第80話 二回目を、残したい
藤崎さんが、机の真ん中へスマホを置いた。
「ここで、いいかな」
俺はマイクを持ち、少し声を出した。
録ってもらったものを聞くと、伴奏の音がかなり大きい。歌も聞こえるけど、細かいところは隠れていた。
置く場所を、スピーカーの正面からずらす。
マイクの音量も少し下げ、もう一度試した。
「今度は、声、ちゃんと聞こえる」
藤崎さんがうなずく。
「じゃあ、ここにしよう」
俺はスマホの置いてある場所を避けて、飲み物を端へ動かした。
歌っている途中で氷の音を盛大に入れるのは、できれば避けたい。
(自分がやりそうだから、先に置こう)
グラスから手を離した。
*
一回目の『青いスニーカー』は、音程がよく揃っていた。
藤崎さんは歌詞の画面を見ながら、最後まで歌い切った。
録音を止めると、マイクを膝へ置く。
「どうだった?」
「聞きやすかったです」
「だよね。間違えてないと思う」
そのまま、自分のスマホで聞き始めた。
最初のところではうなずいていたのに、サビに入ると、少し首を傾げる。
「……何か、真面目だね」
俺は、すぐには返さなかった。
確かに、音楽の日に聞いたものとは少し違う。言葉は整っているけど、あのときの足で拍を取る感じが、声にはあまり出ていなかった。
「最初から、間違えないようにした?」
「うん。残すなら、って」
藤崎さんが、画面を見たまま笑った。
「残すために歌うと、固くなるんだ」
俺は、録音された声を聞いた。
うまくやろうとしているのは、わかった。
でも、本人が欲しいのは、これだけではないらしい。
*
「もう一回、歌いますか」
「うん。今度は、そっち見て歌っていい?」
「俺ですか」
「そう。画面見てると、文字をちゃんと出すことばっかり考えるから」
俺は椅子へ座り直した。
聞く係として呼ばれたのだから、見られるくらいは問題ない。
たぶん。
(どんな顔で聞けばいいんだ)
そう思ったところで、前奏が始まった。
藤崎さんが、こちらを見て歌う。
俺は、知っている速さで軽くうなずいた。
最初の一行の終わりで、藤崎さんが少し笑った。
そのまま次へ行く。
今度は、サビの前に体が揺れた。声の出し始めも少し軽くなり、言葉が前へ進む。
聞いているほうも、足で拍を取りたくなった。
俺は途中から、録音のことをあまり考えずに聞いていた。
最後の音を伸ばす。
藤崎さんは、マイクを下ろす前に笑った。
「こっち」
録音を聞くより先に、言った。
*
二つを、短いところだけ比べた。
二回目は、一か所、言葉の出方が少し荒かった。
でも、その前後も含めて聞くと、明るさが続いていた。
藤崎さんが、自分でファイルの名前を変える。
『青いスニーカー 二回目』
「これ、残す。今日は、これでいい」
俺はうなずいた。
直そうと思えば、まだ歌える時間はあった。
でも、本人が好きだと思えたものを、あと一回、あと一回と続けてわからなくする必要はなかった。
俺にも、設備を買い足すのをやめるべき時刻はある。
守れるかどうかは、別だった。
*
「じゃあ、久瀬くんの番」
マイクを渡された。
俺は『帰り道』を入れた。
「それ、久しぶりに聞く」
「はい。歌いたくなって」
歌い始めると、体が、知っている息の使い方をした。
長い言葉を急がずに残し、高いところへ上げる。
舞台の役とは違う、自分の好きな歌い方で歌った。
藤崎さんはスマホを置き、こちらを見ていた。
サビが終わったところで、小さくうなずく。
俺は少し嬉しくなり、次の言葉も丁寧に出した。
最後まで歌うと、藤崎さんが拍手をしてくれた。
「やっぱり、これ好き」
「……俺も、好きです」
「うん。そういう顔してた」
俺は画面を見た。
どのあたりだったのか、確かめる方法はない。
今日は、こっちは録っていなかった。
(まあ、いいか)
好きなところが聞いている人にもわかったなら、それでよかった。
退室の時刻になり、二人で荷物を持った。
藤崎さんは、自分のスマホをエプロンと一緒にしまう前に、もう一度画面を見た。
「帰ったら聞こう」
そう言って、笑った。
俺も、あとで自分の好きな歌を聞こうと思った。




