第85話 そこで、笑うんだ
日曜日の朝、実績の報酬を受け取った。
累計十垓。
昨日の夜に届いていた、十七ポイントだった。
残していた一と合わせて、十八になる。
歌唱の九は、三十四。
まだ、買えない。
俺は、演技の欄も見た。
次へ進めるだけのポイントはある。
ただ、今日の芝居は、今の六で何度も試してきた。困っているところを見つけたわけでもない。
ひとまず閉じ、朝ご飯を食べた。
(公演の日くらい、先に食え)
目の前の味噌汁が、少し冷めていた。
*
文化館へ着くと、受付の机に公演の紙が並んでいた。
入口の画面では、あの短い映像が流れている。
俺は自分の声が聞こえる前に、控室のほうへ曲がった。
見たくないわけではない。
今ここで立ち止まると、最後まで見そうだった。
森野さんは、控室で靴の紐を結んでいた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「ちゃんと寝られました?」
「……はい。少し、早く起きました」
「僕もです」
それを聞いて、少しだけ気が楽になった。
自分だけが、妙に早く目を覚ましていたわけではなかった。
*
午後二時が近づくと、客席の話し声が増えた。
舞台の袖からは、顔までは見えない。
椅子を引く音と、紙をめくる音が聞こえる。
俺は鍵を右手へ持った。
左には歌詞の紙。
何度も確かめた順番だった。
安西さんが、こちらを見る。
「大丈夫ですか」
「はい」
返事は、普通に出た。
内心では、台詞の最初を一度なぞっていた。
わかってる。
それを、変なところで丁寧語にしないようにする。
(本番で、わかってます、はやめろよ)
小野さんの音が、聞こえた。
客席が静かになる。
合図が来た。
俺は、音楽室へ入った。
*
鍵を置く。
ソウが、片付けていた手を止めた。
「鍵、明日返すんだからな」
「わかってる」
いつもの言葉だった。
ちゃんと出たので、次には相手の顔を見られた。
レンは、歌詞の紙を持ったまま立つ。
「次の部屋、見つかった?」
「……まだ」
客席のどこかで、小さく息が漏れた。
俺は、その音へ顔を向けなかった。
「おい」
紙を持ち上げる。
「曲は、できた」
「そっちが先かよ」
今度は、何人かが笑った。
思っていたより、はっきり聞こえた。
(そこ、笑ってくれるんだ)
嬉しくなったけど、レンまで一緒に笑うところではなかった。
俺は、少しだけ得意そうな顔を残した。
ソウに呆れられても、歌ができたことは悪いと思っていない。
*
最初の歌を歌った。
前奏の間に、森野さんの姿を見る。
ソウがバッグを置くところまで、何度もやってきた。
でも今日は、その横に、本当に人が座っていた。
視線を感じる。
最初は近くへ、小さく歌い出す。
後半で広げると、客席の向こうまで声が伸びた。
誰かが動く音はしたけど、声を押し上げる必要はなかった。
最後の言葉を閉じ、ソウを見る。
褒めてほしい。
それを顔へ残した。
「……で、部屋は」
短く息を吸う。
「今、そこ?」
「そこだよ」
客席が、また笑った。
俺は相手を見るまま、少し待った。
小野さんも、次の音を急がなかった。
笑い声が収まったところで、レンの次の台詞を言う。
歌を聞いてもらったあとも、芝居が続いていた。
*
場面が変わり、二人で喫茶店へ入った。
一覧の紙をのぞき、条件を聞く。
広いほうがいい。
近いほうがいい。
もちろん、安いほうがいい。
森野さんが、俺を見る。
「……お前が探せ」
小野さんが、軽い前奏を弾き始めた。
俺は少し顔を上げる。
次は、この図々しい人が、欲しい部屋を歌う番だった。
(任せろ。欲しいものなら、わかる)
息を吸って、一音目を出した。




