第157話 その台詞は、先に笑わせる
日曜日、森野さんの出る芝居へ行き、三千円の券を買って座ると、舞台には机と、その両側に二つの扉があった。
前に俺が立った文化館とは別の小さい劇場で、今日は歌う予定も弾く予定もないので、プログラムを膝へ置いて開演を待った。
森野さんの役は、待ち合わせた相手を間違えて迎える人だった。相手が来たときには嬉しそうなのに、返事を聞くたび、少しずつ顔が変わる。
机へ紙を置こうとした手が途中で止まり、そのまま次の返事を待つ顔になったところで、客席から笑いが起きた。
俺も笑ってから、まだ台詞では変なことを言っていないのだと気づいた。困って聞いている本人の顔が、言葉より先におかしかった。
紙を持ったまま応じていた森野さんの役が、もう一方の扉から来た人を見ると、少しだけ肩を戻して迎えた。
今度こそ待っていた相手らしいと思ったら、その人が机へ置いた鞄は、さっき入ってきた人と同じだった。
(また、違うのか)
客席の笑いに混じって、俺も机の紙へ目を向けると、ずっと置けなかったものが、今度は裏返して置かれていた。
相手に見せたくないらしいと手元からわかって、次の返事を待つ顔まで気になったが、その間に相手が次の言葉を返した。
(今日は、ちゃんと客でいろ)
細かいところを覚えようとして次の言葉を聞き逃すのはもったいなくて、俺は紙から顔へ目を戻し、続きを聞いた。
*
終演後、森野さんと少し話せる時間があり、俺は台詞の名前を探すよりも先に、机の紙のことを伝えた。
「あれ、ずっと置けないのが面白かったです」
「そこ、二人で考えたんだ」
森野さんは共演した人のほうを向き、その人が待っていたあたりを、紙を持つような手で示してくれた。
「相手が気づいてない顔で待つから、こっちも困り続けられる」
相手がどう返すかも二人で考えたと聞いて、俺はそちらにもよかったと伝えると、もう一度、紙を置けなかった顔を思い出した。
自分の歌でも、二人に足してもらった音で次の声が変わったので、今度録る二曲のことを聞かれたとき、すぐにその話になった。
「石倉さんと小野さんに手伝ってもらってます。録る日も決まりました」
「自分の曲、増えてるんだな」
「はい。二曲になりました」
数を言ってみると、さっきまでは録る予定だったものを、自分の曲としてちゃんと数えられて、少し嬉しかった。
「できたら聞く。俺もまた、別の役を見てもらいたい」
森野さんがそう言ったので、俺はうなずき、次に舞台でどんな顔をするのか、今の役と違うところを見たくなった。
*
劇場の外は思ったより風が冷たかったので、駅の外の店で温かいものを食べてから、来週の予定をスマホで開いた。
明日から新しい月になり、店の勤務は月曜と金曜の二日へ変わる。今月の水曜は全部働いたので、次の水曜から時間が空く。
そこへ歌の予定を入れることも、何も入れずに家にいることもできるので、俺はまだ空欄のまま、変更を確認した礼を店長へ送った。
明日の月曜には普通に店へ行く。まずそこを確かめて予定を閉じ、劇場でもらったプログラムを鞄の中へ戻した。
*
帰宅して工場の履歴を見たら、金曜日の正午すぎに九基目の中枢ができていて、再編成前と同じ数まで揃っていた。
プラント十二、中枢九、塔三。
今度は全部に八倍がかかるので、生産速度を見てから次の実績の見込みへ移ると、そちらの待ち時間も変わっていた。
(これは、押してよかったな)
なくしたキューブが返ってきたわけではなく、買い直した工場で、これから増える分が速くなったのを見てそう思った。
予約は空のまま生産だけが続いていたので、今日は新しいものを並べず、俺は机へプログラムを置いて鍵盤へ向かった。
森野さんが次の返事を待っていた間を思い出して、二曲目の最後でも一度待つと、帰ってきた四つの音をもう少し聞いていたくなった。




