↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/174

第5話 曲が始まるまで

 四時になると、藤崎さんのスマホが鳴った。


「相原くん着いたって。迎えに行ってくるね」


「はい」


 扉が閉まってから、グラスを少し寄せた。三人で座るなら、もう少し真ん中を空けておいたほうがよさそうだ。


 座り直すついでに、ゲームを開く。


 使えるキューブが、百億を超えていた。


 さっきの報酬は、作った量の累計だった。今度は、買い物に使える残高のほうだ。朝に設備を買った分も埋まって、ようやく届いた。


【合成ユニット】

【購入価格:10,000,000,000】

【生産量:1,000,000/秒】


 これに恒久倍率がかかるので、一つで毎秒四百万増える。


 俺は購入した。


【生産速度:4,688,128/秒】


 ソファに座り直したばかりなのに、また前へ寄った。


 速い。


 寝る前は六万だった。それが今は四百万を超えている。あれだけ貯めた百億を使った直後から、もう次の設備を買うための数字が増え始めていた。


 ここまで来たら、また少し安いラインを買い足すのがよさそうだ。


 次の値段へ目を向けたところで、廊下から足音が聞こえた。画面を閉じ、体を起こす。


 藤崎さんに続いて、背の高い男の人が入ってきた。薄いグレーの上着に、肩から大きめのバッグを掛けている。


「初めまして。相原です」


「……久瀬です」


 俺が立って頭を下げると、相原さんも軽く会釈した。


「藤崎さんから聞いた。今回、一緒に出るんだって?」


「はい。今日、申し込みました」


「じゃあ、もう参加者だ。よろしく」


 相原さんは空けた場所へ座り、バッグを足元に置いた。


 俺も座る。


 思ったより、普通に話せた。相原さんがすぐに話しかけてくれたので、黙ったままにならずに済んだ。


「相原くん、今年もギターで練習してるの?」


 藤崎さんが尋ねる。


「うん。でも大会は会場の伴奏でしょ。そっちでも合わせておこうと思って」


 バッグから出てきたのはギターではなく、折り目の付いた紙だった。曲の順番と、練習で気をつけることが短く書いてある。


 会社で働きながら、休日に弾き語りをしているらしい。去年は本選に進んだが、入賞できなかったそうだ。


「今年は名前呼ばれるところまで行きたいんだよね」


「私はそこに残るところからだよ」


 藤崎さんが言うと、相原さんはうなずいた。


「曲、決まった?」


「うん。さっき決めた」


「じゃあ、一度本番みたいにやってみない? 入って、名乗って、歌うところまで」


 俺はマイクを見た。


 名乗るのか。


 名前は今も言ったが、正面に立って二人に聞いてもらうのは、別の話だった。


 歌なら、さっきより自信がある。その前も練習できるなら、やっておきたい。


     *


 最初は相原さんがやってくれた。


 入口近くからテーブルの横まで歩き、俺たちの座るソファへ向き直る。マイクを片手で持って、軽く頭を下げた。


「相原悠介です。よろしくお願いします」


 普通の大きさの声で、はっきり聞こえた。


 藤崎さんが伴奏を流すと、相原さんは少し肩を動かした。歌い出すまで、こちらを見ている。


 俺も何となく、姿勢を正した。


 歌が始まると、すぐに足で拍子を取りたくなった。


 高い音を長く伸ばす曲ではない。短く切った言葉が伴奏に乗って、次々に聞こえてくる。強く出すところがわかりやすいので、一緒に聞いていて気持ちよかった。


 画面で歌詞を確かめたあとも、相原さんはすぐに顔を戻す。


 俺も、あれができたらいい。


 一番が終わっても、相原さんはその場に立っていた。短く残った伴奏が切れてから、頭を下げる。


「ありがとうございました」


 藤崎さんと一緒に、拍手をした。


「こんな感じ。去年さ、歌うところしか練習してなくて。自分の番になったら、荷物どこに置くんだっけってなったんだよね」


 相原さんはバッグを見て、笑った。


 荷物。


 それは今、初めて考えた。


 財布も鍵も持っていく。会場で歌い始める前にポケットを一つずつ確かめていたら、なかなか前奏へ進めなさそうだった。


「先に一度やっとくと、歌う前が楽だよ。藤崎さん、次いく?」


「うん」


 藤崎さんも入り口の近くへ移動した。


 マイクを持って正面に立つと、さっきまで隣で話していたときと、少し雰囲気が変わる。曲名を伝え、一度息を吸った。


 『窓の灯り』の前奏が流れる。


 俺は、さっき好きだと言ったところを待った。藤崎さんが顔を上げ、今度は相原さんのほうも見てから、続きを歌う。


 歌い終わると、相原さんがうなずいた。


「こっちにしたんだ。声が急がなくなって、いいね」


「でしょ。でも、しゃべるときのほうが緊張した」


 藤崎さんは手のひらを見た。


 俺だけではないらしい。それがわかったところで、二人がこっちを向いた。


「久瀬くん、やってみる?」


「……はい」


 もう少し座っていたかったが、歌うのを聞いてもらいたいのも本当だった。


 水を一口飲んで、立ち上がった。


     *


 入口の脇へ行くと、二人がよく見えた。


 相原さんとは、会って二十分くらいしかたっていない。さっき足で拍子を取って聞いていた人の前で、今度は俺が歌う。


 テーブルの横まで歩き、右斜め前にあるテレビの位置を確かめた。


 録音も残しておきたかったので、スマホを藤崎さんへ預ける。俺の番だけでいいと伝えると、膝の上で持ってくれた。


「録音、始めるね」


 俺はマイクを持ち直した。


「……久瀬凪です」


 名前は言えた。曲名も忘れないうちに続ける。


「『帰り道』を歌います。よろしくお願いします」


 頭を下げて顔を上げると、相原さんがこちらを見ていた。


「どうぞ」


 伴奏が始まった。


 歌うまで、少しある。


 マイクを下ろしたほうがいいだろうか。でも、すぐに上げ直すのも落ち着かない。相原さんは普通に立っていた。


 (マイクの位置くらい、さっさと決めろよ。今から歌うのに)


