第88話 次の客席にも、返す
水曜日の昼、普通のゲームの説明を読んでいた。
英語で、輸送車がどの条件で出発するか書いてある。
荷物が満杯になるまで待つ。
そこまではわかる。
そのあとに、満杯にならなかった場合と、指定した時間が過ぎた場合の話が続いていた。
俺は、同じ二行を三度読んだ。
(どっちを先に待つんだよ)
まだ無料で遊んでいる、ブラウザのほうのゲームだった。
荷物が駅に溜まっているのに、車が出ない理由を知りたかった。
翻訳の表示に切り替えれば、大体はわかる。
ただ、自分で読めるなら、そのほうが何度も開き直さなくて済む。
俺は、もう一つのゲームを呼び出した。
【英語 Lv.2 → Lv.3】
【必要スキルポイント:2】
日曜日に受け取った分から、二点使った。
残りは十六になった。
*
同じ説明へ戻る。
文の途中で、どの条件について言っているのかを、追いやすくなっていた。
先に満杯になれば出る。
満杯にならなくても、指定時間になれば出る。
俺は設定画面を見た。
待ち時間のほうを、無制限にしていた。
(それは、出ないな)
自分で設定していた。
数字を直すと、止まっていた車が動き始めた。
道を曲がり、次の施設へ荷物を運ぶ。
俺は、しばらくそれを見た。
演技を上げて舞台へ出たあとでも、こんなことに二点使うのは、かなり楽しかった。
今度は、その下の説明も読んだ。
知らない単語は、まだあった。
でも、一つ調べると、文章へ戻りやすかった。
*
四日後の日曜日、二度目の公演へ出た。
舞台は同じだった。
机も椅子も、前と同じ場所にある。
違ったのは、客席だった。
前の回より席が埋まっていて、最前列に、子供と父親が座っていた。
ソウが、駅から三十五分の部屋を見せる。
俺が体を引くと、子供が先に笑った。
少しあとに、周りの人も笑う。
前回とは、音が返ってくる速さが違った。
俺は、次の台詞の前に一息分だけ待った。
小野さんの音を聞き、その続きへ戻る。
待っている間も、レンの顔は保てた。
遠い部屋へ行くのは嫌だが、安いのは惜しい。
そのまま紙を、もう一度だけ見た。
前列の父親が、口元へ手を当てた。
俺は、少し嬉しくなった。
*
ソウが帰る場面では、森野さんの声を待った。
前回より、言葉の終わりがゆっくりだった。
自分にも仕事がある。
ずっと付き合えるわけではない。
それを聞き、レンが紙を持ち直す。
「……わかった」
返事を急がなかった。
森野さんは、こちらを見てから、決まったら教えて、と言った。
責めて去る人には見えなかった。
俺も、置いていかれたように立ちすくむ必要はなかった。
次に、自分で電話をかける。
そこまで、自然に続けられた。
*
最後の歌は、最初の公演よりも、自分の声をよく聞けた。
緊張がなくなったわけではない。
客席から咳が聞こえると、少し気になる。
それでも、次に息を吸う位置を探して慌てることはなかった。
森野さんが、次の日曜、六時なら、と言う。
俺はその顔を見て、後半を歌った。
長い音を、前より少し柔らかく始める。
最後のほうで広げると、弱いところとの差が、ちゃんとついた。
歌い終え、短く返事をする。
明かりが落ちた。
拍手が聞こえた。
今度は、どこから聞こえ始めたかを探さず、その音をそのまま聞けた。
*
控室へ戻る途中、森野さんが言った。
「帰るところ、今日の返事、よかったです」
「はい。言ってもらったので、待てました」
「最後の歌も、ちょっと違いましたね」
「少し、変えました」
小野さんが後ろから来る。
「聞こえました。最後の上がり方、今日のも好きです」
俺は、短く礼を言った。
内心では、かなり浮かれていた。
(今のは、自分でも好きだった)
同じ曲を歌ったのに、また好きな歌い方が増えた。
安西さんが、ロビーのほうから手を上げた。
「お疲れさまでした。二回とも、ちゃんと終わりましたね」
俺はそこで、今日が今回の最後だったと思い出した。
もう一回くらい歌えそうだったけど、予定していた公演は、これで終わりだった。




