第37話 三時に、また来ます
控え室で椅子に座り、シャツの胸元を少し引いた。
四曲歌うと、思っていたより体が温まっていた。
水を飲んでから、スマホを取り出す。
藤崎さんと相原さんのグループへ、一回目が終わったことを送った。
『四曲、時間内に歌えました。三時にも聞きに来ると言ってくれた人がいました』
最後の文を読み直す。
終わった報告だけなら、前半で足りる。
それでも、そのまま送った。
誰かに言いたかった。
テーブルへスマホを置き、背もたれに寄りかかる。
さっき三曲目を聞いてくれた二人は、今、どこかで買い物をしているのだろう。
舞台を下りた俺へ、わざわざ声をかけてくれた。
曲の名前を知らなくても、三曲目、と覚えている。
思い出すと、口元が緩んだ。
この顔なら、ポスターの写真より楽しそうに写ると思った。
*
しばらく休んでから、広場へ戻った。
次の曲順を、早めに倉田さんへ伝えておきたかった。
舞台の近くで、さっき商品を並べていた店の人と目が合った。
「お疲れさまです。もう一回、ありますよね」
「はい。三時からです」
「隣で聞けるので、楽しみにしてます」
俺は頭を下げた。
机の上には、色の違うハンカチがきれいに並んでいる。
「『駅まで五分』、懐かしかったです。学生の頃、よく聞いてたんですよ」
「……俺も、好きです」
「いいですよね。つい、そっち見ちゃいました」
女の人は笑ってから、近づいてきた客へ「どうぞご覧ください」と声をかけた。
俺は少し離れた。
客席へ座っていた人以外にも、聞いてもらえていた。
さっき歌っていた場所からは、商品を畳んでいる姿しか見えていなかった。作業しながらでも、好きな曲はわかるのだろう。
店で流れてくる曲を、俺も何度も覚えた。
あの机のそばからだと、どんなふうに聞こえるのか、少し気になった。
*
倉田さんは、舞台の横で飲み物を飲んでいた。
今、少しよいか聞くと、紙を出してくれた。
「三時のほうですね」
「はい。二曲目と三曲目を、入れ替えてもいいですか」
『駅まで五分』を二番目にする。
明るい二曲を続けて、後半で静かな曲へ変える順番だった。
「『晴れたら遠回り』のあとに、これですね」
「はい。最初の二曲は、続けて明るいほうがいいかと思って」
さっきの回で、『駅まで五分』のリズムに合わせて体を動かしている人がいた。
俺も、歌っていて楽だった。
あの雰囲気で二曲続けたら、途中から来た人にも、次まで聞いてもらえるかもしれない。
「できますよ。宮田さんにも確認しておきましょう」
近くにいた宮田さんへ、倉田さんが声をかけた。
順番を伝えると、宮田さんもうなずいた。
「では、二回目はそちらで。最後は同じ『帰り道』ですね」
「はい」
自分の紙の番号も直す。
紙には、朝の書き直しと今の線が増えていた。
次は新しい紙へ書き直したほうがよさそうだったが、四つなので、今はまだ読める。
俺は間違えないよう、順に曲名を読んだ。
*
「あと、録音しても大丈夫ですか。自分で聞くために」
倉田さんへ聞くと、宮田さんが「歌のところでしたら大丈夫です」と答えてくれた。
「どこへ置く予定ですか」
「まだ、決めてなくて」
「ここでよければ、端に置けますよ。録り始めるのは、ご自分でお願いできますか」
倉田さんが、音響の機材の横を指さした。
小さな机の隅が空いている。
「はい。ありがとうございます」
滑り落ちないよう、ケースをつけたスマホを置いてみた。
安定していた。
一回目は、歌うことと時間で頭がいっぱいだった。
さっきの四曲も、あとで聞けたらよかったと、控え室で思ったばかりだ。
二回目は残しておきたい。
置く場所を確かめてから、スマホを持ち帰った。
録音を始める前に、通知が鳴らない設定にもしておこうと思った。
*
控え室へ戻る途中、広場の入口で足が止まった。
自分のポスターの前に、三人の家族連れがいた。
小学生くらいの子供が、一時と三時の数字を指でなぞっている。
「次なら、見られるね」
母親らしい人が言った。
俺は、その横を少し離れて通った。
声をかけることはできなかった。
でも、見に来るつもりなのはわかった。
スマホに、相原さんから返事が届いていた。
『いいね。また聞きたいって言われるの、嬉しいよね』
『はい』
それだけ返してから、もう一つ打った。
『次も、来てほしいです』
既読がつき、短い返事が来る。
『来ると思うよ。二回目も楽しんで』
画面を閉じて、椅子へ座った。
二回目も、同じように歌うだけでいい。
歌うところは、できる。
それなのに、さっきの二人が来るかどうかは、ずっと気になっていた。
自分でどうにかできることはなさそうだったので、少しだけゲームを見ることにした。
キューブは、休んでいる間にも増えていた。
次の中枢までは、まだ遠い。
画面を閉じ、時計を見る。
ほとんど進んでいなかった。
(こういう待ち時間は、短くするボタンが欲しい)
仕方がないので、水を飲んだ。
*
二時五十分、宮田さんが呼びに来た。
「そろそろ、お願いします」
「はい」
スマホと水筒を持ち、広場へ向かう。
椅子には、もう何人か座っていた。
後ろの列に、さっきの二人がいた。
一人の足元には、一回目にはなかった、大きな買い物袋がある。
俺に気づくと、軽く手を上げてくれた。
会釈を返す。
(来た。本当に、戻ってきてくれた)
そのまま舞台へ行きかけて、音響の机の前で止まった。
まだ、十分早い。
倉田さんへスマホを見せてから、通知の設定を変えた。
録音の画面を出し、時刻を確かめる。
出る前に押すだけにして、机の端へ置いた。
座っている二人のほうを、もう一度見た。
次は、あの曲を二番目に歌う。




