第173話 それだけは、まだ捨てるな
金曜日、兄がカウンターの紙をまとめる場面を撮り、まだ本を渡していない客の注文票へ手が行ったので、俺は包んでいた本を置いた。
「それは、いい」
「捨てていいってこと?」
「違う。触らなくていい」
紙を戻すところまでは読合わせでもやったが、兄は手を引かず、一枚を持ったまま、閉めるなら全部同じだろと言った。
俺は相手の顔を見た。
「まだ、渡してない」
強めた声が店の奥で返っても、喉だけを押す声にはせず、今止まってほしい相手へ、次の言葉まで向けた。
「待ってる人がいるんだよ。それを、勝手に終わったことにするな」
若松さんの指が紙から少し離れたので、俺はすぐ取り返さず、兄が自分で戻すところまで、相手の手を見ていた。
ゆっくり机に置かれ、分かったという返事が来てから本を持ち直すと、今度は、渡すために包みの角を折れた。
紙を握り潰したまま終わる弟にはしたくなかったので、最初と同じ形へ戻したところで、川瀬さんの声を待った。
*
撮影が止まると、若松さんは注文票の位置を確かめ、次もここに置くと言ったので、俺もうなずいて水を飲んだ。
普通の声へ戻ったところで、近くの人が、さっきはかなり怖かったですねと笑い、俺は短く返した。
「……役なので」
(それは、見れば分かるだろう)
ほかの返事がすぐには出なかった。陸ならまだ言うことがありそうだが、俺は水をもう一口飲み、次に撮る手元を確かめた。
川瀬さんは強い声の映像を見てから、本を包むところを撮ると言ったので、戻した注文票へ触らず、本のほうを揃えた。
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月曜日、兄が注文票を読んだあとの場面では、閉店より後に取りに来る客の分を見て、受け取る場所を尋ねられた。
「おまえ、どこへ渡しに行くんだ」
「駅まで」
「俺も行っていい?」
若松さんの顔を見て少し待った。店を残す話なら断るつもりだったが、今は、待っている客へ本を持っていく話だった。
「……持つくらいなら」
声を落として返すと、兄は笑いすぎずに包んだ本へ手を伸ばしたので、俺もその手を、今度は止めなかった。
四時までに撮影を終え、衣装を返していつもの服へ戻ると、今日は月曜の六時から勤務があるので、駅へ向かった。
撮影した金曜は交替済みだが、今日まで休みではない。水を買って少し座り、自分の二曲をかけると、さっきの陸とは違う声が流れた。
『休みの日』を最後まで聞き、帰宅して楽しむほうの声を耳に残して立つと、もう一度怒鳴りたい気にはならなかった。
*
翌日の火曜日、二人で店の奥を探す場面で、兄は本の並ぶ順を知らなかったが、陸が読み上げた背表紙の名前を聞いた。
上の棚から若松さんが取って渡した一冊を開くと、探していた本だったので、俺は礼を言う前に顔を上げた。
怒った相手に今は助けてもらっていて、何と返すか少し困ったところで、兄は本を指し、俺が言うまで待ってくれた。
「……それ、探してた」
短く言ってもうなずいてもらえたので、受け取った本を自分の奥へ隠さず、二人の間に置いて注文票と見比べた。




