第68話 映っていないときの台詞
土曜日、撮影の部屋には、昨日と同じ服が掛かっていた。
俺は着替え、鍵を受け取った。
机も椅子も同じ場所にある。
違ったのは、カメラの向きだった。
昨日より壁の近くへ寄り、森野さんの顔が大きく映るようになっている。
「今日は、こっちを撮っている間も、久瀬さんには同じように話してもらいます」
安西さんが言った。
「はい」
「返事を聞く相手が実際にいたほうが、やりやすいので」
俺は、カメラに入らない位置へ立った。
画面には映らなくても、相手役は続くようだった。
森野さんがバッグへ手をかけた。
俺は、昨日と同じところで呼び止める。
「三分だけ、残れよ」
相手が、顔をこちらへ向けた。
カメラが近いせいか、少しだけ視線の位置が違う。
俺は、教わったところへ立ち直して、次の言葉を待った。
「お前の三分、長いんだよ」
「今日は、短い」
森野さんが、俺の持つ紙を見た。
そのあと、顔へ視線が戻る。
歌を聞くか迷っているように見えた。
俺は、早く次を言いたい気持ちを少し抑えて、その間を待った。
*
撮ったものを、安西さんが流した。
森野さんの顔だけが、大きく映っている。
俺の台詞を聞くと、目が動いた。
紙を見る。
また俺を見る。
昨日、二人を一緒に撮ったときには、ここまで細かく気づかなかった。
帰りたいのに、気にはなっている。
そう見えた。
俺は画面から、森野さんへ顔を向けた。
「今の、好きです」
「ほんとですか」
「はい。帰らないでくれそうで」
森野さんが笑った。
「そこは、もう残る気になってました」
自分の姿がない映像でも、見ていて嬉しかった。
相手がどう返したかを、ようやく近くで見られた感じがした。
次は、俺のほうを撮った。
椅子の位置は変えず、カメラと明かりの位置が動く。
その間、俺は机へ置く鍵を見ていた。
昨日と、さっきと、同じところ。
何度も見たので、もう置く場所は迷わなかった。
合図が来る。
俺は台詞を言い、紙を持ち上げた。
画面の外から、森野さんの返事が来た。
その声を聞くと、自然に視線がそちらへ向く。
今は、見せている顔を一つずつ作り直さなくてもよかった。
相手が帰ろうとする。
俺は、止めたい。
そのつもりでいると、決めた動きの中でも声を変えられた。
途中で、安西さんが止めた。
「今の、よかったです。ただ、昨日より笑うのが少し早かったので、紙を見てもらってからにできますか」
「はい」
俺は最初の位置へ戻った。
どこで顔が緩んだかは、自分でもわかった。
次はそこだけを遅くする。
台詞を言い、相手が紙を見るのを待った。
視線が戻る。
そこで、少し笑った。
カットがかかると、安西さんがうなずいた。
「揃いました。ありがとうございます」
俺は肩を下ろした。
(よし)
ポイントを使っていなかったら、ほかの動きも一緒に変わっていたかもしれない。
今は、変えたいところを選べるのが楽しかった。
休憩に入り、森野さんが椅子の背へもたれた。
「今の返し、よかったです。僕のほうを撮ってるときも同じ感じだったので、助かりました」
「映ってないときも、ちゃんとやるんですね」
「はい。相手が急に読んでる声になると、こっちもちょっと戻っちゃうので」
俺のほうを撮っていたときにも、森野さんは同じ顔で返してくれていた。だから、カメラの向きが変わっても、さっきの続きをやるつもりで話せた。
森野さんが、俺の持っている紙を見た。
「次、歌ですね」
「はい」
「急に返事が早い」
言われて、俺は少し笑った。
(そこは、ずっと待ってたので)
石倉さんが、部屋の奥で音を確かめている。
昨日から何度も人を引き留めてきた。
今度は、本当に歌って残ってもらう番だった。




