第23話 最後まで聞いてから
六番の部屋に入ると、相原さんがテーブルを少し奥へ寄せた。
「このくらい空いてればいいかな」
「はい」
前にここで、ギターを弾いてもらった。
今日は足元にケースがない。三人とも本選で使うカラオケ音源を入れるので、立つ場所も一人分でよかった。
俺は水を置いてから、スマホを充電台の脇に立てた。
藤崎さんが、その画面を見た。
「もう録る準備してる」
「……忘れないうちに」
「いいと思う。私も今日は聞きたい」
藤崎さんも自分のスマホを出した。
俺の前では、録った声を聞くのは苦手だと言っていたことがある。今日は自分から録音の画面を開き、マイクを持っていた。
先週の録音も、家で最後まで聞いたらしい。
「途中から、もう少し声出せたかもって思った。でも、一番だけだとあれでよかったのかな」
「今日は最後まであるもんね」
相原さんが端末を渡した。
藤崎さんが『窓の灯り』を入れる。
俺はソファに座った。
本選まで、あと四日だった。
*
一番は、予選で聞いたときより少し控えめに始まった。
藤崎さんは画面を見ていたが、文字を追うのに忙しそうではない。サビへ向かうところで顔を上げ、長い言葉を最後まで歌った。
ここは、予選でも好きだったところだ。
今度は伴奏が、そのまま二番へ進む。
藤崎さんが小さく息を吸った。
似た旋律なのに、一番より言葉が細かい。声を急いで出すと、その次も急ぎたくなりそうなところだった。
歌が少し前へ出た。
それでも止めず、次の息継ぎで戻した。
最後のサビを歌い終えるまで、俺たちは聞いた。相原さんが拍手すると、藤崎さんはマイクを下ろして首をかしげた。
「二番、忙しかった」
「うん。最初、少し早かったかな」
相原さんが言う。
藤崎さんは自分の録音を止め、二番の少し前から流した。
俺も、さっき聞いたところをもう一度聞く。
「あ、やっぱり。ここ、次の言葉へ行っちゃってる」
藤崎さんが画面を止めた。
「一番からもっと抑えたほうがいいのかな」
「一番は、好きでした」
口にしてから、二人がこちらを向いたので少し困った。
もう少し、続きが必要だった。
「出だしが。今日のほうが、言葉が聞きやすくて」
「あ、そこはこのままでいい?」
「……俺は、好きです」
正解を知っているわけではない。
ただ、聞いていてよかったので、全部変えてしまうのは惜しかった。
藤崎さんはうなずき、端末を取り直した。
「じゃあ、二番の入りだけ、もう一回やってみる」
*
前奏の途中から再生し直し、藤崎さんは二番の出だしを歌った。
一行目の終わりを、さっきより少し長く残す。
そのぶん、次の言葉も落ち着いて聞こえた。
「今の、楽だった」
藤崎さんは、まだ伴奏が流れている途中で笑った。
「ここで一回ちゃんと吸えばいいんだ」
次の行まで歌い、そのあとのサビへ進む。
相原さんが膝の上で小さく拍子を取っていた。
俺も聞いていて、こっちのほうが好きだと思った。言葉が急に並んで通り過ぎず、一つずつ聞ける。
終わったところで伝えると、藤崎さんはメモを開いた。
「本番で忘れないようにしとこ。あ、でも書きすぎると全部気になっちゃうんだよね」
画面の文字を二行ほど消し、一行だけ残していた。
俺のメモも見直したくなった。
いつの間にか、持ち物の注意のほうが歌の注意より長くなっている。
水筒と財布は、歌い方と別のところへ移そう。
*
相原さんの番になった。
前奏から足先が動く。予選でも聞いた、少し速いほうの歌い方だった。
声が伴奏に入ると、自然に次の言葉を待ちたくなる。
一番を終えても、その感じは続いていた。
二番の途中で短い間がある。相原さんはそこで一度マイクを離し、伴奏を聞いてから戻した。
声がちょうどいいところへ入った。
藤崎さんが、膝の上で小さく手を叩く。
俺も、今のところが好きだった。
最後まで歌い終えると、相原さんはすぐに俺たちを見た。
「後半、走ってなかった?」
「大丈夫だった。私、あそこ好き」
藤崎さんが、間奏後の旋律を小さく口ずさむ。
「俺もです」
続けると、相原さんは安心したように息を吐いた。
「予選のあと、家で聞いてたら、最後のほうだけ少し速くしたくなるんだよね。今日は、あそこで一回伴奏を聞こうと思って」
俺はうなずいた。
うまく聞こえたところにも、本人が決めてやっていることがある。
そこを聞けたのは嬉しかった。
「本選も、それで聞きたいです」
「よし。それでいこう」
相原さんはマイクを置き、俺へ端末を渡した。
「次、久瀬くん」
*
『帰り道』を入れた。
録音を始める前に、藤崎さんへ声をかける。
「最後のサビ、少し変えるので」
「うん」
「聞いてもらってもいいですか」
「もちろん。そこ、ちゃんと聞くね」
言ってしまうと、あとで「どうでしたか」まで聞きたくなった。
(褒めてもらう気がありすぎるだろ、俺。まだ歌ってもいないぞ)
前奏が始まり、画面へ向き直る。
一番は、予選で気に入った声を使った。
強い声のあとに小さくしても、言葉が残る。高いところを伸ばしながら、最後の長さも選べる。
もうできると知っているので、歌いながら確かめ続けなくてもよかった。
二番へ入る。
出だしを急がず、少し話すように声を出した。
言葉が多いところは、詰め込まないで続けられる。長い間奏で息を整えてから、最後のサビへ向かった。
最初より、少し強く。
声が広がった。
気持ちよく出て、そのまま次へ進めた。ただ、最後を静かにするところで、思ったより早く声を細くしてしまった。
歌えてはいる。
もう少し、さっきの強さを残したまま、ゆっくり終わりたかった。
伴奏が消えてから、マイクを下ろす。
「最後、いいね」
藤崎さんが言った。
「一番より、ぐっと来た」
嬉しくて、すぐに返事ができなかった。
俺が気にしていたところより前を、ちゃんと聞いてくれていた。
「……もう少し、最後だけ試してもいいですか」
「うん。どのへん?」
録音を少し戻した。
「ここから、小さくするのを遅くしたくて」
相原さんが聞き、うなずいた。
「そういう終わり方も、合いそう」
もう一度、最後のサビを入れる。
今度は声をすぐに落とさず、残りの伴奏を聞きながら、ゆっくり細くした。
さっきより、好きだった。
この終わり方なら、一番から続けて歌いたい。
*
三人でもう一度ずつ歌い、録音を聞いた。
誰か一人の案へ、全員が合わせることはなかった。
藤崎さんは二番の入りを、相原さんは間奏のあとを、俺は最後の声を、自分で気に入ったほうにした。
終了十分前の電話が鳴る。
受話器へ手を伸ばしたときには、まだ一曲歌いたかったが、今日は二人の録音も聞きたかった。
時間は、やっぱり足りなくなるらしい。
「次は本番だね」
藤崎さんが言った。
「はい」
「録音は、当日も頼んでいい? 私のスマホで」
「もちろんです」
「俺もお願いしていいかな」
相原さんが続いた。
うなずき、それぞれの出番を思い出す。
四番と七番の録音をして、俺は十番。
当日、スマホを間違えないようにしよう。
自分の歌より先に、二人の分をちゃんと残したかった。




