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第175話 帰りたいのは、どちらのほう

 火曜日の夜、営業を終えた店で話す場面を撮り、外の明かりが入る扉のそばで、兄が店を続ける案を出した。


 陸一人でなく二人ならできる、と机に広げた紙には、弟が前に考えたのと似たことが、今から始める案として並んでいた。


 俺は最初の読合わせより声を抑え、紙から若松さんへ目を戻すと、言い出す前にもう一度、その顔を見た。


「何をすればいいか、俺が考えなかったと思ってる?」


 怒鳴るだけでは説明を続けられそうだったので、書かれた一つを指し、今まで陸がしたことを、その紙の上で返した。


「それ、一昨年にやった。こっちは、去年」


「じゃあ、知ってるなら、もう一回できるだろ」


 兄が少し顔を上げて言うと、俺は紙から手を離した。もう一度したいとは言っていないことを、まだ聞いてもらえていなかった。


     *


「俺は、ほかのところへ行きたいんだよ」


 そこで初めて、兄の目が弟から店へ移ったので、俺も次の言葉を急がず、相手が棚を見るところまで待った。


「ここ、なくしてもいいのか」


「なくしていいものしか、辞められないわけじゃないだろ」


 返して息を取ると、俺も棚の小さい傷へ目を向けた。陸はここを嫌いになったわけではなく、ほかでやってみたいことを選んだ。


 若松さんが紙を畳みかけ、途中で手を止めたので、俺はその手を見て、持って帰るとも、置いていくとも言わずに待った。


「俺には、まだ、ここがいるんだよ」


 顔を上げた。


 店を続ける方法の話だと思って聞いていたところへ、兄自身が戻る場所を欲しがる声が来ると、同じ返事では済まなくなった。


 弟のための話として帰ってきたことには、まだ腹が立つ。それでも、今の兄へ紙を持って帰れとは言えず、少し息を吐いた。


「……先に、そう言えばよかった」


 若松さんが口を開きかけたまま言葉を出せずにいるのを見て、俺は椅子を一つ引き、兄へ少し寄せた。


 店を続けるとは言わないまま、ここで話す席だけを空けると、兄が座ったところまで、川瀬さんは撮っていた。


     *


 止める声で顔を上げると、俺たちはまだ椅子に座っていて、さっきまで陸と話していた人が、若松さんへ戻った。


 川瀬さんは映像を見ながら、兄の言葉のあとも、弟が全部を許す顔にはならなかったところがよかったと言った。


 俺もその部分を見ると、怒っていたものの上に兄の声が来ていて、どちらかを消さずに椅子を出す手まで続いていた。


「椅子が来たとき、兄のほうは、やっと座っていいんだと思った」


 横から若松さんが言ったので、俺は画面の椅子へ目を戻し、帰ってほしいだけではなかったと答えた。


 出した椅子にそう見えていたとわかると、今度もそこを残したくなり、翌日の近くから撮る場面では、兄の声をまた待った。


 ここがいると言う前に、若松さんが昨日より長く息を置いたので、俺はそのぶんの顔を見てから自分の言葉へ入った。


 迷ってから出す手は同じ位置へ戻せた。二つの角度を続けて見せてもらうと、相手を待つ時間が変わっても、同じ二人の夜になっていた。


     *


 帰りに店の外で話した若松さんは、今度は次の舞台の台本を読んでいて、真よりだいぶしゃべる役だと教えてくれた。


「見たいです」


「決まったら知らせる。今度は、こっちが怒鳴らないかもしれない」


 少し笑って答えると、俺も別の役の若松さんを見たくなり、次にどんな声で返す人なのか、知らせてもらうのを楽しみにした。


 俺は家に帰ったら港の町を動かしたいと思い、撮影があと二日残る予定を確かめて、今日は台本を鞄へしまった。


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