第43話 六千九百八十円の楽しみ
土曜日の朝、石倉さんから正式な依頼が来た。
施設の人も、俺の歌った声で進めたいと言ってくれたらしい。
俺は布団の上で、メールを最初から読んだ。
二分十八秒の曲を一つ。
そこから告知映像へ使う、三十秒の版も録る。
使う場所はステーションスクエアの館内と、催し当日の広場だった。
来週金曜、二時から四時に本番の録音。
あとで直したい部分が出た場合は、別の日に一時間以内の録音を一度。
料金は、交通費を含め、受取額で三万円と書かれていた。
試し録りの五千円とは別だった。
俺は起き上がった。
(受ける。予定も空いてる)
そのまま返信を書きかけて、先に顔を洗うことにした。
寝起きで読んだため、日時の数字をもう一度確かめたかった。
*
朝ご飯のあと、依頼の内容を読み直した。
料金は変わっていなかった。
日付も、木曜日に話した候補どおりだ。
名前を出してよいかという確認には、出してもらって大丈夫だと答えた。
使われたときに、歌っているのが俺だとわかるなら、そうしてほしかった。
返信には、正式に引き受けたいことと、録音の時間を入れた。
振込先を記入する欄も、間違えないように確かめて送った。
送信済みの画面を閉じる。
カレンダーの仮の予定から、仮、という文字を消した。
来週は、新しい曲を歌いに行く。
*
昼、出かける前にゲームを開いた。
生涯の累計は、二京を超えていた。
【中枢拡張:解放済み】
【価格:1.2京キューブ】
所持キューブは、一・六京以上。
条件も、値段も、満たしている。
今なら押せる。
購入した。
【生成列:1 → 4】
【中枢の基礎生産:×4】
【生産速度:81,042,864,256/秒】
中枢の小さな図に、四角い列が三本増えた。
同じ形が、四つ並んで動き始める。
毎秒二百十億ほどだった数字は、八百十億になった。
使ったあとの残高が、さっきより速く戻っていく。
俺はしばらく、その四つを見ていた。
見栄えは地味だ。
でも、増える列が増えたことは、よくわかる。
(こういうのでいいんだよな)
画面を閉じてから、もう一度だけ開いた。
ちゃんと四つ動いていた。
*
駅前の店には、試して聞けるイヤホンが並んでいた。
値札を端から見ていく。
一万円を超えるものも、かなりあった。
今回は、その下で探すことにしている。
前の公演でもらった二万円がある。それでも、耳に入れるものを何となく一番高いから選ぶのは、少し嫌だった。
自分で違いがわかるものが欲しい。
店の人に聞いて、スマホで試せるものを二つ出してもらった。
聞くのは、普段から好きな曲にした。何度も聞いているので、違いもわかりやすそうだった。
一つ目は、低い音が大きく聞こえた。
二つ目では、歌の後ろで鳴っているギターも追いやすい。
同じところをもう一度流すと、声の終わりが聞こえた。
俺は二つ目の値札を見た。
六千九百八十円。
予定した金額には収まっていた。
「こっちにします」
「ありがとうございます。お色はこちらでよろしいですか」
「はい」
黒いものを選んだ。
使っていて色が気になることは、たぶんなかった。
*
家へ帰ると、先に箱を開けた。
イヤホンを取り出し、右と左を確かめる。
文字が小さかった。
窓のほうへ寄せて、ようやく読める。
(これだけは、もう少しでかくしてくれ)
耳に入れ、スマホへつないだ。
石倉さんから届いた録音を開く。
自分の声が流れた。
最初の言葉を柔らかくして、次の音へ明るく続けている。
息が混じるところと、声だけが伸びるところが、前のイヤホンより聞き取りやすかった。
俺は机へ肘をついた。
やっぱり、最後の音が好きだった。
三十秒が終わる。
最初へ戻した。
新しいイヤホンで、自分の録音を聞いている。
ちょっとした買い物のつもりだったが、これは、かなり楽しかった。
*
その日の夕方、店の休憩室で、二人のグループへ正式に決まったことを送った。
相原さんからは、すぐに返事が来た。
『おめでとう。どこで聞けるの?』
館内の映像と、催し当日の広場で使われる予定だと返した。
『流れ始めたら教えて。聞きに行く』
俺はスマホを持ち直した。
できた曲を、二人にも聞いてほしかった。
今はまだ、送れない。
でも、実際に流れるようになったら、その場所を教えられる。
『はい。わかったら連絡します』
返してから、カレンダーを開いた。
次の金曜日。
石倉さんは、まだ作っている途中だと言っていた。
三十秒の先に、どんな歌が続くのか気になった。
録音してきたときに、もう少し聞いておけばよかった。
休憩の残り時間を見てから、イヤホンを耳へ入れた。
とりあえず、今ある三十秒を、もう一回聞いておいた。




