第31話 二十分を二回
約束した水曜日の午後、商業施設へ向かった。
打ち合わせの場所は、舞台のあった広場の奥だった。
案内所で名前を伝えると、宮田さんが迎えに来てくれた。普段は客が入らない扉を抜け、廊下の先の小さな部屋へ通される。
四人掛けのテーブルに、紙が二枚置いてあった。
「お休み、取れたそうで。ありがとうございます」
「はい。こちらこそ」
椅子に座り、バッグを足元へ置く。
店長に確認した日の休憩中に、メールでも休みを取れたことは伝えてある。今日は、歌う内容と準備の話だった。
仕事の打ち合わせで何を持っていけばいいかわからず、メモ帳とペンを出した。
宮田さんが、紙をこちらへ向けた。
「では、まず当日の流れから」
*
来週の日曜日、一時と三時。
一回につき二十分。
当日は十時半までに来て、立つ場所と音を確かめる。二回目が終わったあと、片付けと支払いが済めば帰れる。
昼の間は、控え室として今いる部屋を使ってよいそうだった。
「歌う方は、俺だけですか」
「今回は久瀬さんお一人です。広場では、ほかにもお店の催しがあります」
宮田さんは、配置の図を指さした。
大会の日より椅子が少ない。通路も広く取ってある。
舞台の隣には、店の商品を紹介する机を並べるらしい。そこで買い物をしている人からも、歌が聞こえるようになっていた。
「大会のときに、通りかかった方が立ち止まっていましたよね」
「はい」
「ああいうふうに、少し聞いていこうかなと思っていただけると嬉しいんです。買い物の合間なので、最初から座っている方ばかりではないと思います」
俺は図の通路を見た。
審査員の机はなかった。
出番のあとは、別の参加者に場所を渡すのでもない。二十分の間、ここで俺が歌う。
「曲は、好きなもので大丈夫ですか」
「ええ。『帰り道』はぜひ聞きたいですが、ほかの曲もお願いします。明るい曲が一つあると、通りがかりの方にも入りやすいかもしれません」
メモ帳の端に、明るい曲、と書いた。
宮田さんは、俺が書き終わるのを待ってから続けた。
「曲の間は、お名前と曲名、それから二回目の時間など、短くお話しいただければ。ずっとおしゃべりをする必要はありません」
「……短くて、いいんですか」
「はい。歌を聞いていただく時間なので」
ペンを持つ手から、少し力が抜けた。
(よかった。二十分ぶんの話題はない)
好きなゲームの話ならありそうだったが、それを買い物中の人へ聞いてもらう理由がなかった。
*
伴奏は、候補を伝えたあとで、主催側が使用できる音源を揃えてくれる。
長さや終わり方が練習で使うものと違わないよう、準備できたら教えてもらうことにした。当日は音響の担当者が操作するので、スマホを舞台へ持って出る必要もない。
その説明を聞き、メモへ書き足す。
曲名。キー。順番。
候補を送る締め切りは、今度の日曜日だった。
まだ数日ある。いつもの店で、試す時間は取れそうだ。
「二回とも、同じ曲でいいですか」
「大丈夫です。お客さまも入れ替わりますので。変える場合は、先に候補をいただければ確認します」
少し安心した。
歌唱を上げてから、歌ってみたい曲は増えていた。それでも、まだ試していない曲を、その場で何曲も約束するのは早い。
まず四曲くらいで考えよう。
宮田さんが、もう一枚の紙を出した。
「出演料ですが、交通費込みで、お渡しする額が二万円です。当日、二回目の終了後にこちらでお支払いします」
「はい」
「この内容でお願いしてもよろしいでしょうか」
俺は日付と時間を、もう一度見た。
店の休みは取れている。伴奏を自分で買い集める必要もない。
歌いたい曲を選んで、二回聞いてもらえる。
「お願いします。出演したいです」
言うと、宮田さんが笑った。
「ありがとうございます。楽しみにしています」
名前を書く欄へペンを動かした。
自分の名前なのに、最初の一文字だけ少し丁寧になった。
*
案内には、大会の日に撮った写真を使いたいそうだった。
宮田さんが見せてくれたのは、賞状を持った俺の写真だった。
少し眠そうな顔をしている。
あのときは、かなり嬉しかった。こんな顔だったのかと、スマホの画面へ寄ってしまった。
「こちらを使っても大丈夫ですか」
「はい」
ほかに渡せる写真もない。自分が写っているものを探したら、もっと古い顔が出てくると思う。
「ご紹介の文章も、あとで確認をお願いします。大会で優勝されたことと、お名前を載せる予定です」
うなずく。
紙の余白に、写真、と書きかけて止めた。もう確認は終わったのだから、書かなくてよかった。
宮田さんは、自分の手帳にも何か書いていた。
「久瀬さん、必要なところを順に確かめてくださるので、助かります」
「……忘れそうなので」
「その場で聞いていただけるほうが、こちらも安心です」
そう受け取ってもらえるなら、よかった。
今、メモ帳のいちばん下に書いてあるのは二万円だった。時間を間違えないことも大事だが、ここも忘れるつもりはない。
*
打ち合わせが終わると、広場を通って外へ出た。
大会の日の椅子も舞台もなく、今日は小さな商品棚が並んでいる。
買い物袋を持った人が、その横を通り過ぎた。立ち止まって商品を見る人も、連れを待ちながらスマホを見ている人もいる。
あの人たちが、俺の歌で足を止めるのだろうか。
少し離れた位置から、舞台が置かれるあたりを見た。
ここで聞く声が気になったら、たぶん近くへ行く。
俺も、歌会で知らない曲を聞いて、名前を教えてもらった。
あんなふうに一曲気に入ってもらえたら、嬉しい。
そのために何を歌うか、考えながら店へ向かった。
*
休憩時間に、三人のグループへ決まったことを送った。
最初に返ってきたのは、相原さんだった。
『二回あるんだ。すごいね。何歌うの?』
候補の曲名を送る。
『「駅まで五分」好きだな。あのリズム、久瀬くんの声で聞いてみたい』
俺はスマホを少し持ち直した。
候補へ入れたものの、あの曲はまだ一度も歌ったことがない。
聞いてみたいと言われると、ますます試したくなった。
藤崎さんからも返事が来た。
『私、当日はシフト入っちゃいそう。練習なら聞けるかも』
相原さんも当日は仕事だそうだった。
いつもの二人が客席にいない。そのことは少し気になった。
でも、今回は俺が引き受けた仕事だった。
空いている時間を二人へ聞き、先に一人で試す部屋を予約した。
一時間半。
今度は、最初から長めに取った。
(足りなくなってから予約した俺に文句を言うのは、もうやった)
終わったあとで四曲を選べるよう、メモへ候補を並べ直す。
『帰り道』の下が、少しずつ埋まっていった。




