第53話 今度の歌は二十秒
日曜日の午前中、ステーションスクエアの広場へ寄った。
工作用の机が何列も並び、親子や友達同士で来た人が、材料の入ったトレーをのぞいていた。
その向こうから、『ひとつ先の週末』が聞こえてきた。
この前、入口で聞いた三十秒の続きがある。
俺は通路の端に立って、二番まで聞いた。最後のサビで声が広がる頃、近くの机では、子供が完成したものを持ち上げていた。
店の人が、乾くまで置いておこう、と声をかける。
俺の歌は、その間も流れていた。
歌を聞くために静かになる会場ではなかった。でも、流れている間、広場の様子を見ているのが楽しかった。
曲が終わるまで、その場にいた。
帰る前に、石倉さんへ、全体が流れているのも聞けたと送った。
すると、昼過ぎに返事が来た。
『ありがとうございます。ちょうど、別の短い歌でもお願いしたいことがありまして』
俺は続きを開いた。
*
今度は、パン店の映像に使う二十秒の歌だった。
店の名前は『こむぎ坂』。
駅の反対側にある、小さなパン屋だという。週末の商品を知らせるため、店内の画面で四週間流す予定らしい。
提示されていた受取額は、一万八千円。
交通費込みで、九十分の録音と、必要な場合は三十分までの追加録音を一回。支払いは、使用を始めた次の週の月曜日だった。
俺は、先に日付を見た。
録音の候補は火曜日の午後二時。追加が必要なら、その週の金曜日。
どちらも夕方の勤務には間に合う。二つの日を確かめ、引き受けたいと返した。
そのあとで、添付されていた短い仮歌を聞く。
軽い足取りで歩くような、明るい曲だった。
『朝から、焼きたて』。
題名を見た瞬間、パンを食べたくなった。
(依頼を受けた段階で、もう効いてるな)
晩ご飯の前に、何か買ってしまいそうだった。
*
月曜日の昼、ゲームを開くと、生産速度の桁が変わっていた。
【生産速度:4,033,362,864,256/秒】
四兆。
塔は、一基になっていた。
自動購入の履歴には、昨日の十七時五十三分とある。勤務の準備をしていた頃に買って、そのあともずっと動いていたらしい。
所持キューブは、もう二十六京を超えていた。
買う前より多い。
(早い。ちょっと待て、もう戻ったのか)
塔の周りを、中枢でできたキューブが何列も通っている。
前の設備が小さく見えるが、中枢を一基増やせば、この塔が複製する分も増える。次の価格を開くと、昨日まで遠かった百二十二京に、数日で届きそうだった。
中枢を買うか、先に安いプラントを足すか。
比較し始めたところで、石倉さんから連絡が来た。
明日の二時で決定。歌詞と伴奏も届いている。
俺は工場を閉じて、先にそちらを開いた。
今回は、初めての場所へ行くわけではない。
駅からの道も、マイクの前で何をするかも知っている。それだけで、前の試し録りよりずっと楽しみだった。
*
火曜日の午後二時、石倉さんの制作室へ入った。
机の画面には、パンを並べた写真が出ている。
最初に、焼き上がったパンをトレーへ移す短い映像を見た。
「このくらいの明るさが欲しいんです。元気すぎると、店の雰囲気から離れるので」
「はい」
「前の歌より、少し歯切れよく。最後は店の名前が残るように」
俺は、歌詞の最後を見た。
店の名前が入っているところだった。
そこだけ長く引っ張ればいいわけではない。前の言葉から、どうつなぐか考える。
短い仮歌をもう一度聞き、録音室へ入った。
*
ヘッドホンから、伴奏が流れた。
出だしの音は、もう頭に入っている。
俺は少し明るい声で歌い、言葉の終わりを長く引かずに次へつないだ。最後の店名だけ、急いで聞こえないようにする。
二十秒は、すぐだった。
『ありがとうございます。今ので、一つ使えそうです』
石倉さんが録った音を流した。
俺の声は軽く弾んでいた。最後の名前も、言葉の中へ埋もれていない。
聞きながら、自分でもうなずく。
『もう一つ、少し柔らかいほうもいただけますか』
「はい」
前なら、弱くしたところで声が薄くなっていた。
今は、音を小さくしても、どこへ声を当てれば言葉が残るかがわかる。同じ旋律を、少し丸い声で歌った。
伴奏が終わると、石倉さんが笑った。
『そうです。じゃあ、その声のまま、最初の入りだけ少し早く』
俺はうなずいた。
今の歌い方を保って、出だしを寄せる。
できた。
もう一度と言われても、同じようにできる感覚があった。
*
三つの録音を、隣の部屋で聞き比べた。
明るいもの。
柔らかいもの。
その声で、出だしを少し早めたもの。
写真の切り替わりに合わせると、三つ目が一番、パンを並べる動きに合っていた。
「俺は、これが好きです」
「僕も、これで出したいと思ってます」
石倉さんは、その音へ印をつけた。
「欲しい違いをすぐ出してもらえるので、比べる時間が取れて助かります」
「……ありがとうございます」
嬉しかった。
別の曲でも、ちゃんと使える。
何度も同じところを歌っているのに、俺のほうは、もう少し違う声も試したくなっていた。
(もう一案くらい、要りませんか)
画面を見ると、石倉さんは仕上げに使う音を並べ始めている。
これで足りているらしい。
口には出さず、流れてきた完成に近い音へ耳を向けた。
*
三時半になる前に、今日の録音は終わった。
「木曜日に確認用を送ります。追加が必要なら金曜日、なければそのまま仕上げますね」
「はい」
バッグへ歌詞をしまいながら、俺は聞いた。
「あの、前の曲も、今度の広場で歌ってみたいんですが」
「『ひとつ先の週末』ですか?」
「はい。全体のほうを」
石倉さんは、少し考えてからうなずいた。
「宮田さんにも聞いてみましょう。使う場面が変わるので、そこの確認をして。歌うなら、声の入っていない伴奏を渡せます」
「お願いします」
答えが、少し早くなった。
日曜日に聞いた曲を、今度は自分で歌えるかもしれない。
帰りの電車では、二十秒の新しい歌と、あの二分十八秒が交互に頭の中で流れた。
駅を出て、パン屋の看板が目に入る。
俺は歩く速さを少し落とした。
(……晩ご飯まで、まだあるしな)
時計を見てから、店のほうへ曲がった。




