第29話 十万円と、次の一曲
十二番の人が歌い終えると、大きな拍手が起きた。
司会の人が、すべての歌唱が終わったことを伝える。
俺も手を叩いた。
もう、歌う順番は回ってこない。
少し惜しかったが、さっき歌った一曲には満足していた。
「じゃあ、あとは待つだけか」
相原さんが息を吐いた。
「うん」
藤崎さんはうなずき、水を飲んだ。
俺も時計を見た。
二時十分の結果発表までは、まだ少し時間があった。
*
客席の端へ出て、三人で少し立っていた。
相原さんが肩を回し、藤崎さんが窓の外へ目を向ける。
「私、今日の二番、好きだった」
藤崎さんが言った。
「うん。聞こえたよ」
「最後はちょっと気になるけど。あそこは、自分でもよかった」
相原さんへ答えてから、俺にも顔を向けた。
「聞いてくれてありがとう」
「……はい。俺も、好きでした」
言うと、藤崎さんが笑った。
録音は帰ってから聞くらしい。
俺も、まだ再生していなかった。
歌い終わって、二人から感想をもらって、それでもまた自分で聞きたい。
入賞できたかどうかを知る前から、今日の録音は消さないつもりだった。
「久瀬くん、もう一回歌いたいって言ってたね」
藤崎さんに言われ、俺は水筒を持ち直した。
「……はい」
「わかる。終わると、ちょっとそうなる」
わかってくれたらしい。
相原さんも笑っていた。
「でも、今日はやり直さなくていいと思うよ」
「やり直したいわけでは、ないです」
「うん。いい声だった」
俺はふたを開け、水を飲んだ。
さっきの返事まで録音に入っているのだろう。
そこは切れるのか、帰ったら調べよう。
いや、二人が笑って聞いていたところまで残っているなら、そのままでもよかった。
*
二時十分、客席へ戻った。
司会の人が舞台の中央に立ち、審査員の一人から紙を受け取った。
俺はバッグを足元へ置き、背筋を伸ばした。
「お待たせいたしました。それでは、審査結果を発表いたします」
近くで話していた人たちの声が、静かになった。
第三位から発表するらしい。
相原さんが膝へ両手を置いた。
俺は前を見た。
相原さんの名前も、呼ばれてほしい。
俺は、一番で呼ばれたい。発表を待ちながら、膝の上で指を握った。
「第三位、七番、相原悠介さん」
相原さんが顔を上げた。
藤崎さんが、先に手を叩いた。
「相原さん」
俺も拍手をすると、相原さんはこちらを向いた。
「……取れた」
小さく言い、立ち上がる。
その顔を見たら、俺まで嬉しくなった。
初めて会ったときから、入賞したいと言っていた。
今日は、本当に持って帰れる。
相原さんが舞台へ上がり、賞状を受け取った。
その横に立ったあとも、少しだけ笑っていた。
*
第二位には、六番の男性が呼ばれた。
最後の長い音が好きだった人だ。
俺は拍手をした。
男性は頭を下げて舞台へ上がり、相原さんの隣へ並んだ。
あの二人が、そこに立っている。
見ていると、自分も行きたくなった。
残っているのは、優勝だけだった。
俺は膝に置いた手を、そのまま動かさないようにした。
もう一度、水を飲みたい気もした。
でも、今はふたを開けている間に、名前を聞き逃したくなかった。
「そして、優勝は」
司会の人が、少し間を置いた。
長く感じた。
「十番、久瀬凪さんです」
聞こえた。
そのあとに、自分の名前だったとわかった。
藤崎さんがこちらを向いた。
「久瀬くん」
俺はうなずこうとして、先に息を吸った。
「……はい」
「行って。呼ばれてる」
そうだった。
バッグを持ち上げかけて、足元へ戻した。今から帰るわけではない。
立ち上がると、前の席の人がこちらを見て拍手していた。
頭を下げながら、通路へ出る。
足元が気になって、階段は一段ずつ確かめた。
優勝した。
俺が。
舞台の中央まで来ても、まだ少し遅れて嬉しさが追いついてくる感じがした。
*
賞状を受け取った。
自分の名前の上に、優勝と書いてある。
間違いではなかった。
前を向くと、相原さんが隣から小さく言った。
「おめでとう」
「……ありがとうございます」
声が少し小さくなった。
歌のときみたいには、出てこない。
けれど、嬉しいのは確かだった。
司会の人が、審査員席にいた女性へマイクを渡した。
「久瀬さんの歌は、最初と最後で同じサビの聞こえ方が変わっていました。一曲を通して、先を聞きたくなる歌でしたね」
俺は顔を上げた。
女性は、続けた。
「強い声もよかったですし、そのあとに静かになっても言葉が残ったのが印象に残っています」
そこを、聞いてくれた。
昨日、部屋で録音して気に入ったところ。
今日、藤崎さんにも好きだと言ってもらったところだった。
「ありがとうございます」
今度は、少しちゃんと言えた。
審査員は相原さんと二位の男性にも、それぞれ講評を伝えた。
相原さんは、最後までリズムが気持ちよく続いたことを言われていた。何度かうなずき、礼を返す。
俺は賞状を持ったまま聞いていた。
隣で、その話も聞けるのが嬉しかった。
*
写真を撮り、入賞者の紹介が終わった。
舞台を降りると、藤崎さんが近づいてきた。
「おめでとう、二人とも」
