第21話 入賞したいです
店の前に置かれた写真を見て、唐揚げにしようと思った。
相原さんが隣のメニューを見ている間に、俺はもう値段も確かめていた。定食で九百八十円。ご飯のおかわりは無料だった。
「ここでいい?」
「はい」
藤崎さんが俺の見ていた写真へ目を向けた。
「お腹空いたもんね」
「……はい」
唐揚げを見ていたら、余計に腹が減ってきた。おかわりもできるなら、ここがいい。
店員に案内され、四人掛けの席へ入る。俺と相原さんが並び、藤崎さんは向かいに座った。バッグを横へ置くと、ようやく今日の荷物を全部下ろせた気がした。
朝から持っていた水筒は、ほとんど空だった。
*
注文を終えると、藤崎さんがスマホを伏せた。
「店長、すぐ返してくれた。三人ともおめでとう、だって」
「ありがとうございます」
「それ、私に言っちゃった」
「あ」
相原さんが笑った。
伝えてくれたことへの礼でもあったのだが、今の言い方では店長の代わりまで頼んでいる。
「……今度、自分でも言います」
「うん。楽しみにしてると思うよ」
藤崎さんはスマホをバッグへしまった。それから、テーブルの上で両手を軽く握った。
「残ったんだねえ」
さっきから何度か聞いた言葉だった。
聞くたびに、自分の名前が呼ばれたところを思い出すので、俺も別に困らなかった。
「うん。来週も三人だ」
相原さんが水を持ち上げる。
「じゃあ、とりあえず。予選通過」
藤崎さんがグラスを取り、俺も慌てて手を伸ばした。
軽く合わせてから、水を飲む。
声はまだ、喉の奥に残っている感じがした。今日のサビなら、今でも同じように出せそうだった。
この店では出さない。
唐揚げを待っている間に歌い始めたら、さすがに説明がいる。
「藤崎さん、最後、どうだった?」
相原さんが聞いた。
「歌ってるとき?」
「うん」
「二番に入るつもりになっちゃった。一番だけって、わかってたのに」
藤崎さんは、照れたように笑った。
「去年、早く終わってほしいって思ってたのが、自分でも嫌だったんだよね。好きな曲なのに。今日は、まだ歌いたかった」
俺はうなずいた。
終わってから、続きを入れたくなる。
よくわかる気持ちだった。
「本選なら、歌えます」
「そう。二番も歌えるの」
藤崎さんの声が少し大きくなった。隣の席を見てから、口元を押さえる。
俺も水を飲んだ。
嬉しいのを、うまく隠せない人が向かいにいる。見ていると、こっちまで顔が緩みそうだった。
*
定食が運ばれてきた。
唐揚げは、写真で見たより大きかった。
こういう違いはありがたい。
箸を取ると、向かいの藤崎さんも魚をほぐし始めた。相原さんは、生姜焼きの皿を少し手前へ寄せる。
「来週、同じ曲?」
藤崎さんが聞いた。
「俺はそのつもり。今日の速さで、最後までいこうかな」
相原さんは答えてから、俺を見る。
「久瀬くんは?」
「『帰り道』で」
「うん。最後まで聞きたい」
箸が少し止まった。
その言葉は、かなり嬉しい。
歌会でも一曲聞いてもらったのに、また聞きたいと思ってくれているらしかった。
「……ありがとうございます」
唐揚げを口へ運んだ。
少し熱かったが、今はそのほうが助かった。口元をどうしたらいいか考えなくて済む。
「詳しい時間、明日だよね」
「メールで来るって言ってた。曲の確認も、そこから」
相原さんが答えた。
「一曲ずつだから、今日は聞けなかったところも聞けるな」
「十二人なら、知ってる人のほうが多そう」
藤崎さんが言った。
今日の三十五番の人を思い出す。
最後の声がよかったと伝えたら、俺の歌のことも返してくれた。あの人も通過していたので、来週は一曲聞ける。
知らない人ばかりだと思っていた場所で、もう一度会ったら挨拶できる人が少し増えていた。
「……三十五番の人も、いました」
「あ、さっき話してた人?」
「はい。あの最後、もう一回聞きたいです」
藤崎さんがうなずいた。
「私も、あの人の声好きだった」
相原さんも覚えていたらしく、二人で歌の話を始めた。
俺はご飯を食べながら聞いた。
番号と顔と、歌がだんだん結びついてくる。来週までに全員覚える必要はないのだが、知っている人が歌うほうが、たぶん楽しい。
*
「今年は、一つくらい持って帰りたいな」
食事が半分ほど進んだところで、相原さんが言った。
「賞?」
「うん。去年も本選で歌えたのは嬉しかったんだけどさ。賞状もらってるの見たら、やっぱり欲しくなった」
相原さんは箸を置いて、水を飲んだ。
「今日の歌は、自分でもよかったと思うし。来週も、ちゃんと狙いたい」
普通に言うのだな、と思った。
入賞したい、と。
俺も欲しい。あの舞台で、賞状をもらって帰りたい。
ただ、初めて出るくせに気が早いと思われそうで、二人にはまだ言っていなかった。
「久瀬くんは?」
藤崎さんに聞かれ、顔を上げた。
どう答えるかは決まっていた。
決まっていたのに、一度、ご飯茶碗を置く時間が必要だった。
「……入賞したいです」
「うん」
藤崎さんは、特に驚かなかった。
「今日、よかったもん。私も来週の聞くの、楽しみ」
「俺も負けないようにしよう」
相原さんが笑って言った。
俺はうなずいた。
言ってしまった。
それなのに、二人は普通に食事を続けていた。大きなことを言ったつもりで身構えていたのは、俺だけだったらしい。
少し楽になって、残りの唐揚げを取る。
(狙うなら、一番がいい)
本選に残って嬉しかったぶん、また名前を呼ばれたくなっている。十万円の封筒も欲しい。
ゲームでも、取れそうな報酬を前にやめたことはあまりない。来週に間に合うなら、歌唱をもう一つ上げておこう。
帰ったら、欲しかったゲームの値段も見てみたい。
まだ取っていない賞金なのに、買うものはすぐ浮かぶ。
*
店を出たときには、外が暗くなっていた。
駅へ向かう相原さんと別れ、藤崎さんと少しだけ同じ道を歩く。
「今日はありがとうね」
「こちらこそ」
「誘ってよかった」
藤崎さんが言った。
俺は歩く速さを少し落とした。
「……俺も、出てよかったです」
そこだけは、すぐに返せた。
藤崎さんは笑って、分かれ道の先へ手を振った。
一人になってから、ゲームを開く。
キューブは増えていた。
次の実績までの残りを見て、今の速度で割る。本選の前日には届く計算だった。
歌唱をもう一つ上げられる。
今日でも十分嬉しかった声が、次はどうなるのだろう。
信号が青になったので、表示を閉じた。
家に帰ったら、まず今日の録音を――と思いかけて、俺は自分の本番を録っていなかったことを思い出した。
藤崎さんの分は、藤崎さんのスマホへ返した。
(ああ、くそ。人の録音は忘れなかったのに)
来週は、誰かに頼もう。
自分でも聞きたいし、もし入賞したら、その歌は残しておきたかった。




