第67話 帰ってくるところから、もう一度
金曜日の午後二時、撮影の部屋へ入った。
窓の布の内側に明かりが置かれ、壁の色が、水曜日より少し夕方らしく見えた。
机には、あの鍵がある。
俺は衣装のシャツへ着替え、用意された場所で立つ位置を確かめた。
森野さんは、すでにバッグを持っていた。
「今日は、何回帰れるかな」
「……残ってもらいます」
「お願いします」
そう返され、俺も少し笑った。
最初は、二人が一緒に映る向きから撮った。
俺は一度、扉の外へ出る。
鍵は右手。歌詞の紙は左手。
中から、準備ができたという声が聞こえた。
俺は扉を見た。
この向こうへ入ったら、森野さんがソウとして片付けをしている。
言う順番は覚えていた。
それでも、最初の合図を待つ間は、少し胸が落ち着かなかった。
(入るところで、鍵を落とすなよ)
手に持っている感触を確かめ、余計に握り直すのはやめた。
合図が来た。
扉を開けた。
机の右端へ鍵を置く。
ソウが、しまいかけた荷物から顔を上げた。
「鍵、明日返すんだからな」
「わかってる」
俺は、紙を持ったまま椅子の横へ立った。
ソウがバッグを閉じる。
「次の部屋、見つかった?」
「……まだ」
「おい」
返事をされ、顔だけそちらへ向けた。
レンは、このあとどこで歌うかをまだ決めていない。
先に、新しい歌だけ作ってきた。
俺は紙へ目を落としかけ、少しだけ持ち上げた。
「曲は、できた」
「そっちが先かよ」
森野さんの声が、呆れたように響いた。
俺は笑わずに、うなずいた。
この人なら、先に曲を作りそうだった。
ソウが帰ると言う。
俺は、その足が扉へ向くところで呼び止めた。
「三分だけ、残れよ」
返事が来るまで、顔を見た。
紙をすぐには見せない。
相手がまだ立っているのを確かめてから、できた歌のことを話す。
椅子へ手をかけるところでも、目を落とさずに動けた。
読み合わせで止まっていたところを、そのまま通れた。
ソウが紙を見る。
俺は、相手の顔へ視線を戻した。
「はい、カット」
安西さんの声で、息を吐いた。
「いいです。今の、頭からつながりました」
俺は、カメラの横の画面を見せてもらった。
扉から入ってきた自分が、鍵を置いている。
そのあと、二人が話す。
カラオケ店の休憩室で話している俺とは違った。
短い返事のままでも、相手へ何かしてほしい気持ちが見える。
しかも、鍵を置くところで下ばかり見ていなかった。
(ちゃんと動いてる)
安西さんが、途中で一度止めた。
「ここ、紙を持ち上げるのをほんの少し遅くしてみましょう。ソウの『おい』を聞いてから」
「はい」
「ほかは今の感じで大丈夫です」
変える場所が一つだけだと、わかりやすかった。
俺は鍵を取り、扉の外へ戻った。
*
二回目は、返事を聞いてから紙を持ち上げた。
相手が何に呆れたのかを、見てから返す。
その一瞬が増えても、次の動きは崩れなかった。
演技を上げたあと、自分で動かしやすくなったところだ。
決めた位置へ立ち、同じところで椅子へ手をかける。
カットがかかると、森野さんがうなずいた。
「今の、よかったですね」
「……ありがとうございます」
「さっき変えたところ以外が揃うので、こっちもやりやすいです」
俺は少し嬉しくなった。
録音で同じ声を出せたときと、似ていた。
今度は、声だけでなく、手や足も同じところへ戻せる。
*
休憩では、二人で壁際の椅子へ座った。
森野さんが水を飲む。
「レンって、部屋探しは絶対あと回しですよね」
「そうですね」
「ソウ、帰りながら探してそう」
俺は、台本の続きを見た。
その先は、映像には入っていない。
でも、言われてみるとそういう二人に見えた。
「……歌ってる間に、見つけてもらいたいですね」
「それはレンの意見?」
俺は少し止まった。
(今のは、どっちだ)
森野さんが笑い、俺も笑った。
部屋探しまで本当に任せるつもりはなかったが、歌っていたい気持ちは、よくわかった。
午後六時より前に、その日の予定を撮り終えた。
明日は、別の方向から二人を撮り、歌も録る。
鍵と紙を担当の人へ戻してから、シャツを着替えた。
同じ服を明日も使うので、変に畳んで皺をつけないよう、用意されたハンガーへ掛ける。
森野さんは、まだ安西さんと明日の場面を話していた。
俺も最後まで聞いた。
自分の顔が映っているところ以外も、どう撮るのか気になっていた。
帰る前、机の右端を見た。
明日もそこへ、鍵を置く。
そのあとには、今日まだ歌っていない一曲があった。




