第166話 その鍵で、入って来たんですね
日曜日の午後、川瀬さんと会い、台本を机へ置いたら、どこから話そうか考える前に、弟はどうだったかと聞かれた。
「やりたいです」
先に出たのがそちらだったので、川瀬さんが少し笑い、俺も最初のページを開いて、気になったところを指した。
「兄に会いたくないわけではないのに、すぐ迎えられないところです。あと、店を閉めることを、悪いことみたいに言われたくないと思いました」
「そこは、僕も残したい」
川瀬さんがその場面へ印を付け、兄弟を中心に七十八分くらいの映画を考えていると、撮る長さも教えてくれた。
前の映画の売店にいた宮下よりずっと長く、最後に行き先を選ぶところまで弟をやると聞いて、俺は空の棚のページを見た。
(長い。かなり、俺がいる)
顔にはあまり出さずにうなずいたところで、川瀬さんが部屋の端にある小さいカメラへ目を向け、一場面撮ってよいかと尋ねた。
「はい」
俺は椅子を引いて立ち、机をカウンターにする場所へ移った。鍵は川瀬さんの使っていない一本を、今の撮影に借りた。
*
今日は川瀬さんが兄の台詞を読み、扉から入ってくるので、俺は机の内側で仕事をしていたつもりになって待った。
「早かったね」
入ってきた兄の顔を見てから手へ目を下ろすと、持っている鍵が見えたので、顔へ戻して次を言った。
「鍵、まだ同じでよかったね」
声を強めなかったが、急に帰ってきた人を今から相手にすると思うと、言い終えてから、机の紙を先に揃えたくなった。
録ったものを見ると、言葉では迎えているのに、目を外したところでその先を止めていて、俺は少し冷たすぎるかと尋ねた。
「この紙を触るところ、いいね。六年分を説明しなくても、今、話したくないのが見える」
川瀬さんは映像を戻し、兄の入り方でまだ変わるだろうから、今度は明るく帰ったとして試そうと言った。
さっきと同じ場所へ立つと、兄が大きく手を振り、いつもどおりにただいまと言うので、俺は顔を見る時間を長くした。
こんなに普通に帰ってこられるのかと思ったあとでは、言葉の初めだけ少し柔らかくなり、最後を落とすほうが言いやすかった。
泊まるつもりらしい鞄も見て、紙を机の端へ寄せたが、そこへお茶は出さずに待つと、川瀬さんが止めた。
「今、兄が、ここにいていいか分からなくなった」
机へ目を戻すと、お茶を置くところは空けてある。出すと言うより先に、兄が次に何を言うか待っていたかった。
*
二つの映像を見たあと、川瀬さんから弟役を正式にお願いしたいと言われ、俺は返事をしかけて、先に聞いた。
「撮る日を、先に確かめてもいいですか」
「もちろん。そこも、今日話そうと思ってた」
撮影は二か月ほど先に十日分あり、続けて十日ではなく場所ごとに分かれていて、読合わせ二回と、必要なら短い追加音声一回も含まれる。
出演料三十六万円の行を見ると、決まって準備を始めるときに半分、撮影を終えてから残り半分を受け取るとあった。
(長い役の数字だ)
長さだけで決めた料金ではないだろうが、今まで一回で頼まれた仕事より大きく、俺は料金と日程の書面を受け取った。
家で条件を読み直すと、店の勤務と重なる金曜が二つあったので、まず店長へ相談し、木曜までに返事をすると川瀬さんへ送った。
役の陸は店を辞めると決めていたが、俺は今の勤務も引き受けている。二つの予定を並べ、どこで交替をお願いするか確かめた。
その相談が済めば、次には兄役の人と会える。台本の最初を開き、今日とはどんな声になるか、また少し読みたくなった。




