第十七章 助けて
第十七章 助けて
最後尾の車両が、凪の前を通り過ぎる。
窓の向こうで、車掌の視線が凪の肩越しへ動いた。
その表情が変わる。
車掌は片手を無線へ伸ばしながら、凪へ顔を戻した。そして、口を動かした。
助けて。
そう言ったように見えた。
凪は息を止めた。
電車は速度を上げ、車掌の姿が遠ざかっていく。
「待って!」
凪は思わず電車を追って走り出した。
だが、追いつけるはずがない。
最後尾の赤い灯りは、あっという間にホームの先へ消えていった。
凪はその場に立ち尽くした。
助けて。
誰を。
何から。
車掌に危険が迫っていたのだろうか。
いや。
最後に口を動かす直前、車掌の視線は凪の肩越しへ動いた。
凪の後ろに、何かある。
凪は振り返った。
改札へ続く階段から、小さな子どもが駆け下りてくるところだった。
電車が動き始めてからホームへ来たため、凪はその存在に気づいていなかった。
子どもは凪の横を通り過ぎ、ホームの端へ走っていく。
三歳か、四歳くらいだろうか。
走る途中で片方の靴が脱げた。小さな靴はホームの端を滑り、そのまま線路へ落ちた。
子どもが靴を追い、黄色い線の手前で足を止める。
「あっ」
子どもが線路を覗き込む。
黄色い線を越え、小さな手をホームの端へついた。
「待って!」
凪は走った。
子どもが靴へ手を伸ばそうと、さらに身を乗り出す。
階段の上から、誰かが子どもの名前を呼ぶ声が聞こえた。
だが、間に合わない。
その向こう、線路の先から光が見えた。
反対方向の電車が入ってくる。
凪は子どもの体を後ろから抱えた。
勢いのまま二人でホームへ倒れ込む。
直後、警笛が鳴った。
電車が激しい風を巻き起こしながら、すぐそばを通過する。
凪は子どもを抱きしめ、床に伏せた。
心臓が痛いほど脈打っている。
「大丈夫? けがしてない?」
顔を上げた子どもは、驚いて声も出ないようだった。
凪は手足を確かめた。
擦り傷もない。頭も打っていない。
ようやく息を吐いたところで、階段のほうから悲鳴が聞こえた。
「航太!」
女性が駆け下りてくる。
母親らしい。
女性は子どものそばに膝をつき、強く抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね。ちょっと目を離した間に……」
震える声で何度も謝り、それから凪を見た。
「助けてくださったんですか?」
「靴を取ろうとして、線路に……」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
女性は泣きながら何度も頭を下げた。
ほぼ同時に、ホームの放送が鳴った。先ほどの列車の車掌から、子どもが線路へ近づいていると連絡が入ったらしい。
車掌は、何もしなかったのではない。
電車が動き出したあとに危険を見つけ、無線で知らせながら、いちばん近くにいた凪にも助けを求めたのだ。
凪は大丈夫ですと答えながら、先ほど電車が去った方向へ目を向けた。
もう車掌の姿は見えない。
助けて。
あれは、自分を助けてほしいという言葉ではなかった。
この子を助けて。
そう伝えようとしていたのだ。
凪が遠くの線路を見つめていると、風がホームを吹き抜けた。
電車の音に混じって、誰かの声が聞こえた気がした。
「ありがとうございました」
凪は顔を上げた。
線路の先には、朝の光だけが残っていた。
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結末 二 車掌の視線




