第55話 笑うところまで、十五秒
日曜日の昼、自分の顔が映ったスマホを机に置いた。
録画を始めて、宮田さんから届いた文章を言う。
「久瀬凪です。日曜日の午後一時半から、ステーションスクエアの広場で歌います。ぜひ、聞きに来てください」
止める。
再生した。
画面の中の俺が、ずっと真剣な顔をしていた。
声は聞こえるし、言い間違えてもいない。ただ、楽しそうな催しへ誘っている感じが、あまりしなかった。
(場所と時間を読み上げる係だな、これ)
もう一度、やってみた。
最後だけ笑う。
すると、言い終わったあと、急に口元だけが動いた。
自分でも少し怖かったので、途中で止めた。
*
人と話していて、自然に笑うことはある。
藤崎さんや相原さんといるときは、前より増えたと思う。
でも、一人でスマホへ向かい、「ここで笑う」と決めると、どこをどう動かせばいいのか急にわからなくなる。
鏡で練習を続ける前に、スキルを見た。
演技。
声や表情、動きで、意図した人物や様子を表す技能だと書かれていた。
俺自身の出演を知らせるのだから、別人を演じるわけではない。それでも、楽しみに来てほしい顔を作ることには使えそうだった。
【演技 Lv.0 → Lv.1】
【必要スキルポイント:1】
一点、使った。
スマホを元の位置へ戻す。
今度は、口元だけを動かそうとしなかった。言葉を出すときの声と、相手を見る目の感じを、少し合わせられる。
最後まで言い、再生した。
前より、ずっと普通だった。
(普通の自分を撮るのに、ポイントを使った)
何となく納得できないが、変化ははっきりあった。
しかも、さっきより見ていられる。
俺は、もう一回再生した。
*
一時になる頃、もう二段階上げることにした。
二にするのに一点、三にするのに二点。
合計三点を追加で使うと、残りは十八になった。
倍率に使えるところまでは、まだ貯まっていない。今日は、もう少しいい顔で映りたかった。
スマホのレンズを見た。
誰へ言うのかを考える。
広場へ通りかかって、聞いていこうか迷っている人。曲を知っていたら、少し足を止めてくれる人。
そういう人を、気軽に誘いたい。
声を出す前に、肩の力が抜けた。
名前を言い、場所と時間を伝える。
最後は、少し笑って、聞きに来てくださいと言った。
画面の中の俺は、眠そうな目のままだった。
でも、面倒くさそうには見えなかった。
声の明るさと表情が揃い、最後まで相手に話しているように見える。
俺は肘を机へついた。
これなら、使ってもらえそうだ。
そう思ってから、もう一度見たくなった。
*
午後二時、ステーションスクエアの会議室へ入った。
入口の横へ荷物を置き、撮影用に椅子を寄せた壁の前に立つ。
宮田さんと、撮影を担当する女性がいた。石倉さんも、音の確認をするために来ていた。
「今日は、歌わなくて大丈夫ですよ」
石倉さんが言った。
「はい」
口ではそう答えたが、少し惜しかった。
(歌っていいなら、そっちもやりますが)
女性がカメラの高さを合わせ、俺の足元へ短いテープを貼った。
「この位置でお願いします。目線はレンズへ。文章は、横にも貼っておきますね」
すぐ脇の板に、大きな字の紙が置かれた。
見れば読める。ただ、家で覚えてきた文章だったので、最初からレンズを見た。
録音用の小さなマイクを服につけてもらう。
胸の近くに音を拾うものがあると、それだけで少し背中が落ち着かなかった。
撮影の女性が、カメラの横から顔を出す。
「一度、やってみましょう」
俺はうなずいた。
*
合図を待って、息を吸った。
名前。
時間と場所。
最後に、聞きに来てください。
家で確かめたときと同じように、言葉を進めた。数字のところは少しはっきり。最後は、相手が断っても困らないくらいの軽さで誘う。
言い終わっても、すぐには顔を戻さなかった。
「はい、ありがとうございます」
声がかかってから、息を吐いた。
石倉さんが、時間を確かめる。
「収まってます。声もきれいに入ってますね」
女性が、小さい画面をこちらへ向けた。
そこには、家で撮ったものより明るく映った俺がいた。
背景に余計な物がなく、声も近くから聞こえる。
何より、顔がずっと真剣ではなかった。
「いいですね。もう一回だけ、最後をもう少し気軽にできますか。お友達を誘うくらいで」
「はい」
俺は立つ位置へ戻った。
相原さんと藤崎さんに、日曜の時間を知らせるところを考えた。
ただし、普段どおりなら「よかったら」で終わってしまう。
今回は、最後までちゃんと言う。
合図に合わせ、もう一度話した。
*
二回目が、使う候補になった。
最後の一言が、最初より軽く聞こえる。自分でも、こちらのほうが好きだった。
「普段から、こういうの撮ってるんですか?」
マイクを外しながら、女性が聞いた。
「……いえ。今日、家で少し」
「準備してきてくださったんですね。助かりました」
俺は会釈した。
家で試したことは本当だった。
最初の録画は、できれば誰にも見せたくない。
宮田さんが、椅子を元へ戻しながら言った。
「撮っているとき、すごく柔らかい感じでしたね」
「……そうですか」
「はい。見た方も、聞きに行きやすいと思います」
何と返したらいいか考えた。
来てくれたら嬉しいです、でいいだろうか。
いや、もうそれを映像で言ったばかりだ。もう一回言っても変ではないが――。
考えているうちに、石倉さんが、完成版は明日送ると話し始めた。
俺はそちらへ顔を向けた。
「お願いします」
いつもの短い返事になった。
*
三時前に撮影が終わり、帰りのバスへ乗った。
窓際へ座り、今日の予定を確かめる。いったん家へ戻っても、夕方の勤務には間に合う。
撮る前は、自分の顔が施設の画面へ出ることが気になっていた。
今も、気にはなる。
ただ、撮ったものを見ると、出てほしくないとは思わなかった。
あの映像を見て、俺の歌を聞きに来る人がいるかもしれない。
次に広場で歌うとき、顔を覚えている人もいるかもしれない。
想像すると落ち着かないのに、少し楽しみだった。
スマホで、家の練習用の録画を開く。
最後に撮ったものを、一回だけ見た。
それから最初のものを選びかけて、やめた。
(そっちは、もういい)
次の停留所の案内が聞こえ、俺はスマホをしまった。




