↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
76/174

第76話 鍵盤の人は、待ってくれる

 木曜日、文化館の案内板の前で足を止めた。


 小ホールの横に、練習室の名前が並んでいる。


 俺は、スマホに届いた部屋番号を確かめた。


 二階、第三練習室。


 今日は、七番の客室ではなかった。


 それでも、入る前に番号を二度見るところは、あまり変わらない。


 扉を開けると、鍵盤の音がした。


 窓際に電子ピアノがあり、女性が短い旋律を弾いていた。森野さんが椅子を動かす手を止め、こちらへ顔を向ける。


「お疲れさまです。来ましたね、部屋を探す人」


「……今日は、ありました」


「よかった」


 森野さんが笑った。


 知っている人がいて、少し助かった。


     *


「鍵盤を担当する、小野です」


 女性が立ち上がった。


「久瀬です。よろしくお願いします」


「映像、見ました。あの歌、今日は一緒にできるの楽しみにしてました」


「……ありがとうございます」


 俺はバッグを壁際へ置いた。


 小野さんの譜面には、曲だけでなく、台詞の終わりも書いてあった。ところどころに鉛筆の丸がついている。


「曲が始まるところ、台詞で合わせるんですか」


「そうです。歌う前に久瀬さんが息を吸うのも見ます。早く入っちゃったら、言ってくださいね」


 俺は、もう一度譜面を見た。


 普段のカラオケなら、前奏が来たところへ、自分が合わせて入る。


 今日は、向こうもこちらを見てくれるらしい。


 (それは、ありがたい)


 少し考え込んで出遅れるところまで、待ってもらうつもりはなかったけど。


     *


 安西さんが、椅子を二つ並べた。


 演じるのは、俺と森野さん。小野さんは舞台の端で演奏する。


 登場人物を大勢増やすのではなく、二人が部屋を探している間に、場所を変えていく話だった。


 最初は音楽室。


 次は、駅前の喫茶店。


 最後には、新しく借りることにした小さな部屋へ行く。


「大きな看板を毎回出すわけではありません。椅子の置き方と、二人が何をしているかで場所を見せます」


 そう言って、安西さんは机に紙のコップを二つ置いた。


「ここなら、喫茶店」


 森野さんが、片方を手に取る。


「何も頼まないで部屋探しを始めると、店の人に怒られますもんね」


「レンは、そこも安く済ませたいかもしれません」


 安西さんに言われ、俺は自分の台本を見た。


 いちばん安い飲み物を頼む、と書いてあった。


 (本当に、そうだった)


 否定する材料がなかった。


     *


 最初に、全体を座って読んだ。


 知っている音楽室の場面が終わると、翌日の喫茶店になる。


「駅から、どのくらいなら歩ける」


 森野さんが読んだ。


「五分」


「狭くなるけど」


「広いほうがいい」


「高くなるぞ」


「安いほうがいい」


「……お前が探せ」


 俺は次の行へ目を落とし、思わず笑いそうになった。


 そこから二曲目が始まる。


 『空き部屋を探して』。


 レンが欲しい部屋の条件を挙げて歌い、途中でソウが、そんな部屋は空いていないと返す。


 俺は曲の見本を聞いたときより、歌いたくなった。


 これなら、少し図々しく歌ってもいい。


 普段の自分が同じことを頼めば、かなり困らせるだろうけど、今日は台本に書いてある。


 (遠慮なく、いい部屋を要求しよう)


     *


 最後の場面まで読むと、森野さんが紙を戻した。


「僕、最初は、ソウが全部用意してあげる人なのかなと思ったんですけど」


「はい」


「そうじゃないのが好きです。途中で、ちゃんと帰るから」


 安西さんがうなずいた。


「仕事もあるし、次の日も自分の予定がある人です。レンの歌は好きだけど、いつでも付き合えるわけではない」


 最後に、レンが日時を伝える。


 そこでようやくソウも、自分が行ける時間を言う。


 俺は、あの台詞を見た。


 次の日曜、六時なら。


 断られなかったから嬉しい、だけではない。


 いつ来てくれるのかまで、わかる返事だった。


「ここ、聞いてから歌うんですね」


 俺が言うと、小野さんが譜面を持ち上げた。


「はい。そこは、ちゃんと待ちます」


 前奏の手前に、丸がついていた。


 俺はうなずいた。


 早く歌いたいけど、その返事も、最後まで聞きたかった。


 安西さんが時計を見る。


「では、最初の曲から合わせましょうか」


 俺は紙を持って立ち上がった。


 小野さんが鍵盤へ向き直り、森野さんも椅子を動かす。


 今度は、流れてくる見本を一人で聞く時間ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。