第72話 八万円、入っていた
木曜日の昼、口座の画面を開いた。
映像の出演料、六万円。
短い曲の録音、二万円。
それぞれ、予定どおりの振り込みがあった。
俺は上へ戻して、残高をもう一度見た。
(増えたな)
キューブも毎日増えるけど、こっちの数字には、別のよさがあった。買い物ができる。家賃も払える。
しかも今回は、歌って、芝居をして、その分が入っている。
椅子の背へもたれた。
しばらく、そのままにしていたかった。
*
ひと息ついてから、仕事のメモを開いた。
石倉さんのところへ行く電車は、往復四百八十円。今回は最初の顔合わせから数えて、昨日までに四回行った。
撮影の部屋へは、下見と二日間の撮影で三回。こちらは往復六百円。
練習に使ったカラオケ代も入れると、ここまでで四千四百四十円だった。
土曜日に完成したものを見に行く分として、さらに四百八十円を残す。
八万円から引くと、七万五千八十円。
俺は、その金額をメモの下へ書いた。
使っていい金額を知りたかっただけなのに、書くと、また少し嬉しくなった。
(衣装、買わなくてよかった)
黒っぽいパンツも、無地のシャツも、家にあったものが使えた。
洗って干したシャツが、まだ窓際に掛かっている。
撮影のために着たのに、帰ってきたら、いつもの服だった。捨てずに取っておいた自分を、今日は少し評価しておく。
店の給料も、いつもどおり入る。
来月の勤務を急に減らす予定はないけど、今月は、支払いのあとに残る分が増える。
俺はスマホで、前から気になっていたゲームのページを開いた。
設備を並べて、自動で物を運ぶゲームだった。
紹介映像の途中で、ベルトの分岐が詰まっている。
(そこ、一本増やしたい)
買う前から、他人の工場へ口を出していた。
値段を確かめ、お気に入りへ入れた。今日は夜に勤務がある。新しく始めるなら、明日の休みにしたかった。
そのまま閉じるつもりが、紹介映像だけ、もう一度見た。
*
森野さんから、メッセージが来た。
『昨日、声の直し終わったって聞きました。お疲れさまです』
お疲れさまです、と返したあと、続けて打った。
『つながったもの、少し見ました。部屋が見つかってないところ、よかったです』
『あそこ、僕も好きです。そっちが先かよ、って本気で思ってるので』
俺は、少し笑った。
自分の役は、なかなか信用されていない。
『土曜日、全部見るの楽しみです。公開されたら、演劇やってる友達にも送ろうと思ってます』
森野さんも、知っている人に見てもらいたいらしい。
『久瀬さんは、見せる人います?』
俺は、三人のグループの名前を見た。
藤崎さんと、相原さん。
店長も、撮影が終わったと話したら、見られるようになったら教えてと言っていた。
『います。歌を聞いてもらってる人たちに、送ろうと思ってます』
『いいですね。今度は芝居も見てもらえる』
俺は、返事を打つ手を止めた。
そうなる。
歌の前も、俺が映っている。
台詞があって、相手を見て、少し笑うところもある。
昨日は、つながったのが嬉しくて見ていたけど、知っている人が見ると思うと、急に顔のことが気になった。
(でも、見てほしいんだよな)
撮り終えたあとで、そこを隠したくはなかった。
俺は、短く返した。
『はい。そこも、見てほしいです』
*
夜、勤務の休憩に入ると、藤崎さんが先に座っていた。
「お疲れ。そういえば、映像って、もうできた?」
「土曜日に、完成したものを見ます」
「じゃあ、もうすぐだ」
「はい。日曜から見られる予定です」
「楽しみ。私が歌ってるとこは見てもらったし、今度は久瀬くんの番だね」
俺は、買ってきたパンの袋を開けた。
普段より一つ、多く買っていた。
入金があったので、そのくらいはよかった。
「何の役だっけ。歌う人?」
「はい。友達に、帰らないでほしい人です」
「へえ。久瀬くん、そういうのあんまり言わなさそう」
「……役なので」
「そっか。じゃあ、なおさら見たい」
藤崎さんが笑った。
俺はパンを一口食べた。
(自分で、見てほしいって言ったんだろ)
さっきの返事を思い出して、心の中で自分を止める。
言った。
日曜日になったら、ちゃんと送るつもりだった。




