第39話 歌って、二万円
控え室のテーブルに、白い封筒が置かれた。
「本日二回分の出演料です。交通費込みで、二万円になります。中をご確認ください」
「はい」
宮田さんの前で封筒を開けた。
一万円札が二枚。
取り出して数え、重ねて戻す。
「確認しました」
「では、こちらへお名前をお願いします」
受領書の欄に名前を書いた。
宮田さんも金額を確かめ、紙を手元のファイルへしまう。
「ありがとうございました。お忘れ物のないように、お気をつけてお帰りください」
「ありがとうございました」
俺は封筒を持ったまま、少しだけ座っていた。
歌った分のお金だった。
依頼された二回を終えて、約束どおり受け取った。
封筒の口を閉じ、バッグの内側のポケットへ入れた。
ここなら、水筒と一緒に出してしまうこともない。
*
「それと、もう一つご相談してもいいですか」
宮田さんが、ファイルを持ったまま言った。
「はい」
「うちの企画で、告知用の音楽を作っている方がいらっしゃるんです。石倉さんという方なんですが」
俺はバッグから手を離した。
「今度の館内映像に使う曲について、歌う方を探していると伺っていて。久瀬さんをご紹介してもよろしいでしょうか」
「……歌を、録るんですか」
「ええ。ただ、曲の内容や条件は、石倉さんと直接お話しいただくことになります。まず相談を聞いてみませんか、というお話です」
さっき机の端へ置いたスマホを思い出した。
あれは、自分で聞くための録音だった。
今度は、映像の中で使う歌を録るらしい。
「新しく作る曲ですか」
「はい。企画に合わせて作っていると聞いています」
知らない曲だった。
いつも聞いているものから選ぶのではなく、できた曲を受け取って歌う。
どんなものなのか、聞いてみたかった。
「お願いします。話を聞きたいです」
「ありがとうございます。今、連絡に使っているメールアドレスを、石倉さんへお伝えしても大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です」
宮田さんは手帳へ書き留めた。
「では、おつなぎしますね」
仕事になるかどうかは、まだわからない。
それでも、帰ったらメールを気にする理由が、また一つ増えた。
*
部屋を出る前に、傘を取った。
壁際の箱に立てたまま、忘れかけていた。
バッグ、水筒、スマホ。全部ある。
確認してから、広場へ戻った。
椅子は端へ寄せられ、空いた場所で店の人が商品の案内をしていた。
倉田さんも、そちらの音を見ている。
手が空いたところで、礼を言った。
「ありがとうございました。歌いやすかったです」
「よかったです。またお願いします」
「はい」
俺は頭を下げた。
自分の声を聞くためのスピーカーがあるだけで、あんなに歌いやすくなるとは思っていなかった。
次に同じ場所で歌うことがあれば、今日の音を覚えておきたい。
入口へ向かう途中で、ポスターが目に入った。
一時と三時。
どちらも終わった時間だった。
まだ貼ってある自分の写真を、スマホで一枚撮った。
近づきすぎるとガラスに自分が映ったので、半歩横へずれる。
今度は、文字まできれいに撮れた。
保存してから、外へ出た。
*
雨は小降りになっていた。
帰りもバスへ乗り、空いた席に座る。
運賃は、行きと同じ二百二十円だった。
膝へバッグを置き、内側のポケットを上から触る。
封筒がある。
スマホを出し、二人へ終わったことを伝えた。
『二回目も終わりました。最初に聞いてくれた人が、戻ってきてくれました』
少し考え、続けて打った。
『出演料も、受け取りました』
藤崎さんから、先に返事が来た。
『お疲れ! 今ちょうど休憩。どうだった?』
『楽しかったです』
送ってから、それでは短い気がした。
『次も聞きたいと言ってもらえました』
『それ、嬉しいね』
俺は、うなずきながら画面を見ていた。
今、かなり嬉しかった。
スマホを持つ手に少し力が入っている。
『はい。またやりたいです』
それを送って、画面を伏せた。
窓には、傘を差して歩く人が見えた。
通路で足を止めてくれた人たちの顔が、まだ頭に残っていた。
*
翌日の昼、机の上にノートを開いた。
出演料、二万円。
一人で借りた練習部屋、千八十円。
藤崎さんと借りた分が、七百二十円。
バスの往復が、四百四十円。
電卓へ順に入れる。
一万七千七百六十円。
俺は、出てきた数字をノートへ書いた。
練習代と交通費を引いても、それだけ残る。
隣には、昨日もらった封筒が置いてあった。
二万円と書いた文字を、もう一度見た。
かなり欲しかった金額だ。
部屋で一曲だけ歌わせてもらった頃には、それでお金をもらうところまでは考えていなかった。
今は、次もあれば引き受けたいと思っている。
ノートを閉じ、スマホの録音を開いた。
*
最初には、広場の話し声が入っていた。
少し先へ送ると、宮田さんの紹介が聞こえる。
そのあとに、俺の名前を言う声。
落ち着いていた。
昨日、客席に戻ってきた二人を見つけて、早く出ようとしかけた人には聞こえない。
歌が始まった。
スマホの録音なので、周りの音も一緒に入っている。それでも、自分の声は思っていたよりはっきり聞こえた。
机へ肘をつき、そのまま一曲目を聞く。
サビの高いところが、きれいに伸びた。
自分でも好きだった。
二曲目へ進むと、短い紹介のあとに、俺の声が続いた。
『俺も、好きな曲です』
再生を止めた。
わざわざ残した感想が、それだけだった。
(もう少し、何か言えただろ)
でも、あの二人には伝わっていた気がした。
続きを流す。
歌い始めた声は、さっきの紹介より、ずっと楽しそうだった。
*
昼の十二時頃、ゲームも確かめた。
中枢へ接続した三基のプラントは、そのまま動いている。
生産速度は、毎秒二百十億ほど。
所持キューブは七千六百兆を超えていたが、次の中枢には、まだ足りなかった。
買える小さな設備も見てから、今日はそのまま貯めることにした。
【所持スキルポイント:18】
【歌唱 Lv.7】
次に二十一点貯まったら、八の声も試したい。
倍率を上げる分も欲しい。
画面を行き来してから、今はどちらも買えないと思い出した。
閉じる。
スマホでは、『駅まで五分』の録音が続いていた。
いつものイヤホンを挿すと、広場で聞いていた声が少し近くなった。
もう少し聞きやすいものも、買っていいかもしれない。
昨日の二万円なら、いくらか使っても残る。
商品を見る前に、歌を最後まで聞いた。
拍手が入っていた。
小さく、よかったね、と話す声も聞こえた。
誰が言ったのかは、わからなかった。
俺はそこを少し戻し、もう一度聞いた。
口元が緩んだまま、机の封筒をノートの上へ移す。
次に歌う曲は、まだ名前も知らない。
石倉さんという人から連絡が来たら、まず、どんな曲なのか聞いてみようと思った。
録音を止め、メールを確かめた。
まだ、何も届いていなかった。
もう一度開いても変わらないので、スマホを置いた。
昼飯を作っている間に、来ていればいい。
台所へ立ち、卵を二つ冷蔵庫から出した。




