第26話 今週は十番
約束の十分前に着いたのに、相原さんはもう入口の前にいた。
「おはよう。早いね」
「……おはようございます」
言おうと思っていたことを、先に言われた。
相原さんは手に持っていた飲み物をバッグへしまい、建物のほうを見た。
「俺も、少し早く出ちゃった」
「はい」
俺もだった。
朝ご飯を食べて、顔を洗って、シャツを着た。持ち物をそろえると、家ですることがなくなった。
録音を聞けば時間はつぶせたのだが、昨夜、もう何度も聞いていた。
今日は自分で歌えるのだから、早く来たかった。
「おはよう。二人ともいた」
藤崎さんが近づいてきた。
先週と同じ紺色のワンピースを着ている。俺も、同じ灰色のシャツだった。
「それ、やっぱり似合うね」
「……ありがとうございます」
今回は、すぐに返せた。
家を出る前にも一度、鏡で見てきた。買ったときより、着るのが楽しみになっていた。
「じゃあ、行こうか」
相原さんのあとへ続き、三人で建物へ入った。
*
吹き抜けの下には、先週と同じ場所に舞台ができていた。
前には椅子が並び、右側に低い仕切りがある。上の階の手すりにも、大会の案内が掛かっていた。
看板の文字を見る。
本選。
応募したときに見たページと同じ大会なのに、今日は自分がそこへ来ているのが嬉しかった。
受付で名前を伝えると、宮田さんが一覧に印をつけた。
「久瀬さんですね。今日もよろしくお願いします」
「お願いします」
「番号札はこちらです。曲も、ご返信いただいた『帰り道』、原曲キーで確認しています」
十番の札を受け取る。
先週は三十八番だった。今週は、すぐ覚えられそうな数字だった。
それでも首へ掛ける前に、もう一度見た。
十番。
自分のことになると、覚えやすさだけでは安心できない。
相原さんと藤崎さんも受付を終え、案内の紙を持って戻ってきた。
「私は四番。今度は先に終わるね」
藤崎さんが札を見せた。
「俺は後半の最初だから、休憩終わったらすぐだ」
「七番でしたね」
「うん。食べすぎないようにしよう」
相原さんは笑って、紙を畳んだ。
まだ食事の話をしていなかったのに、少し気が楽になった。
先週みたいに、待っている間に腹が減ることはあるらしい。今日は俺も、朝をしっかり食べてきていた。
*
「おはよう。この前の」
声をかけられ、俺は振り返った。
先週、最後の長い音を褒めた男性が立っていた。首には六番の札がある。
「おはようございます」
「今日は一曲だね。楽しみにしてる」
「……俺も、聞きたいです」
今度は、すれ違ってから悩まずに言えた。
男性は笑い、自分の札を軽く持ち上げた。
「俺、前半の最後だから。終わったらゆっくり聞くよ」
こちらの十番を見てから、受付のほうへ戻っていった。
相原さんが、俺の隣でうなずいた。
「あの人か。今日、後半も聞けるの楽しみだな」
「はい」
少し前までは、知らない人に見られることばかり気になっていた。
今日は、あの人も俺の歌を待ってくれるらしい。
そう言われると、聞いてほしくなる。
*
十一時四十分、参加者が舞台の近くへ集まった。
説明をしている宮田さんの声が、全員へ届く。前と違い、近くへ寄ろうとして後ろからのぞく必要はなかった。
十二人。
この中から、入賞する人が決まる。
自分の名前を呼ばれるところを想像してしまい、俺は紙へ目を戻した。
まだ始まっていない。
先に聞くことがある。
「待機は、お送りした案内のとおり、お二人前になりましたら右側の係員へお声がけください。後半最初の方は、休憩中にこちらからご案内します」
相原さんがうなずいた。
マイクの受け取り、舞台の中央の印、終わったあとの戻り方も確認する。
歌詞画面は先週と同じ、歌う人から見て右下だった。
「曲が終わったあと、短くお話をうかがいます。マイクはお持ちのまま、お待ちください」
そこは、先週と違った。
俺は顔を上げた。
(しゃべるのもあるのか。歌だけで終わらせてくれよ)
何を聞かれるのだろう。
聞こうか迷っている間に、宮田さんが続けた。
「歌い終えての感想などですので、難しく考えずにお答えください」
俺は案内の端へ、『歌のあとも待つ』と書いた。
礼だけ言って、うっかり降りないようにしよう。
*
正午になり、司会の人が舞台へ上がった。
三人は客席の右側に座っていた。通路から相原さん、藤崎さん、俺の順だ。
俺はバッグを足元に置き、前を向いた。
一番の女性が呼ばれる。
予選で聞いた曲だった。
一番を終えても伴奏が続き、女性の声が二番へ入る。先週はここで終わったのだと思うと、続きを聞けること自体が少し嬉しかった。
最後のサビでは、歌い始めよりはっきりと声が伸びた。
拍手が起きる。
女性は短く感想を答えてから、舞台を降りていった。
その間に、藤崎さんがバッグからスマホを出した。
「お願いしていい?」
「はい」
録音の画面を確かめて受け取る。
二番の人が呼ばれたところで、相原さんが足を引き、藤崎さんを通した。
「行ってくる」
「うん」
俺もうなずいた。
藤崎さんは右側の係員へ声をかけ、仕切りの向こうへ進んだ。
俺は預かったスマホを、膝の上に置く。
自分のは、バッグにしまったままだ。
間違えない。
二番の曲が始まり、前を向いた。
もうすぐ、藤崎さんが歌う。
四日前に決めた二番の入りも、今日は最後まで聞ける。