 早く歌うところへ行きたい。


 右の画面に歌詞が出て、ようやく息を吸えた。


 最初の声は、ちゃんと出た。


 二行目も同じように続く。次に出す音も、息を吸う場所もわかっていた。さっき二回目に録ったときと、同じ声で歌える。


 大丈夫だ。


 少し余裕が出て、サビの前に画面から顔を離した。


 相原さんが、足先で拍子を取っていた。


 俺の歌でも、それをやってくれるらしい。


 嬉しくなって、そのまま高いところへ入った。


 今度も届いた。無理に喉を締めず、次の言葉まで続けられる。


 最後は、少し声を落としてみた。


 強く終わるより、このほうが好きだ。声が消えるところまで、自分でも聞いていたくなった。


 一番が終わり、マイクを下ろす。


 礼を言って戻ろうとしたところで、伴奏がまだ流れているのに気づいた。


 足を止める。


 終わるまで待ってから、頭を下げた。


「ありがとうございました」


 二人が拍手をしてくれた。


 ソファへ戻ると、思っていたより大きく息が抜けた。


「最後のところ、よかった」


 相原さんが言った。


「静かに終わると、そのあとの伴奏も聞きたくなるね」


「……ありがとうございます」


 そこを気に入ってもらえたのか。


 自分でそうしたかったところなので、音程が合っていると言われるのとは、また違って嬉しかった。


「でも、帰るのだけ早かったな」


 藤崎さんも隣で笑った。


「私も、戻ってくるかなって思った」


 見られていた。


 最後まで聞いてほしかったくせに、自分が一番早く帰ろうとしていた。


 (座りたすぎだろ、俺)


「一番が終わってからも、待つんですね」


「うん。大会でどこまで音を流すかは、当日の説明にもよるけど。聞こえてる間は待っておけば、慌てなくて済むよ」


 相原さんは、俺が立っていたところを指さした。


「自己紹介は今くらいで大丈夫。名前も曲もわかったし」


 そこは、ほっとした。もっと何か話すことを増やすのかと思っていた。


「久瀬くん、始まったら普通に歌うから、そんなに緊張してないのかと思った」


「……してました」


 藤崎さんは「そうだったんだ」と言い、グラスを取った。


 大げさに驚かれなかったので助かった。歌っているときは、さっきより楽しかったのも確かだった。


     *


 残りの時間で、最後の部分だけもう一度試した。


 歌い終えてから、伴奏が切れるまで立って待つ。


 数秒だった。


 終わりがわかっているだけで、ずっと楽だ。次に名乗ったときも、マイクを上げたり下げたりするかで迷わずに済んだ。


 相原さんも、自分の歌で迷っているところを二通り歌ってみせた。


「どっちが聞きやすかった?」


「私は最初かな」


 藤崎さんが答えた。


 俺は、二回目のほうが好きだった。先に違うほうを言われると少し迷うが、聞かれているのだから答えたほうがいい。


「……俺は二回目でした。途中で言葉を切ったほうが、続きがわかりやすくて」


「なるほど。藤崎さんは、つなげるほうがいい?」


「うん。でも、どっちも変ではなかったよ」


 相原さんは紙の隅に、何か書き足した。


 意見が違っても、困ってはいないらしい。今度はもう少し弱く歌ってみる、と言っている。


 俺も続きを聞いた。


 こっちもいいなと思う。歌がうまくなると、出せる音が増えるだけでなく、こういうことを選べるのか。


 自分の曲でも、また試したくなった。


 終了十分前の電話が鳴ったときには、もう時間かと時計を見た。


 藤崎さんが返事をして、端末を充電台へ戻す。


「予選前に、もう一回くらい合わせたいね」


「俺、来週の休み、あとで送るよ」


 相原さんが紙をバッグへしまった。


 俺はグラスを寄せながら、二人を見た。


 またやるなら、来たい。


 さっきは相原さんが来ると聞いただけで身構えていたけれど、一時間では足りないくらいだった。


「……俺も、次、入れてもらっていいですか」


「もちろん。そのつもりだったよ」


 藤崎さんが答え、相原さんもうなずいた。


「予定合えば、また三人でやろう」


「お願いします」


 次も、この二人に聞いてもらえる。


 歌い終わってから、よかったところを教えてもらえるのも楽しみだった。今日よりうまく歌って、またああ言ってもらいたい。


 フロントで人数と時間に合わせて精算し、外へ出た。


 空はまだ明るく、買い物帰りの人が歩道を歩いていた。今日は二人と話しながらなので、帰り道に歌うことはなかった。


 二人と別れ、信号で止まったところでゲームを開く。


 合成ユニットのおかげで、キューブはまた貯まっていた。五本目の組立ラインを買い足す。


 これで、毎秒四百八十四万ほど。


 朝には高かったラインが、今は練習している間に買える。増えた数字を少し眺めてから、表示を閉じた。


 青信号を渡り、道の端でイヤホンを付ける。


 録音を再生すると、歌う前の声が入っていた。


『久瀬凪です』


 ちょっと硬い。でも、名前はちゃんと聞こえた。


 曲名を言ったあと、相原さんの「どうぞ」が小さく入っている。


 スマホをポケットへしまい、前奏からそのまま聞いた。最後に声を落とすところまで、今日は飛ばさずに聞きたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。