第49話 あの日、聞いた曲
日曜日の午後一時四十分、駅で藤崎さんと合流した。
市民センターへ向かう道は、覚えていた。
前に来たときと同じ交差点を曲がり、並んで歩く。
「録音、終わったんだよね」
「はい。金曜に、お金も入りました」
「そっか。お疲れさま」
藤崎さんは、持っていたバッグを肩へ掛け直した。
「どんな曲か、気になるなあ」
「来週の木曜から、スクエアで流れます」
「木曜? 私、その日、夕方まで空いてる」
俺は、少し顔を向けた。
「俺も、見に行くつもりです」
「じゃあ、一緒に聞こうよ」
「……はい」
返事をしてから、前へ向き直った。
あの完成した歌を、隣で聞いてもらえる。
感想も、その場でもらえるかもしれない。
歩くのが少し速くなったので、横を見て戻した。
*
音楽室には、前に来た六人が集まった。
相原さんは、窓際でギターを出していた。
佐伯さんへ会費の四百円を渡すと、名前の横へ印をつけてくれた。
「久しぶり。お仕事、始めたんだって?」
「はい。歌を、少し」
「相原くんから聞いたよ。大会の優勝も、おめでとう」
「ありがとうございます」
俺はバッグを椅子の下へ置いた。
録音室でずっと紙を置いていたので、ここでも先に置き場所を探してしまった。
今日はマイクスタンドの隣に、譜面台がある。
そこへ歌詞を出すと、佐伯さんがのぞいた。
「『四月の傘』、選んでくれたんだね」
「はい。あのあと、何度か歌ってました」
「嬉しい。今日、聞くの楽しみにしてた」
相原さんを通して曲を伝えると、伴奏を弾いてくれると返事が来ていた。
佐伯さんの鍵盤で聞いた曲を、今度は俺が歌う。
マイクの位置を少し直した。
*
最初は、相原さんだった。
ギターを抱え、椅子へ浅く座る。
「今日は、途中の弾き方を変えてみたくて」
そう言って、右手を弦へ置いた。
前半は軽く弾き、サビの前で、音を一つずつ鳴らし始める。
歌の声が、その間を通った。
俺は、膝に置いた手を少し動かした。
前に聞いたときより、声が近く聞こえる。
相原さんは歌いながら、ギターの音を大きくしすぎないようにしていた。
一曲が終わって、拍手をする。
「途中の静かになったところ、好きでした」
俺が言うと、相原さんは顔を上げた。
「そこ、変えたところ」
「はい。声が、聞きやすかったです」
「よかった。家でやってると、歌いやすくしただけかなって思ってたから」
ギターの端を軽く叩き、笑っている。
自分で変えたところを聞いてもらえるのは、嬉しい。
石倉さんと曲を録ったとき、俺も同じような顔をしていたかもしれなかった。
*
藤崎さんは、『青いスニーカー』という曲を選んだ。
軽いリズムの、明るい歌だった。
サビへ入るところで、顔を少し上げる。
高い音は、最初だけ少し硬かった。
その先は、はっきり続いた。
藤崎さんが言葉を短く切ると、佐伯さんも、膝の上で小さく拍を取っていた。
歌い終えたあと、藤崎さんはマイクを下ろし、息を吐いた。
「これ、もう少し歌ってみようと思ってて」
佐伯さんがうなずいた。
「声に合ってるね。最初のサビも、もう少し楽に入れそう」
「そこですよね。歌い始める前に考えすぎちゃって」
藤崎さんは笑って、俺の隣へ座った。
「次、どこか出るなら、この曲も候補にしたいな」
「……また、聞きたいです」
「うん。もうちょっと歌っとく」
手に持った紙の端へ、何か書いていた。
大会が終わってからも、本人の歌いたいものは増えているらしかった。
*
俺の順番になった。
佐伯さんが鍵盤の前へ座る。
「速さ、このくらいで大丈夫?」
最初の数小節を弾いてくれた。
「はい。お願いします」
譜面台へ歌詞を置く。
佐伯さんの手が動き、前奏が始まった。
あの日、ここで聞いた音だった。
俺はマイクを持ち、息を吸った。
*
最初の声を、小さめに出した。
息を多く混ぜなくても、柔らかくできる。
鍵盤の音の間に、言葉がはっきり残った。
佐伯さんが、少し顔を上げた。
そのまま、次の和音へ進む。
俺も、続けて歌った。
商業施設で歌ったときも、好きなところだった。
言葉の終わりを急いで切らず、音を残す。
今日は、それを前より小さな声でも続けられた。
音が低くなるところへ入っても、響きが薄くならない。
自分で聞いていて、少し嬉しくなった。
次のサビでは、声を広げる。
高い音が、楽に出た。
佐伯さんの伴奏も、少し大きくなる。
俺は、その音に合わせて次の言葉を出した。
歌いやすかった。
最後まで、このまま続けたかった。
*
二番の終わりで、声を静かに落とした。
鍵盤の音を聞き、最後の言葉を出す。
今日は三十秒へ収める曲ではない。
伴奏が続く間、好きな長さで声を残せた。
音を離す。
佐伯さんが、最後の和音を弾いた。
消えるまで待つと、拍手が起きた。
俺は少し頭を下げた。
「ありがとうございました」
佐伯さんが、鍵盤から手を離していた。
「いいねえ。最後まで聞かせてもらった」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「あの日、紹介してよかった。私、今度歌うとき、久瀬くんの終わり方思い出しそう」
「……俺も、今日の終わり方が好きでした」
言うと、佐伯さんが笑った。
俺も少し笑い、歌詞を持って椅子へ戻った。
あの曲を教えてくれた人に、聞いてもらえてよかった。
*
隣で、藤崎さんが小さく言った。
「前に聞いたときより、静かなところも、よく聞こえた」
「……そうでしたか」
「うん。今日の好きだな」
(もう一回歌いたいな)
でも、次の人が立ち上がったので、マイクを渡した。
俺の一曲は、もう終わっていた。
始まった歌へ耳を向ける。
前に青いシャツを着ていた女性が、今日は低めの曲を歌っている。
その声に、相原さんが小さくうなずいていた。
俺も、最後まで聞いた。
そのあとも、佐伯さんと眼鏡の男性の曲を聞いた。残った時間では、みんなが気になったところを短く試し、俺も最後の一行をもう一度歌わせてもらった。
*
四時の十分前に、みんなで片付けを始めた。
椅子を元の位置へ戻し、床に落ちた紙がないか確かめる。
相原さんは、ギターをケースへしまっていた。
「録った歌、木曜からだっけ」
「はい」
「仕事の帰りに、寄れそうだったら聞いてくるよ」
「お願いします」
佐伯さんも、日時を聞いていた。
俺は、施設の場所と、入口近くの画面でも流れる予定だと伝えた。
最初の三十秒を聞いたときは、自分で何度も聞くことしか考えていなかった。
今は、聞きに行くと言ってくれる人がいる。
部屋を出るとき、藤崎さんが木曜日の待ち合わせを聞いた。
「十一時五十分くらいで、いいですか」
「うん。入口のところね」
スマホへ入れて、画面を閉じる。
今日歌った声も、木曜日に流れる声も、聞いてもらえるのが楽しみだった。




