第75話 三曲、あります
火曜日の午後、机に台本を広げた。
昨日届いたものより、ずっと厚い。正確には、昨日は日程と役の説明だけだった。今日のファイルには、最初から最後までの台詞が入っている。
通話がつながる前に、歌と書いてある場所を探した。
一つ。
二つ。
三つあった。
(いいですね)
まだ誰にも説明されていないのに、かなり引き受けたい気持ちになっていた。
「お待たせしました」
安西さんの声が聞こえる。
「台本、開けています?」
「はい。三曲、ありますね」
「あります。そこから見たんですね」
少し笑われた。
俺は一枚目へ戻した。
*
舞台も、題名は『六時のリハーサル』だった。
映像で使った音楽室から始まる。レンがソウを引き留め、作ってきた曲を聞かせるところまでは、同じ。
そのあとに、一週間分の話があった。
二人で、次に歌う部屋を探す。
安いところは遠く、近いところは小さい。ようやく空きを見つけると、今度はレンが、そこで誰に聞かせるのかを決めていない。
俺はページをめくった。
「この人、注文、多いですね」
「レンですか?」
「はい。広くて、近くて、安いところがいいって」
「一番いいのは無料だと思ってます」
俺は、返事が少し遅れた。
(そこは、わかるな)
人のことを言う前に、自分もゲームを値段で絞っていた。
「でも、ソウが全部決めてくれる話にはしません。レンが、歌いたいと言うだけでは進まなくなるところをやりたいんです」
最後のほうを見る。
レンが、電話をかける場面があった。
自分で部屋を借り、ソウに、来てほしい日時を伝える。
相手は少し考えてから、次の日曜日の六時なら、と答える。
そのあとに、最後の歌があった。
俺は、そこへ指を置いた。
「ここ、やりたいです」
「ありがとうございます。歌も、ここへ向けて作っています」
*
最初の曲は、『まだ、ここで』。
映像の六十五秒から先を足し、三分十二秒になっていた。送られてきた音を聞くと、知っている旋律が終わったあとで、もう一度、静かなところへ戻った。
そこから最後の高い音まで、今度はもう少し長い。
俺はイヤホンを押さえた。
(そこ、そうなるのか)
聞いたばかりなのに、自分で声を出したくなった。
「どうですか」
「好きです。後半の、もう一度上がるところ」
「石倉さんに伝えますね」
次の曲は軽く、最後の曲はゆっくり始まった。
全部を聞き終えると、通話の向こうで紙を揃える音がした。
「では、予定も見ていただけますか」
「はい」
こちらも、大事だった。
*
公演は、四週間ほど先の日曜日と、その翌週の日曜日。どちらも午後二時から、一回ずつだった。
三十五分くらいの芝居を、市民文化館の小ホールで上演する。
その前に、六回の稽古と、初日の前日の確認がある。稽古の多くは昼から夕方までで、夜の勤務とは重ならなかった。
出演料は、二公演と準備をまとめて十万八千円。交通費も含まれ、二度目の公演の翌日に振り込まれる。
俺は、金額の横に日付を書いた。
十万八千円。
(曲が三つあって、これが入る)
ずっと前に見た大会の賞金も、十万円だった。
あのときとは違って、今回は日程どおりに準備し、人前へ出る仕事だった。自分がちゃんと行けることを、先に確かめないといけない。
勤務の予定を並べる。
まだ希望を出せる期間だった。
「今日、店長に相談してもいいですか。公演と前の日を、休みにしたいので」
「もちろんです。そこが決まってから、お返事をください」
うなずいて、通話を終えた。
*
勤務へ行く前に、台本をもう一度開いた。
レンは、最後の電話をかける直前にも、少し迷っていた。
部屋を借りる金額はわかった。時間も空いている。
残っているのは、自分が使うと言うだけだった。
俺は、その短い台詞を小さく読んだ。
「日曜の、六時から。……お願いします」
言ったあと、顔を上げる。
普段の自分でも、そういう返事をすることが増えていた。
ただ、舞台でやるなら、その前後も全部、人に見られる。
少し落ち着かなくなった。
それでも、歌が三つある。
最後まで読む気は、なくならなかった。
その夜、店長と日程を確認できた。公演前後の希望を出し、決まっていた勤務はそのまま入ることにした。
休憩に入ってから、安西さんへ返事を送る。
『日程、大丈夫です。レン役、お願いします』
送信したあと、曲のファイルも開いた。
休憩が終わるまで、あと八分。
三曲全部は、入らない。
(まず、好きなところから)
イヤホンをつけ、最初の曲の続きを再生した。




