第24話 ここでも、見つかった
「六番、ドリンク三つお願い」
「はい」
藤崎さんに言われ、トレーを持ち上げた。
本選まで、あと三日。
昨日の録音は、出勤する前にも聞いていた。最後をゆっくり小さくするところは、何度聞いても気に入っている。
出勤前に一度だけ、と思って再生したのに、好きなところを戻して聞いていた。三回目で時計を見て、ようやく止めた。
六番の前で、部屋番号を見る。軽くノックをして扉を開けた。
「失礼します。お飲み物をお持ちしました」
伴奏の音がしていた。
歌っている人の邪魔にならないよう、テーブルの端へ回る。コーラ、ジンジャーエール、ウーロン茶。注文した人が手を上げてくれたので、その前へ順番に置いた。
最後のグラスを下ろしたところで、通路側の女性が俺を見た。
「あれ。この前、駅前で歌ってませんでした?」
トレーを持ち直した。
え。ここで?
駅前で歌ったのは俺だ。でも今日は、飲み物を運びに来ただけなんだけど。
「……はい」
「やっぱり。『帰り道』の人だ」
隣にいた男性も顔を上げた。
「え、どの人?」
「この前、買い物してたとき、ちょっと聞いたじゃん。最後のほうで」
女性が言い、また俺へ向いた。
「あの歌、よかったです」
「ありがとうございます」
頭を下げた。
店のエプロンを着ているのに、気づくのか。
顔がそんなに変わるわけではないので、気づかれても不思議ではない。ただ、舞台を降りたら、その日のことは会場に置いてきたような気がしていた。
ここでも覚えている人がいた。
「結果、どうだったんですか。最後までいられなくて」
「本選に、進めました」
「おめでとうございます。次、いつ?」
「三日後に、同じところで」
女性は隣の人へ目を向けた。
「時間あったら、また寄ろうか」
次の曲の前奏が始まり、歌う人がマイクを取った。
俺はもう一度礼を言って、扉へ向かう。
廊下へ出てから、空のトレーを見た。
全部、ちゃんと渡しただろうか。
コーラ、ジンジャーエール、ウーロン茶。
渡した。
よかった。歌を褒められたあとに飲み物を持ち帰らずに済んだ。
*
フロントへ戻ると、藤崎さんが伝票をそろえていた。
「六番、大丈夫だった?」
「はい。予選を見たって、言われました」
「え、そうなの?」
藤崎さんが顔を上げた。
俺はトレーを戻し、グラスを洗う場所へ手を伸ばす。
「途中まで、聞いてたみたいで」
「すごい。覚えててもらえたんだ」
「……はい」
蛇口を少し強くひねりすぎた。
水が跳ね、慌てて弱くする。
嬉しい。
今日は、ただ普通にバイトへ来ただけなのに。
藤崎さんは隣で、空いたトレーを布巾で拭き始めた。
「久瀬くん、ああいう場所、平気そうに見えるもんね」
「平気では、ないです」
「そう? 歌い始めたら、すっとしてたから」
歌い始めてからなら、少しわかる。
出したい声が出るので、そこは楽しい。
名前を呼ばれて歩くところは、もう一度やると思うだけで落ち着かなくなる。
「歌う前が、少し」
「私も、待ってるときが一番気になる」
藤崎さんはうなずいた。
少し、と言ってしまったが、かなり、でもよかった。
ただ、今から訂正するほどの話でもなかったので、グラスを洗った。
*
休憩に入る前、店長が事務所でシフトを見ていた。
扉のところで声をかける。
「店長」
「うん。あ、予選、おめでとう」
「ありがとうございます。本選も、出られることになりました」
「藤崎さんから聞いたよ。三人ともだってね」
「はい。休み、ありがとうございます」
店長は紙から顔を上げ、俺を見た。
「取っておいてよかったね」
うなずいた。
応募のときは、本選の日まで休んでいいのか迷っていた。
その空いている日を見たときより、今のほうがずっと楽しみだった。
「三日後も、その曲?」
「はい。今度は一曲です」
「ああ、最初に店で歌ってたやつ。あれ、最後までよかったもんね」
俺は口を閉じた。
覚えていてくれたらしい。
あのときは、一曲だけ部屋を使わせてほしいと頼んだ。高いところが出たのが嬉しくて、途中で見られていることにも気づいていなかった。
店長が、俺の顔を見て少し笑った。
「応援してるよ。俺はこっちだから、終わったらまた教えて」
「……はい」
今度は、自分でも連絡しよう。
出勤する日まで待たずに、終わったら。
*
休憩室で弁当を開けた。
卵焼きと、キャベツと豚肉を炒めたもの。朝作ったときより少し冷たくなっていたが、味はちゃんとしていた。
卵焼きを一つ食べてから、スマホを出す。
ゲームの通知は、まだ来ていない。
次の実績までは、あと二日ほどだった。
歌唱を上げたら、最後の声をもっと細かく選べるだろうか。それとも、違うところが楽になるのだろうか。
一覧にはほかにも、たくさんの技能が並んでいた。
清掃。
今ここで一点使えば、仕事が少し楽になるかもしれない。
俺はその欄を見てから、歌唱へ戻した。
今日の仕事は、今の自分でもできる。
明後日の一曲を先に試したかった。
弁当のふたを閉じ、今日気づいてくれた客の言葉を思い出す。
『帰り道』の人。
名前ではなく、曲で覚えていたらしい。
悪くなかった。
むしろ、かなりよかった。
会計の声が廊下から聞こえ、俺は時計を見た。休憩は、あと五分あった。
録音を一度だけ、途中から聞く。
最後のサビが終わると、相原さんの「いいね」が小さく入っていた。
そのあと、俺が「ありがとうございます」と答えている。
録音の俺は、いつもの眠そうな声で礼を言っていた。
(もう少し嬉しそうにしろよ。今、休憩時間まで使って聞いてるぞ)
再生を止めて、イヤホンをしまった。
廊下から藤崎さんに呼ばれ、弁当箱をしまった。
「七番、片付けお願い」
「はい」
雑巾を持って廊下へ出る。部屋の番号を確かめてから、扉を開けた。




