第61話 三分だけ、残れよ
月曜日の午後、石倉さんの制作室へ行った。
今日は、歌詞の紙を持っていなかった。まず映像の内容を聞き、時間があれば短く読んでみる、と連絡をもらっている。
靴を脱いで中へ入ると、机の横に知らない女性がいた。
四十代くらいに見える。膝に置いた薄いファイルを閉じ、こちらへ顔を向けた。
「久瀬さんですね。安西です。今日はありがとうございます」
「久瀬です。よろしくお願いします」
向かいの椅子へ座った。
石倉さんが、俺の分の飲み物を机へ置く。
「あの告知の、最後の誘い方がよかったと話してくださって」
「はい。押しつけない感じが、今回考えている人物に合いそうだったんです」
安西さんが言った。
俺はうなずいた。
(あそこ、四ポイント使ったところです)
映像を撮ってから、それを見ていた人に会うところまで来た。
何と言う人物なのか、早く知りたかった。
*
渡された紙には、『六時のリハーサル』と書いてあった。
小さな音楽芝居を紹介するための、短い映像らしい。四分くらいで、一つのやり取りを最後まで見せるという。
登場人物の名前が、二つ並んでいる。
レン。
ソウ。
「久瀬さんに読んでいただきたいのは、レンです。新しい歌ができたので、友人に聞かせたい人」
「はい」
「場所は、二人が使っていた音楽室。もうすぐ使えなくなるので、ソウは片付けをして帰ろうとしています」
俺は、次のページを見た。
椅子が二つ。譜面台。壁際には、しまいかけた荷物。
そこへレンが来る、と書いてある。
「こっちは、まだ歌いたいんですね」
「そうです。聞かせたい相手が帰ろうとしているので、止めたい」
それなら、少しわかった。
歌えるところまで準備して、もう帰ると言われたら、俺も惜しい。
せめて一曲、と思うだろう。
レンの台詞に、線を引いた。
最初は短かった。
『三分だけ、残れよ』
俺はその行を見たまま、少し止まった。
普段、誰かをそう呼び止めたことはない。
残ってもらえますか、なら、まだ言えそうだった。
でも、それではこの人物と違う。
「レンは、ソウとは長い付き合いなんですか」
「はい。丁寧に頼むほうが、かえって変なくらい」
「なるほど」
その下には、ソウの返事があった。
『お前の三分、長いんだよ』
俺は少し笑った。
安西さんがこちらを見る。
「何となく、わかります?」
「……三分で終わらないほうは」
石倉さんも笑った。
寝る前に三分だけゲームを開いて、本当に三分で終わったことは、あまりない。
この人も、そういうところがあるらしかった。
歌は、石倉さんが作っていた。
映像で使うのは、一分ほどの部分だという。
聞かせてもらうと、静かに始まり、後半で声を伸ばせる旋律だった。最後の一音の手前が好きだったので、もう一度そこを聞いた。
「まだ仮ですが、どうですか」
「歌ってみたいです」
すぐに答えてしまった。
安西さんが、机へ手を置いて笑う。
「その感じがあれば、レンはわかりやすいかもしれませんね」
俺は台本へ目を戻した。
役について質問しに来たのに、先に歌いたいと答えていた。
(まあ、そこは最初から言ってたしな)
歌があると聞いて、来たかったのも本当だった。
*
公開するのは、企画の公式ページと、会場のロビーに置く画面。
舞台の内容を知らせるための映像で、使う役もその舞台に出てくるという。ただ、今回の相談は映像への出演で、舞台へ出ることまで一度に決める話ではなかった。
俺は、台本の最後まで目を通した。
難しそうな言葉は、あまりなかった。
でも、台詞のないところにも、「ソウを見る」「紙を渡そうとしてやめる」と書いてある。
その動きもやるのだとわかり、少しだけ緊張してきた。
顔を上げると、安西さんが俺を待っていた。
「少し、読んでみますか」
「……はい」
「今日は私がソウの台詞を読みます。座ったままで大丈夫です」
俺は紙を持ち直した。
自分ではない人物として、誰かへ話す。
告知を撮ったときとは、少し違った。
でも、試したかった。
安西さんが、ひとつ前の台詞を読んだ。
俺は息を吸い、試す範囲の最初の言葉を口にした。
「三分だけ、残れよ」




