第20話 来週も、ここで
三十九番、四十番の歌が終わり、二組目の休憩に入った。
「一回立とうか。ずっと座ってたし」
相原さんに言われ、俺も立ち上がった。
歌い終えてから水を飲み、ほかの人の歌を二つ聞いた。そのくらいたって、ようやく腹が減っていることに気づいた。
会場の端へ移り、残していたおにぎりを出す。
朝、二つ作ったのは正解だった。
「私も残しとけばよかった」
藤崎さんがバッグの中を見た。
「全部、食べましたか」
「うん。待ってる間にちょっとずつ」
「まだ少し時間あるよ。俺も何か買う」
相原さんが近くの売り場を指し、二人で向かっていった。
俺は包みを片付け、手を洗いに行く。戻る途中で、三十五番の札を掛けた男性と目が合った。
待機していたとき、最後の音を長く伸ばしていた人だ。
相手が頭を下げたので、俺も返した。そのまますれ違いかけ、少し足を緩める。
よかったです、くらいなら言える。
「さっきの、最後のところ、よかったです」
男性がこちらを向いた。
「あ、ありがとう。息、持つか心配だったけど」
「最後まで、聞こえました」
「よかった。君の『帰り道』も、静かなところがよかったよ。俺、ああいうふうに落とすと声なくなっちゃうんだよね」
喉のあたりへ手を当て、笑った。
俺も、少し前まではそうだった。
八点で変わりました、とは言えないので、礼を言った。
「……ありがとうございます」
男性は会場へ戻っていった。
俺は少し遅れて歩き出す。感想を言いに行ったら、自分も褒めてもらえた。
何だか、得をした気分だった。
ベンチへ戻ると、藤崎さんが聞いた。
「知り合い?」
「今、少し話しただけです」
「そうなんだ」
俺はうなずき、バッグを持った。
自分から声をかけた、と言い足すほどのことではない。でも、二人以外にも今の歌を好きだと言ってくれた人がいるのは、かなり嬉しかった。
*
二時五十分になり、最後の組が始まった。
戻った客席は、朝と少し顔ぶれが変わっていた。前の人の買い物袋も、隣に置かれた上着も違う。
四十一番の歌を聞きながら、バッグを足元へ下ろす。
もう番号札を見なくていい。
歌の途中であと何人だろうと考えずに済むだけで、伴奏も、声の細かいところも、さっきより聞きやすかった。
知らない曲があった。
店で何度も聞いた曲もあった。
よく流れる歌でも、この人が歌うとここを聞きたくなるのか、と気づくところがある。
家へ帰ってから探したい曲が、また増えた。
相原さんはリズムのはっきりした曲で足を動かし、藤崎さんも、気になった声のところで顔を上げる。
途中で目が合うと、小さくうなずいた。
四時になる頃、最後の参加者が舞台を降りた。
「これで六十名、すべての方の歌唱が終了しました」
司会の言葉に拍手をしてから、時計を見る。
結果が出るまで、あと三十分ほどだった。
*
審査員が席を立ち、舞台の横へ集まった。
客席の話し声が大きくなる。ずっと聞いていた人たちが、近くの人と感想を話しているらしかった。
藤崎さんがスマホを開き、すぐに閉じた。
「今聞いたら、気になるところ探しちゃいそう」
録音のことだとわかって、うなずく。
「あとでも、聞けます」
「うん。帰ってからにする」
俺も舞台へ目を戻した。
もう一度歌って直したいところは、なかった。出したかった声は出たし、最後も聞こえていたと教えてもらえた。
そこは、満足している。
満足していても、通ってほしい。
十二人の中に入りたいと思うと、さっき自分でよかったと思えたこととは別に、落ち着かなくなった。
歌い直すこともできないので、座って待つしかなかった。
(くそ。歌い終われば楽になると思ったのに、まだこれがあった)
番号札のひもがねじれているのに気づき、指で直した。
「久瀬くん、結果のあと、すぐ帰る?」
相原さんが聞いた。
「いえ。今日は何も」
「俺も。よかったら何か食べてからにしない?」
「私も行く」
藤崎さんが答え、俺もうなずいた。
結果のあとも、二人といられるらしい。
通ったら一緒に喜べるし、そうでなくても、今日聞いた歌の話はしたかった。
できれば、喜ぶほうがいい。
*
四時半、司会の人が舞台へ戻ってきた。
通路にいた参加者も、近くへ寄ってくる。
俺は体を起こした。
「本選へ進む十二名の方を、出演番号順に発表いたします」
最初の名前が呼ばれ、少し前の席から声が上がった。
