第62話 今、誰に言った
自分の声が、いつもより少し低く聞こえた。
ちゃんと言おうとして、思ったより格好をつけたらしい。
安西さんはそのまま、ソウの台詞を返した。
「お前の三分、長いんだよ」
俺は次の行を見る。
「今日は、短い」
言ってから、顔を上げた。
安西さんが、台本をいったん置いた。
「声は、聞きやすいです。もう一度だけ、最初からやってみましょう」
「はい」
「今のレンは、いい声で言うほうへ少し気持ちが向いていました。ソウが本当に帰ったら困る、というところから始めてもらえますか」
俺は、紙から手を少し離した。
図星だった。
さっきの台詞を言っている自分が、どう聞こえるか気になっていた。
(格好よく言おうとしてるの、ばれてる)
安西さんは、隣に置いていたバッグを持った。
「私、立って帰るつもりでやりますね。止めたいところで声をかけてください」
「わかりました」
紙を持ったまま、相手を見る。
椅子が引かれた。
安西さんが、バッグを肩へ掛ける。
そのまま扉のほうへ向きかけたので、俺は声を出した。
「三分だけ、残れよ」
今度は、低くしようとはしなかった。
立ち上がった相手へ届くくらいの声になった。
安西さんの足が止まった。
こちらを振り返る。
「お前の三分、長いんだよ」
さっきより、呆れた言い方だった。
俺は少し間を置き、相手の顔を見たまま答えた。
「今日は、短い」
言ってから、口元が少し緩んだ。
そんなに信用がないのかと思った。
台本では、レンも少し笑うところだった。
安西さんがバッグを下ろした。
「今のほうが、ずっといいです」
俺は息を吐いた。
気にするものが一つ決まると、声も顔も合わせやすかった。
演技のスキルを買ったときに、どう見せるかは少しわかった。何をしたい人物なのかは、台本と相手を見て考える必要がある。
今は、帰らないでほしい。
そのつもりで言ったら、同じ言葉が変わった。
短い範囲を、今度はカメラでも撮った。
石倉さんが、机の端へ小さいカメラを置く。
安西さんは画面の外から話すので、レンズへ向かって言わなくていいと教えてくれた。
俺は、帰ろうとする相手を見た。
呼び止める。
返事が来る。
相手がまだそこにいることを確かめて、次を言う。
三回目には、台本を見ずに短いやり取りを続けられた。
長い文章を全部覚えたわけではない。この数行なら、何を言いたいのか、もう頭に入っていた。
録ったものを見せてもらう。
画面の俺は、誰かを引き留めていた。
落ち着いた顔をしているが、相手が立つと視線が動く。返事を待っている間も、ただ止まってはいなかった。
俺は、そこをもう一度見たくなった。
(おお。芝居、してるな)
自分でやったものなのに、少し面白かった。
*
「これを一度、制作側でも確認します。木曜日までにお返事しますね」
安西さんが言った。
「お願いします」
「やってみて、どうでした?」
俺は少し考えた。
緊張はした。
普段言わない台詞を、最初は変な声で言った。
でも、二回目からは、次の返事を聞きたくなった。
「……もう少し、やってみたいです」
そう答えると、安西さんがうなずいた。
石倉さんからは、試した部分を手元で見返してよいと、確認用の映像を送ってもらった。
俺は礼を言い、制作室を出た。
*
翌日の火曜日、藤崎さんから連絡が来た。
『音楽の日、出られることになった』
続けて、送られてきた案内を開く。
日曜日の午後一時二十分から、八分の枠。
三週間ほど先の催しだった。
俺は勤務の予定を見た。その日は夕方からなので、聞いてからでも間に合う。
『聞きに行きます』
先に返した。
藤崎さんから、嬉しそうな顔の絵が届く。
相原さんも、今回は行けそうだと返していた。
俺は催しの日付へ、出演時刻を足した。
次に何を歌うか知っている人が、もう出るつもりで準備を始めている。
こちらの結果も、早く届いてほしくなった。
木曜日までは、あと二日ある。
待つ間に、昨日の試した映像をもう一度見た。
画面の俺が、三分だけ残れと言う。
そのあと、本当にどんな歌を歌うのか。
自分でも、続きをやりたくなっていた。




