第71話 その一言だけ、録り直す
水曜日、石倉さんの制作室で、編集途中の映像を見せてもらった。
画面の中で、俺と森野さんが机を挟んで話している。
撮影した順番とは違って、部屋へ入ったところから、歌が終わるまで続いていた。
自分の顔が映ると、どうしてもそちらを見てしまう。目の下が暗くないかとか、口元が変じゃないかとか、まず余計なところが気になった。
でも、森野さんへ画面が切り替わると、台詞を聞く余裕ができた。
『次の部屋、見つかった?』
『……まだ』
森野さんの顔が、少し止まった。
呆れる前に、一瞬だけ、返事を待っている。
俺は、その顔を見たあとで、画面の外の自分が何を言うか知っていた。
『曲は、できた』
『そっちが先かよ』
隣で、安西さんが小さく笑った。
俺も、少し口元が緩んだ。
(悪いな。部屋は、まだなんだ)
何度も練習した台詞なのに、つながると、ちゃんと二人が困っている場面になっていた。
*
歌の途中まで見たところで、安西さんが一度止めた。
「ここまで、流れはこんな感じです。あと、直したい音が一つあって」
少し前へ戻す。
『お前の三分、長いんだよ』
『今日は、短い』
俺の台詞の頭に、かさっと、小さな音が重なった。
指摘されるまで、気づかなかった。
「服が擦れた音ですね。このときの顔と、森野さんの返しを使いたいので、声だけ録り直したいんです」
石倉さんが、俺の台詞だけをもう一度流した。
短い、と言いながら、相手の様子を確かめている声だった。
ただ曲の長さを答えている感じではない。
「同じ速さで、これに合わせればいいですか」
「うん。映像も見られるようにするね」
俺は録音室へ入り、ヘッドホンをつけた。
小さい画面には、自分の顔が映っていた。
(顔を見る暇はない。口を見ろ)
もう一度、前の台詞から流してもらう。
森野さんの声を聞き、息を吸う。
「今日は、短い」
口が閉じるところまで、合わせた。
*
「タイミング、合ってます」
安西さんの声が、ヘッドホンに入った。
「最初の一音だけ、さっきより元気でした。もう少し、相手を見てるくらいにできます?」
「はい」
撮影したときは、森野さんがすぐ横に立っていた。
今日は壁と画面がある。
俺は、ソウがバッグを持ち直したところを思い出した。
このあと本当に帰られたら、作ってきた歌を出す機会がない。大きな声で呼び止めるほどでもないけど、もう一言は聞いてほしい。
同じ映像が、もう一度流れた。
「今日は、短い」
今度は、出し始めを少し抑えた。
速さは変えない。
相手を引き留める気持ちと、口の動きとを、一緒に追えた。
「うん。それ、使います」
俺は、マイクから少し離れた。
演技を五にしておいてよかった。
気をつけることが二つあっても、一つ直したら、もう一つを忘れることが減っていた。
*
部屋を出ると、石倉さんが新しい声へ入れ替えてくれた。
映像の中で、俺が同じ台詞を言う。
さっきの擦れる音は、なくなっていた。
森野さんが、やれやれという顔で足を止める。
そのあとも、普通に場面が続いた。
「変じゃないですね」
「うん。ちゃんと、そこにいる声になってる」
石倉さんが言った。
俺は、少し前へ座り直した。
いま録ったものが、もう場面の中で使われている。
(これ、いいな)
撮影した日へ戻らなくても、あの一言を直せた。
「もう、これで音は大丈夫そうです。あとは仕上げて、土曜日に全部見ましょう」
安西さんが、作業のメモを閉じた。
契約に入っていた追加録音は、この一言で済んだ。確認も合わせて、一時間かからなかった。
*
帰る前に、石倉さんが、もう一つ音を流した。
月曜日に録った、読書フェアの曲だった。
「こっちも、最後の確認をお願い」
十五秒の映像に、本を開く手元と、フェアの名前が出る。
その後ろで、二つ重ねた俺の声が流れた。
上の声が好きなので、また、そちらを聞いてしまった。
今度は仕事の確認もする。言葉が途切れていないことと、送ってもらった案内の表記を確かめた。
「大丈夫です」
「ありがとう。これで渡せます。追加で録るところもないです」
石倉さんが、確認済みの欄へ印をつけた。
短い曲のほうも、これで終わった。
俺は帰りの電車で、土曜日の予定を開いた。
完成した映像を見る。
撮影前には、その一行を、仕事の確認だと思って入れた。
今は、早く見せてもらいたかった。




