第97話 次は、お前が先に
木曜日、練習室へ入ると、森野さんが椅子を二つ運んでいた。
俺はバッグを置き、一つを受け取る。
「こっちへ置けばいいですか」
「はい。ありがとうございます」
二つ並べたところで、森野さんが笑った。
「今の、そのまま使えそうですね」
「椅子ですか」
「うん。今日はちゃんとレンが先に準備してるところ」
俺は、椅子をもう少し離した。
最初の話では、片付けているソウを止めていた。
今度は、来る前に自分で場所を作っている。
小野さんが、譜面を開いた。
「曲、聞きました。途中の、話すみたいなところ、楽しそうです」
「はい。そこ、やりたいです」
返事をすると、森野さんがこちらを見た。
「僕も、歌の前に一言、入れたいのがあって」
*
最初の案では、レンが椅子を二つ出し、ソウが来たところで、すぐ歌う予定だった。
森野さんは、そこへ紙を一枚足した。
次回の予約を確認する紙だった。
「本編の最後で、六時なら行くと言ったので。実際に来たら、もう次のことを渡してもいいかなって」
ソウが、紙を置く。
「次は、お前が先に椅子を出せ」
俺は、椅子を見た。
「もう、出してある」
森野さんも、そちらを見る。
少し間が空く。
「……じゃあ、座る」
安西さんが笑った。
「いいですね。ソウが、まだ世話を焼こうとして、あれ、ってなる」
俺も、少し嬉しくなった。
役の話だけど、先にやっておいたことに気づいてもらえるのは、悪くなかった。
*
そのやり取りから、歌へ入った。
小野さんは、ソウが椅子へ座るところを見て弾き始めた。
俺は机の横へ立ち、最初の言葉を歌う。
相手が来てくれたので、少し機嫌がいい。
でも、待っていたと言うのは、何となく悔しい。
声は明るくして、顔は少しだけ平気そうに保った。
森野さんが、こちらを見上げる。
俺はその目を見て、一言だけ、話すように言った。
そのまま、歌へ戻る。
小野さんの音が、少し弾んだ。
*
歌い終えると、森野さんが椅子から立った。
「このときのレン、結構嬉しいんですね」
「だと思います」
「声でわかるのに、顔ではちょっと隠すの、ずるいな」
俺は、自分の持っている紙を見た。
演技を六にしてから、顔と声の強さを同じにしなくても、両方を保ちやすくなった。
全部を同じ方向へ大きくする必要はない。
安西さんが、今のところへ印をつける。
「そのまま使いたいです。歌の途中で、相手に気づいてもらえるのが好き」
俺はうなずいた。
(よし。これは、褒められた)
素直に喜んでから、もう一度やる位置へ戻った。
*
二度目は、森野さんが少し遅く座った。
俺は、相手が落ち着くまで、紙を揃える動きを続けた。
待っているだけの顔にはしない。
座ったのを見てから、小野さんと息を合わせる。
今度も、自然に始められた。
終わると、小野さんがこちらを見た。
「今の待ち方なら、毎回少し変わっても入れます」
「ありがとうございます」
「声が来る前に、もう歌いたそうなのが見えるので」
俺は、少し止まった。
(そこは、俺のほうも出てるかもしれない)
実際、ずっと歌いたかった。
*
帰る前に、本編の最後からつなげて確認した。
二人で、六時の約束をする。
明かりが落ちる。
短い間のあと、レンが椅子を二つ出す。
もう、借りるかどうかは決まっている。
来てくれる相手も、わかっている。
その先の日曜日を、少しだけ見せる。
歌が終わったとき、前の話を引き延ばした感じはしなかった。
俺には、あの二人をもう少し見られて嬉しい、と感じられた。
「この形で、準備していきましょう」
安西さんが言った。
俺たちは椅子を片付けた。
森野さんが、一つを先に持つ。
俺も、もう一つ持った。
役として先に出す練習をしたあとだったので、片付けまで任せるのは、少し格好がつかなかった。
(そこは、自分でやろう)
壁際へ運んでから、バッグを取りに戻った。




