↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
27/180

第27話 二人の一曲

 三番の人への拍手が終わると、俺は藤崎さんのスマホを持ち上げた。


 録音を始める。


 画面の数字が動いたのを確かめてから、舞台を見た。


 藤崎さんが中央へ進んでいた。


 マイクを持った手とは反対の手で、ワンピースの脇を軽くなぞる。それから前を向き、司会の人へうなずいた。


 『窓の灯り』の前奏が流れた。


 出だしの声は、練習のときに俺が好きだと言った声だった。


 強く押し出していないのに、言葉がちゃんと聞こえる。


 相原さんも、体を少し前へ向けていた。


 一番のサビに入る。


 藤崎さんは高い音へ行く前に、息を吸った。声が伸び、最後まで続く。


 そこで拍手をしそうになって、俺は手を止めた。


 今日は、まだ続きがある。


     *


 二番へ入る直前、藤崎さんが小さく肩を落とした。


 出だしを、急がない。


 最初の言葉が少し長く残り、そのあとへ次の言葉が入った。


 俺は、膝の上で指を軽く握った。


 できていた。


 練習のときに、こっちのほうが楽だと言っていた歌い方だった。


 細かい言葉が続いても、次々に追われる感じはしない。前の席にいた人が顔を上げ、そのまま藤崎さんを見ていた。


 俺も、画面を確かめるのをやめて聞いた。


 録音は動いている。


 今のところを、あとで本人も聞ける。


 最後のサビは、一番より少し強かった。長く伸ばす最後の音では、声がわずかに揺れた。


 藤崎さんは顔をしかめず、そのまま歌い切った。


 伴奏が静かになる。


 マイクを下ろした顔が、少し笑っていた。


 相原さんが拍手し、俺もスマホを膝へ置いて手を叩いた。


「いかがでしたか、一曲歌い終えて」


 司会の人が聞いた。


 藤崎さんは一度息を吸ってから、マイクを持ち上げた。


「最後まで歌えて、嬉しかったです。去年はここで歌えなかったので」


 声が、少しだけ詰まった。


「今日は、二番も聞いてもらえて、よかったです」


 もう一度、拍手が起きた。


 俺は舞台を見たまま、うなずいていた。


 誘ってくれた人が、今日はここで一曲歌えた。


 その歌を聞けたのも、俺には嬉しかった。


     *


 藤崎さんが客席へ戻ってきた。


 相原さんが場所を空けると、席に座る前に大きく息を吐いた。


「終わった」


「二番、よかったです」


 俺が言うと、藤崎さんはこちらを見た。


「急いでなかった?」


「はい。言葉、聞けました」


「よかったあ」


 座りながら、肩の力が抜けていく。


 俺は録音を止め、スマホを返した。藤崎さんは保存の画面を確かめてから、そっとバッグへ入れた。


「最後、ちょっと揺れたね」


「そこより、二番の入りがよかったよ」


 相原さんが言った。


「うん。私も、あそこはできたと思った」


 藤崎さんは水を飲んだ。


 気になるところはあっても、できたところを自分でわかっているらしかった。


 その顔を見て、俺も少し安心した。


 舞台では五番の前奏が始まっていたので、三人とも話をやめて前へ向いた。


     *


 六番の男性は、先週と同じ曲を歌った。


 やっぱり、最後の音が長かった。


 ただ、一曲聞くと、その前にも好きなところがいくつかあった。二番の低い声は、先週の一番より少し柔らかく聞こえた。


 歌い終えるまで、俺はその声を追っていた。


 拍手をしてから、今度はあの二番がよかったと言いたくなった。


 言える機会があったら、伝えよう。


 前半六人が終わり、十五分の休憩になった。


 相原さんが立つ。


「じゃあ、行ってくる。これ、お願いしていい?」


 自分のスマホを俺へ渡した。


「はい」


 画面を確かめて受け取る。


 藤崎さんのは、もう本人のバッグに戻っている。


 今持っているのは、相原さんのだ。


 今日の俺は、録音する係としては落ち着いていた。


 自分の番のことを考えなければ、という条件はあった。


「さっきの速さで行くよ」


 相原さんが言った。


「聞いてる」


 藤崎さんが答える。


 俺もうなずいた。


     *


 後半が始まった。


 七番、相原悠介さん。


 名前を聞いて、録音を始める。


 相原さんはマイクを受け取り、中央へ進んだ。ギターを持っていなくても、立ったときの感じは歌会と少し似ていた。


 前奏のうちから、足先が小さく動いている。


 声が入った。


 最初の短い言葉で、体が少し前へ行きたくなった。伴奏だけを聞いていたときより、拍子がはっきりする。


 前の席で、小さく手を動かしている人がいた。


 相原さんはそこへ目を向け、次の言葉を歌った。


 声が、少し明るく聞こえた。


 俺も膝の上で指を動かした。


 応援しようと思う前に、そうしていた。


 二番に入っても、速くなりすぎない。


 短い間奏でマイクを離し、伴奏を聞いてから戻す。


 次の声が入る。


 ここだ。


 四日前に、本人が確かめていたところだった。


 藤崎さんが隣で、小さくうなずいた。


 最後のサビまで、相原さんの声は同じ調子で続いた。息を吸う短い間も、音が前へ進んでいく感じが残っている。


 最後の言葉が終わったあと、右手が小さく動いて止まった。


 そこで、客席から拍手が起きた。


 相原さんは顔を上げ、笑った。


 俺も手を叩きたかったので、録音しているスマホを膝へ置いた。


 今のは、聞いていて楽しかった。


「歌い終えて、いかがですか」


 司会の人が聞いた。


「楽しかったです。今日は、入賞して帰りたいと思って来ました」


 客席から、小さく笑い声が起きた。


 相原さんも笑ってから、続けた。


「最後まで聞いていただいて、ありがとうございました」


 頭を下げる。


 俺はもう一度、拍手した。


 あそこでも、ちゃんと言うのだなと思った。


 俺も入賞したい。


 その気持ちまで、つられて少し強くなった。


     *


 戻ってきた相原さんへ、スマホを返した。


「間奏のあと、よかったです」


「ほんと? そこ、ちゃんと待てたと思う」


「私も、聞いてて楽しかった」


 藤崎さんが言う。


 相原さんは保存を確かめ、バッグへしまった。


「よし。できることはやった」


 大きく息を吐いてから、俺へ顔を向けた。


「次、久瀬くんだね」


 舞台では八番の人が呼ばれていた。


 俺は自分のスマホを取り出し、藤崎さんへ渡した。


「お願いします」


「うん。最後まで録るね」


 自分の画面が人の手へ移った途端、少し落ち着かなくなった。


 今度は、俺の歌が入る。


 バッグを持って立ち上がり、二人の前を通った。


 右側の係員へ十番の札を見せると、仕切りの内側へ案内された。示された椅子へ座り、バッグを膝に置く。


 八番の声が聞こえる。


 そのあと、九番が歌った。


 俺は水を一口飲み、ふたを閉めた。手を拭いて、舞台の階段を見る。


 昨日は、一人で聞いていた声だ。


 今日は二人にも、ほかの人にも聞いてもらえる。


 楽しみだった。


 それでも、さっきから足を組み替えたいのか、立ちたいのか、自分でもよくわからない。


 ああ、もう。呼ばれる前が一番疲れる。


 係員が近づいてきた。


「十番、久瀬さん。こちらへお願いします」


「……はい」


 俺は立ち上がった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。