなかった。
次の電車が到着し、乗客が降りてくる。
凪は一人ずつ顔を確かめたが、子どもを捜している様子の人はいない。
さらに次の電車を待っても、母親は来なかった。
時間だけが過ぎていく。
やがて駅員たちが少し離れた場所へ集まり、小声で話し始めた。
凪はうーちゃんを心配しながらも、その様子が気になった。
一人の駅員が何度もこちらを見ている。
「何なんですか? さっきから」
凪が近づくと、駅員たちは話をやめた。
最初に対応した駅員が、困ったように防犯カメラの画面を示した。
「確認したんですが……」
画面には、階段を上がってくる凪の姿が映っていた。
凪は誰かと手をつなぐように、片腕を斜め下へ伸ばしている。
しかし、その先には誰もいない。
「この子がいたんです。私の隣に」
駅員は画面を戻し、別のカメラの映像も見せた。
ホームを歩く凪。
階段を上る凪。
改札へ向かう凪。
そのどの映像にも、女の子の姿はなかった。
「あなたが電車を降りてから今まで、五歳くらいの女の子はカメラに映っていません」
「そんなはず……」
「いたずらですか?」
駅員の声が低くなった。
「悪質なものでしたら、警察を呼びますが」
「違います。本当にいたんです」
言い返しながら、凪自身も自信を失っていった。
映像の中の自分は、誰もいない場所に話しかけ、誰もいない空間と手をつないで歩いている。
夜勤明けで、疲れていた。
電車の中で眠って、乗り過ごした。
夢と現実が混ざったのかもしれない。
「……すみませんでした」
不本意だったが、それ以上説明する言葉が見つからなかった。
凪は駅員に頭を下げ、再びホームへ戻った。
うーちゃんがいた場所を見る。
「夢だったのかな」
そのときだった。
ホームの中央に、うーちゃんが立っていた。
凪を見て、にこにこと笑っている。
「うーちゃん!」
凪は駆け寄った。
「どこに行ってたの? ずっと捜してたんだよ」
うーちゃんは笑ったまま答えなかった。
「どうしてカメラに映ってないの? あなたは誰なの?」
「うーちゃんは、潮ちゃん」
「うしお……ちゃん?」
「うん」
潮と名乗った女の子は、凪をまっすぐ見つめた。
「うーちゃん、お母さん大好き」
凪は息を止めた。
「凪お母さんに会うの、楽しみ」
「え……?」
自分の名前を教えた覚えはない。
それよりも今、この子は何と言った。
凪お母さん。
聞き返そうとした瞬間、ホームに放送が流れた。
『お客様にお知らせいたします。先ほど当駅を発車した列車が、次の駅付近で脱線する事故が発生いたしました』
凪はスピーカーを見上げた。
『事故の影響により、〇〇方面への電車は現在運転を見合わせております。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけいたします』
同じ内容が繰り返される。
先ほどまで凪が乗っていた電車。
あのまま降りずにいれば、凪も事故に巻き込まれていた。
凪は弾かれたように潮のいたほうを見た。
そこには、誰もいなかった。
「潮ちゃん……?」
返事はない。
ホームには凪だけが立っている。
けれど、右手にはまだ、小さな手を握っていた冷たさが残っていた。
いつか生まれる女の子。
まだ名前も、姿も、この世には存在しない子。
その子は、自分の母親になる人が電車を降りるのを、ここで待っていた。
凪はお腹へ、そっと手を当てた。
もちろん、そこにはまだ何もない。
遠くで、事故を知らせる放送が繰り返されていた。
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結末 三 未来の迷子




