第151話 今度は、俺が払うほう
木曜日の午後、石倉さんの机に『休みの日』の譜面を置くと、その隣には、まだ何も書いていない紙があった。
「もう一つ、作り始めてるんだよね」
「はい。音だけ、少し」
公演のあとに録った始まりをスマホで流した。前の歌より少し先へ進む音にしたつもりだったが、続きのないところで止まる。
石倉さんはすぐ話し始めず、椅子を引いて聞いたあと、俺の手元へ顔を向けた。
「急がないのに、歩いてる感じがあるね」
「……それ、近いです」
まだ言葉にしていなかったところを先に聞き取ってもらえたので、今度は、その歩く感じを自分でも確かめながら再生した。
録音は、まず『休みの日』を今の長さで作る。もう一曲は俺が旋律と詞を仕上げ、二人に伴奏を考えてもらうことになった。
完成した音を俺も聞いてから、聞いてもらえる場所へ出す。そこまで説明して、石倉さんは案内の作者欄へ名前を書いた。
「作詞と作曲は久瀬くん。音を作るところは、僕らが手伝う。それで進めよう」
「はい」
自分の名前を確かめて下の行へ移ると、制作料に五万六千円とあった。指を寄せかけて、これは受け取る額ではない、と気づく。
(今度は、俺が払うほうだ)
二曲の伴奏、小野さんの演奏、録音と仕上げまでを合わせた料金だった。正式に頼むときに半分、完成を確認してから残り半分を払う。
長い歌だから二倍、という決め方ではなく、二曲を録るのに必要な作業の金額らしい。俺はもう一度、その二曲の欄を見た。
最近受け取った公演の四万八千円と広告の最後の八万八千円だけでも足りるが、歌って増えたお金を、今度は歌のために減らすことになる。
家で録った声と鍵盤でも聞けるのに、公演で二人が添えてくれた音を思い出すと、一緒に作った録音が欲しかった。
「売れた分は、どうなりますか」
石倉さんが、価格の下へ数字を書いた。
「制作室で使っている販売ページを使える。二曲四百円なら、一組ごとに三百二十円を久瀬くんへ。残りで決済と販売管理を引き受ける」
実際に支払われた分を月で締め、翌月十五日に受け取る。俺は空いた紙に五万六千を三百二十で割った答えを書き、ペンを止めた。
百七十五組。
前の会へ来たのは五十四人だったから、全員が一つずつ買ってもそこまでは行かない。そう並べたところで、自分の計算の始め方がおかしくなる。
(全員買うところから始めるな。まだ何もわかってないだろう)
五十四人の客席で、どこかで聞けるかと尋ねられたことを思い出した。あのときは初めてここで歌う、としか答えられなかったが、今度なら場所を答えられる。
俺も、録ったものを最後まで聞きたい。
「すぐ全部戻るとは、思ってないです。でも、やりたいです」
紙から顔を上げると、石倉さんがうなずいた。
「じゃあ、そのつもりで進めよう。無理に長くしなくていいし、売れる言葉を先に付けなくてもいい」
「はい」
そちらのほうがありがたかった。家へ帰ってゲームを開きたくなる歌へ、急に誰かを励ます立派な決心を足すつもりはなかった。
*
最初の録音は五週間後の木曜日、二曲目は翌週の月曜午後になった。月曜も四時までなので勤務に間に合い、木曜の短い録り足し一時間も含まれる。
それまでに、新しい歌を最後まで作る。水曜の勤務を来月から減らす相談は済んでいたが、空く日を全部仕事へ変える約束まではしていない。
今は、その時間をこの二曲へ少し使いたかった。話した内容を送ってもらい、家で読んで、翌日に正式な返事をすることにした。
金曜日の昼、作者と曲数、料金、予定を読み直した。最初の二万八千円を確かめ、依頼する返事と支払いを済ませる。
石倉さんから受け取った連絡が来ると、口座の表示を見直した。報酬が入ったときとは反対に、残った額が減っている。
(減った。そりゃそうだ)
何に使ったかはわかっていたので、画面を閉じて鍵盤へ向かった。机へ置いたスマホには、まだ短い始まりだけの録音がある。
その音を弾き、今度は二つ目の空欄を埋めたくなった。