次の人にも、周りから拍手が起きる。
番号順だ。まだ俺のところではない。
そうわかっていても、呼ばれるたびに耳が向いた。
「十八番、相原悠介さん」
隣で相原さんの肩が動いた。
藤崎さんがそちらを向き、笑った。俺も拍手をする。
相原さんは小さく頭を下げ、すぐ舞台へ顔を戻した。まだ発表が続いている。
別の人の名前が呼ばれた。
その次に、三十一番と、藤崎さんの名前が続いた。
藤崎さんが顔を上げる。
番号札を見てから、相原さんへ目を向けた。相原さんが、はっきりうなずく。
「呼ばれました」
俺も、小さく言った。
「……うん」
藤崎さんは口元へ手を持っていきかけ、膝へ戻した。
笑っていた。
よかった。
来週、あの曲を一曲歌えるのだと思うと、俺も嬉しくなった。
もう一人の名前が呼ばれ、続いて司会が言った。
「三十八番、久瀬凪さん」
俺も入っていた。
舞台を見たまま、息を止める。
「久瀬くんも」
藤崎さんがこちらを向く。
うなずくのが少し遅れたが、聞こえていた。久瀬凪、と、ちゃんと呼ばれた。
通った。
俺も、来週また歌える。
口元に力が入った。笑うのを我慢する必要などないのに、二人の顔を見ると、どう喜べばいいのかわからなくなる。
とりあえず、続きを発表されている人へ拍手をした。
相原さんも隣で手を叩いていた。
最後の名前まで呼び終わる。
三人とも、十二人の中に残っていた。
*
通過した人は舞台の右へ集まるように言われた。
バッグを持って立つと、藤崎さんがもう一度こちらを見た。
「三人とも残ったね」
「はい」
「よかった。ほんとに」
何度でも言いたくなるのは、俺も同じだった。
相原さんが道を空け、俺たちが出るのを待ってくれる。
「じゃあ、来週は一曲だ」
「うん。私、来週は客席で見なくていいんだ」
藤崎さんの声が弾んだ。
初めて応募の話をした日、本選に残れないと次の週はお客さんになる、と言っていた。
今日は三人で、次の説明を聞きに行ける。
集まった十二人へ、宮田さんが日程を伝えた。
本選は一週間後、同じ会場。一コーラスではなく、一曲を通して歌う。詳しい集合時間と曲の確認は、明日届くメールで知らせてくれるらしい。
仕事はもう休みにしてもらっている。
その休みを、本当に本選で使える。
うなずいて聞いていると、宮田さんが次の案内を始めた。
登録した内容を一人ずつ確認し、十二人で写真も撮る。呼ばれるのを待っている間も、自分がこっち側にいるのが少し嬉しかった。
写真を撮り終える頃には、五時を回っていた。
最後に番号札を返すと、宮田さんが受け取った。
「本選もよろしくお願いします。今日はお疲れさまでした」
「ありがとうございます」
頭を下げ、二人のところへ戻った。
*
会場を離れる前に、三人で端のベンチへ座った。
「店長に送っとくね。久瀬くんの分も、一緒でいい?」
「お願いします」
藤崎さんがスマホへ打ち始めた。相原さんも誰かへ連絡している。
俺はもう一度、舞台を見た。
係の人がマイクを外し、椅子を片付け始めていた。
あそこで、二番も歌える。
来週まで待たずに曲を入れたいくらいだった。でも、今は二人と食べに行くのも楽しみだ。
「何食べる?」
藤崎さんに聞かれ、相原さんが答えた。
「座って食べられるところがいいな」
「俺も、それがいいです」
返しながら時刻を見ると、六時になるところだった。
少しだけ、ゲームも開いた。
所持キューブは三百八兆を超えている。歌っていた間も、結果を待っていた間も、七億以上を一秒ごとに作っていた。
こちらまで調子がいい。
【歌唱 Lv.6】
【料理 Lv.1】
【所持スキルポイント:8】
次の実績には、まだ届いていなかった。
でも、本選までは一週間ある。あの十一点をもらえたら、次の歌唱も買える。
それでどこまで歌えるか、今から楽しみだった。
画面を閉じると、藤崎さんが立ち上がった。
「行こ。今日はお腹空いた」
「……俺もです」
相原さんに続き、俺もバッグを持つ。
本選に進めて嬉しい。それだけで、今日はかなりいい日だった。
それでも、来週は歌い終わったあとに、もう一度名前を呼ばれたい。
十万円も、急に少し近くなっている。
帰ったら、歌唱を上げられるまでの時間をちゃんと調べよう。
そう決めて、二人に追いついた。飲食店の並ぶほうへ歩きながらも、さっき自分の名前が呼ばれた声を、まだ思い出していた。




