第156話 その音は、残してほしいです
木曜日の午後、制作室で二曲を続けて聞いてもらうと、小野さんは『ひと駅ぶん』の譜面へ一つ音を書いた。
「二つ目の最初、これを残そうかな」
鍵盤で弾いた四つの音は俺が最初に決めたところで、その下に低い音を一つ足すと、軽いまま、足元がはっきり聞こえた。
「それ、好きです」
「じゃあ、その音から始めてみよう」
小野さんがもう一度、始まりを弾いたので、俺も譜面へ目を落とすより先に、その続きへ声を出してみた。
そこへ石倉さんのギターが入り、家で録ったときよりたくさんの音が鳴ると、気持ちよく歌いながら先へ進めた。
一番を終えて短い間に入るところで、俺は次の言葉を出す前に、窓の外を見ていた歌の中へ戻りたくなった。
「今、気になった?」
石倉さんがギターの手を止めたので、俺は今弾いてもらったあたりを譜面で指し、言い方を探してから答えた。
「はい。間のところ、もう少し静かにしたいです。ここで、一度座ってる感じにしたくて」
さっきまで歩く感じが好きだと言っていたのに、座りたいと言い出したので、自分でも少し面白くなった。
(電車の歌だから、別にいいだろう)
石倉さんは笑ってギターの音を減らし、小野さんが長く残す音を一つ選ぶまで、俺は続きの声を出さずに待った。
静かになったところから二番へ入ると、降りる駅が近づいた言葉で伴奏がまた増え、今度はその先へ行きたくなった。
「ここで増えるのは、好きです」
俺が顔を上げて言うと、石倉さんは譜面へ印を付けた。音を減らしてほしいと言えたので、増えていい場所も伝えられた。
*
『休みの日』は、初めの四十二秒の静かな入り方を残して弾くと、小野さんが終わりへ添える音も少なくなった。
二番へ入るところで石倉さんが短く鳴らした音を聞き、俺は続きを歌ってから、もう一度、始まりの鍵盤へ戻った。
足してもらった音が消えると家で作った歌へすぐ帰れたので、今の二人の伴奏でも、この入り方を使いたかった。
「最初の鍵盤は、俺が弾いた音を使いたいです」
小野さんは俺の手元へ目を向けてからうなずき、いま弾いた短いところを、譜面の上でも確かめてくれた。
「いいと思う。ここは久瀬くんの手のほうが、歌と合ってる」
速い伴奏を全部任される話ではなく、自分の声と一緒に弾いていた短い音を、完成した録音にも残せることになった。
鍵盤の部分は必要なところを分けて録り、二人が整えた伴奏を先に聞いて、俺が好きな場所を確かめる順番も決めた。
最初の木曜日は『休みの日』、次の月曜日は『ひと駅ぶん』を中心に録るので、それぞれの譜面へ日を書いた。
作者欄には俺の名前があったが、今日はそこを見直すより、小野さんに足してもらった低い音を、もう一回聞いた。
*
表紙の話になって、俺は家で撮った写真を見せた。小さい鍵盤の端と、二曲の題名を書いたノートだけで、人の顔は入っていない。
公演の写真は、あの会の案内に使うと決めたものだったので、今度の二曲には、手元のものを写した一枚を使いたかった。
石倉さんに文字を置ける場所を教えてもらい、窓の明かりが当たる時間に撮り直して送ることにした。
新しいものを買わず、家にある鍵盤とノートで済むとわかって、俺は表紙のために身構えていた肩を少し戻した。
(もう一つ大きな買い物が来るのかと、思ってた)
帰りの電車で二曲目の始まりを聞くと、小野さんが加えた低い音のところで、気づくと口元が緩んでいた。
窓の外を見たまま続きを聞き、降りる駅の名前が流れたところで立つと、静かにした間の向こうへまた歌が進んだ。




