第98話 十秒でも、好きな声で
月曜日の午後、録音室でヘッドホンをつけた。
『窓ぎわの席』。
今日は、長いものと、三十秒、十秒のものを録る。
石倉さんが、最初の伴奏を流してくれた。
俺は、百秒の曲を歌い始めた。
舞台で歌うより、出し始めを少し柔らかくする。
立ち止まって全部聞く人だけでなく、店を回りながら聞く人もいる曲だった。
言葉を急がず、音だけを大きくしすぎない。
途中の好きなところで、少し声を広げた。
最後まで歌うと、石倉さんが、すぐには止めずに余韻を聞いていた。
「いいです。今の、後半へ上がるところも」
俺は、口元を少し緩めた。
(そこ、好きなところです)
毎回口に出すと、全部好きだと言っているようになりそうなので、今日は心の中だけにした。
*
三十秒の形では、途中のつなぎ方が違っていた。
百秒のときほど、ゆっくり声を大きくしている時間はない。
それでも、最初から最後まで同じ強さにはしたくなかった。
俺は、前半の言葉を少し軽く出し、残したい一言へ向けて広げた。
石倉さんが、録ったものを流す。
「最後の母音だけ、もう少し短くしてもらっていいですか。映像の切り替わりがあるので」
「はい」
同じところから、もう一度歌った。
音の高さと強さは変えず、終わりだけを少し早く閉じる。
画面の時間を見なくても、体の中で、どこまで伸ばすかを選べた。
「はい。今ので大丈夫です」
言われると、俺はマイクから少し離れた。
歌唱を上げたぶんが、こういうところでも使える。
できることが増えたあとで、頼まれ方も変わっていた。
*
十秒のものは、一息で終わるくらい短かった。
見本で聞いたときに、好きになった形だった。
俺は、最初の言葉を小さく置いた。
そこから、短く上がる。
最後は、ちゃんと終わったと感じられるところまで声を残す。
伴奏が消えた。
石倉さんが、机の向こうでうなずいた。
「それ、好きです」
俺も、かなり好きだった。
「……もう一つ、少し違う感じで録ってもいいですか」
「いいよ。どう変える?」
「始まりを、今より少し明るく」
声が使えると、比べたいものまで増える。
もう一度歌った。
*
二つを並べて聞いた。
後のほうは、少し楽しそうだった。
先のほうは、落ち着いて入ってくる。
石倉さんが、映像の仮の流れへ合わせる。
画面には、窓際へカップを置く手が映っていた。
「こっちなら、最初のほうかな」
「はい。俺も、そっちが好きです」
二つ目は、今回の映像には少し元気すぎた。
歌えなかったから使われないわけではない。
違うものを出せたから、比べて選べた。
俺は、採用されたほうを、もう一度聞いた。
(こっちにして、よかったな)
自分の声なのに、再生されると、普通に曲として聞きたくなった。
*
予定の二時間より少し早く、録音が終わった。
三つの形が揃ったので、翌日の追加枠は使わなくてよさそうだった。
完成の確認は、水曜日。
俺は、日程を確かめてから制作室を出た。
駅まで歩く途中、惣菜の店の前で足を止めた。
今日は、家に帰ってから長く台本を読む予定はない。
ご飯だけ炊いて、買って帰ったものを食べてもいい。
唐揚げを一つ余分に入れてもらい、袋を持った。
(今日は、作らない)
料理ができても、それを毎日やらないといけないわけではなかった。
*
家へ戻り、ゲームの画面を見た。
自動購入の次は、中枢。
必要な分には、まだ届いていない。
順番を変える理由もなかったので、そのまま閉じた。
ご飯が炊けるまで、少し横になる。
目を閉じても、十秒の曲の終わりが頭に残っていた。
今日の声は、好きだった。
しかも、録るところは、もう終わっている。
俺はスマホを伏せた。
明日は、追加の録音もなくなった。
火曜日を、もう一日休みにできた。




