第79話 消す前に、一回聞こう
月曜日の休憩室で、藤崎さんがスマホを伏せた。
「今、自分の歌、聞いてたんだ」
俺が椅子へ座ると、先に言った。
何を見ていたのか、まだ聞いてはいなかった。
「音楽の日のですか」
「うん。係の人が、出演者用に送ってくれたの。記録用の音だけなんだけど」
藤崎さんは、少し口を尖らせた。
「出てるときは気にならなかったところ、聞こえるね」
「ありますね」
俺は、かなりよくわかった。
以前は自分の声を聞くだけで、こんな声だったかと落ち着かなかった。今は好きなところもあるけど、聞き直すと、歌うときとは違うところが気になる。
「消そうかなって思ったんだけど、最後は好きなんだよね」
「……消さないでいいと思います」
「うん。まだ消してない」
藤崎さんが笑った。
「別に、誰かへ出すわけじゃないしね」
*
パンの袋を開けると、藤崎さんがスマホをもう一度持った。
「久瀬くんって、今、録ったもの、結構残ってるでしょ」
「はい」
「好きな曲、自分で聞けるの、ちょっといいなって」
俺は、食べる手を止めた。
音楽室の映像を、何度も見た。
二つ声を重ねた十五秒の歌も、好きなところを覚えている。
誰かに聞いてもらうためのものなのに、結局、自分もかなり聞いていた。
「いいです」
短く答えた。
ほかの言い方を考える必要が、あまりなかった。
「私も、一曲、残したい。大会の記録とかじゃなくて、今これが好きだから歌いました、ってやつ」
「『青いスニーカー』ですか」
「そう。何回か歌って、ちゃんと好きなほうを残したいな」
俺は、明日の勤務を思い出した。
藤崎さんと、入る時刻が同じだった。
「明日、少し早く来られますか」
「うん。何時?」
「二時くらい。部屋、借りて」
言ってから、続きを考えた。
藤崎さんが、こちらを見る。
(最後まで言え。そこが本題だ)
「……一緒に、録りませんか」
「いいの?」
「聞きたいので」
そう答えると、藤崎さんが笑った。
「じゃあ、お願いしようかな」
*
休憩のあと、店の空きと料金を確かめた。
勤務前なので、普通に一時間借りる。二人で割ると、一人四百八十円だった。
藤崎さんへ送ると、すぐに返事が来た。
『それなら行ける。録音、スマホでいいかな』
『大丈夫だと思います。置く場所、試しましょう』
送ってから、自分でも録音の画面を一度開いた。
立派な録音室を借りる話ではなかった。
自分の声を残して、あとで聞く。
そのためなら、机とスマホで試せることがある。
カウンターへ戻ると、藤崎さんが注文票を持ってきた。
「明日、久瀬くんのも一曲聞きたい」
「はい」
「返事、早いね」
俺は、注文票を受け取った。
(そこは、お任せください)
誰にも聞かれなくても歌っているくらいなので、聞きたいと言われれば、もちろん歌いたかった。
*
帰ってから、何を歌うか考えた。
舞台の曲は、まだ仕事で準備しているところだった。公開前の歌をそのまま録って渡すのは違う。
最近あまり歌っていなかった『帰り道』を選んだ。
高いところで、今でも少し嬉しくなる曲だった。
スマホのメモへ曲名を入れ、ゲームを開く。
塔の改良へ届くまで、あと二日ほど。
値段をもう一度見た。
次の塔だけを増やすより、今ある塔の中で、複製に使うキューブを貯めておくほうが得だった。
その改良を買えば、一秒の間に回せる回数が増える。
俺は購入後の数字を見比べた。
明日は、藤崎さんの歌を聞く。
明後日は、これを買う。
(いい予定だな)
スマホを充電台へ置き、布団を広げた。
寝る前に、明日の曲を小さくなぞる。
サビまで行ったところで、壁時計を見た。
今日は、そこでやめた。
明日、ちゃんと声を出せる部屋を予約してあった。




