第177話 その鍵は、持っていていい
水曜日、店の棚の一部が空になり、貸してもらった本は別の場所へ移してあったので、俺は見えている板へ目を向けた。
歩く音が前よりよく聞こえる店で、カウンターの内側へ立つと、包む紙のあった場所にも何もなく、今日は陸の最後の一日だった。
撮影に入ると、兄は窓から外を見て、弟は戸締まりを確かめた。若松さんが空の棚へ触れ、指を離してから言う。
「こうなると、広いな」
「本があったから」
答えたあと少し笑ったが、広くなったことだけを喜ぶ声にはならず、兄も、棚を見たままうなずくだけだった。
*
扉の前で若松さんが、最初の日と同じくすんだ鍵を俺へ差し出したので、その手で店を開けた兄の姿を思い出した。
「これは、返す」
なくしたり置いていったりせず、六年持っていた鍵だと思いながら、その手を見たら、最初に店へ入ってきたときとは違って見えた。
あのときは勝手に戻れるのかと思ったが、今は店を閉じてもまた会いたかったので、俺は手を出さずに答えた。
「それは持ってていいよ」
「もう、使わないだろ」
「会うのに、使わなくてもいいから」
扉へ手を伸ばし、兄がしまうまで外へは出ずに待つと、若松さんは少し時間をかけて鍵を戻した。
その間に空の店をもう一度見ると、机の端にも何も残っていない。注文の本は渡し終えて、片付ける手を止めるものもなかった。
兄がこちらを見たところで扉を開け、二人で外へ出たあと、最後には陸のほうの鍵で閉めた。
すぐには離さず、川瀬さんの声が来るまで触れていると、止める声で若松さんも顔を向け、俺たちは店へ戻った。
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映像を見た川瀬さんが、最後に鍵へ触る手元も撮ろうと言ったので、俺は同じ一本を持って扉の前へ戻った。
回したあとに確かめてから手を下げる速さを、さっきと揃えると、今度も、今日はここから帰る陸として離せた。
夕方に最後の確認が済み、全部の撮影が終わったと聞いたときには、近くで拍手が起きたので、俺も頭を下げた。
十日間だった。
台本の一週間を何日にも分け、順番も角度も変えて撮ったが、前に言った言葉を持ったまま次の返事を聞いて、最後まで弟をやれた。
今までで一番長い役を終え、若松さんと握手すると、弟、ありがとうと言われ、俺は普段の声で礼を返した。
「こちらこそ、ありがとうございました」
そのまま黙りかけたが、さっきの鍵を戻すまでを待った時間は言っておきたくて、一度顔を上げた。
「最後、待ってくれたところ、よかったです」
「鍵をしまうの、惜しかったから」
若松さんが笑って答えてくれたので、俺も笑った。取らずに残した手へ、相手からも返ってきたものがあった。
*
家では自分の鍵で扉を開け、鞄を置いて靴を脱ぐと、この部屋には本も鍵盤もあって、今夜やりたいものがまだ残っていた。
映画はこれから撮ったものをつなぐので、すぐには見られないが、弟として話す日は今日で終わったと、使った台本を机へ置いた。
少し曲がった本を今は片付けず、鍵盤の横へ置いておくことにして、俺はゲームの町を開いた。
港へ新しい船が来ていたので、次の荷物をどこへ運ぶか見て、今度は自分の町を動かし始めた。