相原さんが賞状を少し持ち上げる。
「ありがとう。やっと持って帰れる」
「よかったねえ」
藤崎さんは笑ってから、俺へ向いた。
「優勝だよ」
「……はい」
「もう少し喜んでいいんじゃない?」
俺は賞状を見た。
(かなり、喜んでいる)
帰ったら机に置いて、たぶん何度も見る。
今は人がいるので、どうしたらいいかわからないだけだった。
「嬉しいです」
「うん。それはちょっとわかる」
藤崎さんが、俺の手元を見て言った。
賞状の自分の名前を、さっきから何度も見ていた。
そのまま気づかないふりをしてくれても、よかったのだが。
「藤崎さんの二番、俺もよかったと思う」
相原さんが言った。
藤崎さんはうなずいた。
「ありがとう。入賞した人見たら、やっぱりいいなって思うね」
舞台を少し振り返る。
「でも、今日は一曲歌えてよかった。来年も、出たいな」
俺は顔を上げた。
「……また、聞きたいです」
「うん。私も、また聞いてほしい」
藤崎さんは笑った。
相原さんが、来年ならまだ休みはわからないなと言い、三人で少し笑った。
*
呼ばれて、受付の奥へ行った。
宮田さんが、机の上に封筒と書類を用意していた。
「改めまして、おめでとうございます。こちら、優勝賞金の十万円です。中をご確認いただいて、受領書へお名前をお願いします」
椅子へ座り、封筒を受け取る。
開けると、一万円札が入っていた。
一枚ずつ、数えた。
十枚あった。
ゲームでは、一秒で何億も増える。
今はこの十枚のほうが、ずっと気になる。
(落とすなよ。ゲームみたいにすぐ取り戻せると思うな)
もう一度だけ数えてから、顔を上げた。
「……確認しました」
名前を書き、書類を返した。
封筒をバッグの内側のポケットへしまう。ファスナーを閉めたところで、やっと少し息が抜けた。
番号札も返すように言われ、首から外した。宮田さんが受け取って、ほかの札と一緒に机の端へ置く。
もらえた。
歌って、十万円。
最初に募集ページを見たときより、ずっと嬉しかった。
*
「久瀬さん、このあと少しだけ、お時間よろしいですか」
立とうとしたところで、宮田さんに聞かれた。
「はい」
「今日の歌を聞いて、こちらの催しでもお願いできないかと思いまして。後日、出演についてご相談の連絡をしてもよろしいでしょうか」
俺は、バッグへ置いた手を止めた。
出演。
もう一度、ここで歌う話だろうか。
「……歌う、ということですか」
「はい。週末のイベントで。日程などはこれからご相談ですが、出演料をお支払いする形でお願いしたいと考えています」
出演料。
歌う仕事で、お金をもらえる。
何曲歌えるのかも気になるし、いくらもらえるのかも聞きたかった。
俺は少し前へ座り直した。
「詳しいお話を、聞いてもいいですか」
「ありがとうございます。では、明日、内容をまとめてご連絡します。ご都合が合うかも、そのときに」
「……お願いします」
大会への応募で使った連絡先へ送ってよいか確認され、うなずいた。
宮田さんは、明日送ることを手元へ書き留めた。
日程も、歌う曲も、これからだ。明日届く内容を見て、シフトと照らし合わせよう。
できるなら、引き受けたい。
俺は礼を言い、椅子から立った。
*
二人は、会場の端で待っていてくれた。
賞金を受け取ったことと、後日歌う相談をしたいと言われたことを伝える。
「仕事ってこと?」
藤崎さんが聞いた。
「まだ、話を聞くだけです」
「でも、また聞きたくなったってことだよね」
相原さんが言った。
俺は、すぐには返せなかった。
たぶん、そうだった。
歌ったあとに、もう一度お願いしたいと思ってくれた人がいた。
十万円の入ったポケットを、バッグの外から少し押さえる。
次に何曲歌えるのか、もう考えていた。
店長へ、自分で結果を送った。
『優勝できました。お休み、ありがとうございました』
写真も一枚添える。
返信が届くまで、相原さんの賞状と並べて、藤崎さんにもう一枚撮ってもらった。
今度は、少し笑えたと思う。
*
二人と別れたあと、帰り道で銀行のATMへ寄った。
十万円を口座へ入れる。
表示された残高を見て、俺はもう一度、入金額のほうを確かめた。
確かに、増えていた。
これなら、持ち歩いている間ずっとバッグを気にしなくて済む。
明細を財布へ入れ、外へ出た。
ゲームを開く。
【歌唱 Lv.7】
【料理 Lv.1】
【所持スキルポイント:6】
キューブは、今日も増えている。
あの最初の夜、倍率を買わずに歌唱へ使ったことを思い出した。
明日の俺に、悪いことをしたつもりだった。
今の俺は、あのとき使ってくれてよかったと思っている。
スマホに、さっき保存してもらった録音があった。
歩きながら再生する前に、道の端へ寄ってイヤホンをつける。
俺の名前が紹介され、前奏が始まった。
明日は、また仕事だ。
その前に、宮田さんから連絡が来る。
何曲くらい歌うのだろう。
どんな曲を、聞いてもらえるのだろう。
まだ詳しい条件も聞いていない仕事のことを考えているうちに、自分の歌が始まった。
いい声だった。
口元が緩んだので、少しだけ下を向いて歩いた。




